訪問/社会福祉法人/訪問

朝の定時定点は福島高専近くの街道沿い。運転席の窓を開けて手を振っていっていただくかたもあり、ありがたいばかりです。

内郷の高野(こうや)地域の後援会員と「しんぶん赤旗」読者やご近所、お知り合いを訪問しました。待ち合わせ場所に向かう際、バイパス道路の気温表示は、午前9時過ぎでしたが31度。

訪問して歩くと、読者のお宅の一人息子が私の中学時代の同級生だったり、案内してくれた後援会員の親がお世話になっている介護事業所が私の知り合いだったりと、意外な出会いがまたありました。

午後は社会福祉法人・楽寿会の役員会があり、役員の改選が議題。今後2年間、現任役員で引き続き担うことを確認しました。

その後は小名浜へ行き、医療生協でお世話になっているかたがたを訪問。

96歳の組合員であり、患者さんは、「長谷部さん、がんばれよ、オレは長谷部さんよりがんばるぞ」と。

通勤顔なじみ/訪問/つながり/街宣

火曜日朝の定時定点の街宣は小名浜。医療生協職員後援会員が出てきてくれました。

この時間・この場所を通勤で通りかかり、すっかり顔なじみになって車からあいさをかわすかたも生まれています。

午前と夕刻と、私が住む地域のお隣りの地域の党後援会員のご近所のお知り合いを訪問しました。午前はこれまでもたずねているお宅で、なかには、「月曜朝は散歩途中でいつも演説を聞いてるよ」というかた、「少人数でいいから集まりをもって」という要望も寄せられました。

夕刻の訪問は、初めての農村地域。田んぼを埋め立てた住宅地もあります。「金曜日朝にバイパス下で話している時にいつも見てるよ」「生協病院が引っ越す前からの組合員」「お母さんと同僚で、先日もたずねてきたよ」と、人のつながりというのは、歩いて初めて知ることがしばしはです。

午後の時間は街宣。3つの団地の5か所で話しました。家の中から拍手してくれたかたは、「あなたの実家の近所だったのよ」と。またあるかたは「お茶を飲んでって」と。心あたたまる出会いが毎日です。

自宅近く/原稿書き/処暑

月曜日朝は、私の自宅近くでの定時定点。地元の後援会員が歩いて出てきて、「旗持ち」してくれます。きょうも4人。話していると、「そうだ、そうだ」と合いの手も入ります。

それにしてもきょうも朝から暑い一日の始まりでした。

小名浜地域で、医療生協の仕事でお世話になっているかたがたを訪ねました。

参議院議員選挙前以来ですが、歓迎され、激励され、感謝の気持ちでいっぱいです。暑い中を歩いていることに、びっくりされたりもしました。

歩いている途中、いわき市長へプルサーマルをめぐる要請を市民団体としてした件で原稿依頼があり、短文で締め切りは3日後というので引き受けたものの、あす・あさっては時間が取れるめどもなく、取りかかり始めたらやたらに時間がかかってしまいました。

それにしても、「暑さが止む」の意味からの「処暑」がきょう。

二大政党制の表層と深層/小川6か所街宣/拍手

きょうの日刊「しんぶん赤旗」に、都留文科大学の進藤兵(ひょう)教授のインタビュー記事が載っていて、いたく共感しました、

今回の参院選の特徴は、「二大政党制がほころんだが保守勢力総体は増大した」ということ、そして、財界・支配層が礼賛してやまない「二大政党制」は、表層では民主主義のために必要だと言いつつ、「深層には財界の新自由主義改革の実現という目的がある」、ということです。

「参院選後のメディアの論調を見ると…これまでの表層の部分がはがれてしまい、深層の本質的狙いの部分が前面に出てきたということです」。

「比例代表制を基軸とする選挙制度改革をめざす論議を提起すること」がほんとうに大事だと思います。

きょうは小川地域の6か所の街頭から訴えました。家から出てきて聞いてくれ、拍手してくれる人、家の中から拍手してくれる人、庭に出て聞いてくれる人、そして声をかけてくれる人、すれ違う車から手を振ってくれる人、ほんとうにみなさん、ありがとうございます。

「かけはし」/憲法街宣/永年党員/同志の実家

8時過ぎ、涼しいうちにと思って、通信「かけはし」をご近所240軒ほどに配布しました。

雲に隠れていた太陽が途中から照りだし、まっ、けっきょく汗だくで全部着替えです。

月の第3土曜日は日本国憲法を守るいわき市共同センターの市内いっせい宣伝日。小名浜では、医療生協九条の会の生協職員といっしょにいつものスーパー前で実施しました。

駐車場で聞いてくれる人、自転車や車から手を振ってくれる人、クラクションで声援してくれる人、ありがとうございます。

午後は党地区委員会主催で「党創立88周年、50年・永年党員の顕彰のつどい」がありました。共産党に入って50年、30年の人たちが語ってくれた話に、参加されたみなさん全員が、心打たれたと思います。

私は閉会のあいさつ。生きた学習会になったことに感謝しました。

終えてからその会場のすぐ近くの中学・高校でのブラスバンド同志の実家に寄りました。その同志は県外で医科大学の准教授をしていますが、お母さんとも中学時代からなので、話がつきませんでした。お父さんの介護でお寄りしてもなかなかお会いできなかったこともありました。

「中間とりまとめ」の経過/訪問と街宣

きのう、福島県エネルギー政策検討会の02年当時の「中間とりまとめ」についての経過に触れましたが、不正確でした。

02年1月の第11回検討会で日本のエネルギー政策についての論点や検討課題が検討され、同年7月の第18回検討会では、その論点などやその後の検討、そして予定されている原子力委員会との意見交換を踏まえて中間とりまとめをまとめる、と確認されました。

同年8月5日の第20回検討会が原子力委員会との意見交換で、その場で示された県による「エネルギー政策における疑問点」に対する回答の検討と対応を8月26日の第21回検討会で議論、その直後に不正問題が発覚し、それを議題にしたのが9月6日の第22回、そして9月19日の第23回で「中間とりまとめ」が確認されました。

きょうは朝の定時定点の街宣後、神谷(かべや)地域の後援会員とお知り合いを訪問し、夕刻は下荒川地域の後援会員2人といっしょに平地域の5か所で街宣。

訪問先でのお客さんも含めたなごやかな懇談ができたり、街宣ではご近所のかたから「老人が安心できるようにね」と声をかけられたり、子連れのお父さんから「がんばってくださいね、応援します」と声をかけられたり。

車で帰宅されるみなさんからクラクションで声援されたりと、元気になる一日でした。

プルサーマル市長要請

いわき市長に対して、「いわき市原発の安全性を求める会」として、「プルサーマルの受け入れを表明した福島県知事に対し、『十二分の説明』を求めるとともに、実施中止を求める要請」をしました。

6月市議会の市長答弁で、「プルサーマルのことついては…県がオーケーと言った時点で、十二分に県には説明にはオーケーにした説明責任はある…(そ)の説明については、県に求めてまいりたい」といった言明を受けての要請でした。

応対してくれたのは、危機管理監を兼務する行政経営部長。

会の代表としての私からは、県が2001年5月に県エネルギー政策検討会を設置し、02年7月には「中間とりまとめ」をし、8月には原子力委員会とその「中間とりまとめ」に基づいて意見交換し、その直後に原発での自主点検作業における不正問題の公表があり、その検討を受けて02年9月に最終的な「中間とりまとめ」がまとめられ、そのうえで県が98年11月に事前了解したプルサーマル導入を白紙撤回した経過があり、その到達が市町村に県から知らされているのであり、説明抜きに政策転換をすることは、原発を近くにかかえるいわき市民としても納得しようがなく、市が市民の立場で要請に応えてほしい、と話しました。

マスコミのみなさんも注目して取材をしてくれましたが、県の「中間とりまとめ」について市側は目にしたことがないかのような様子でした。

ともかく市長は、県が「中間とりまとめ」をした当時、県議会議員をつとめており、その経過を十分に承知している立場なので、要請に応えていただくことを強く訴えました。

土津神社/討議と報告/そば/原発の安全

学習交流合宿2日目。

朝6時過ぎに起きだし、近くを散歩しました。土津(はにつ)神社といって、会津藩祖・保科正之を祀(まつ)った神社を散策。1675(延宝3)年に創建され、戊辰戦争で消失し、1880(明治13)年に再建された神社だそうです。

地元生まれの野口英世(1876~1928)も尋常高等小学校時代から参拝していたらしく、1915(大正4)年に帰郷した際に参拝した写真もあります。

高さが7.3mで重さが30tあるという、神社の碑石としては日本最大だそうです。保科正之の履歴を刻んだ石碑です。

そういったことはともかく、学習合宿では、きのうの講義や意見交換をうけ、県委員会の提起も受けて、各地域ごとに分かれて討議しました。

それこそいろんな意見がその後の各地域からの報告でも出されましたが、そこは共産党、政治を国民本位に変えていくために、住民の苦難に寄り添うその方向は一致です。

昼前に終了後、地元の自家栽培・自家製粉・100%そば粉のこしの強い食べ応えのあるそばをいわき・双葉地区委員会の参加者と食べ、帰宅。

夕刻には、いわき市原発の安全性を求める会としての打ち合わせ。

学習交流合宿/原点・存在意義

党県委員会が主催した学習交流合宿がありました。

会場は磐梯山のふもとにある猪苗代町の施設の研修室。

党県書記長が「参議院選挙結果と党創立記念講演」と題した話と、委員長からは「日本政治の転換期、党常任・専従者の活動について」をテーマとして講義があり、それぞれ質疑・意見交換をしました。

委員長の話は、戦後の党再建後から現在に至るまでの大会や中央委員会で決定され、おおやけにされている文書を跡づけたもので、改めて共産党の原点やその存在意義を確認できるものでした。

こうした機会を持つことは、組織として当たり前ですが、大事だと思います。

宿泊は会場近くにある民宿街。夕食後の交流もきわめて重要。

日本固有の祖霊祭/定数削減の欺瞞

仏教が日本に伝来する前から、日本には、お盆の時期も、正月とともに、祖先の霊を迎えて、生活の繁栄を祈り祝う習俗があったそうです(岩井宏實著『正月はなぜめでたいか』1985年刊)。

たまたまお盆の時期のほうは、仏教のならわしが日本固有の祖霊祭と結びつき、仏教的色彩が強い行事になりましたが、「盆はやはり正月とならぶ二大年中行事の折り目として祖先をしのぶときとして、日本人の心の故郷として、宗教とはかかわりなく何らかのかたちでうけ継ぎたいもの」です。

それはともかく、きょうの「しんぶん赤旗」テレビ・ラジオ欄には、東大名誉教授でNHKを監視・激励する視聴者コミュニティ共同代表の醍醐聰(だいご・さとし)さんが国会議員定数削減についてのメディアの役割を書いています。

「衆議院調査局がまとめた資料によれば、人口100万人当たりの国会議員数はアメリカ1.8人、イギリス22.8人、フランス15.0人、ドイツ8.4人に対し、日本は5.7人で先進国では2番目に少ない。アメリカの議員定数が極端に少ないのは同国が連邦議会に準じる立法・行政・司法の各権を持つ50の州からなる連邦国家で、各州に多数の地方議員がいるためである」

「多くのメディアも定数削減=『国会議員の身を削る努力』という欺瞞(ぎまん)的な議論の構図に追随し、定数削減が憲法前文で謳(うた)われた代議制に対する重大な脅威を意味するという警鐘を鳴らす務めを果たしていない」ときびしく指摘しています。

6日付の紙面では、元日本テレビプロデューサーの仲築間(なかつくま)卓蔵さんが語っていました。

「比例定数削減が実行されたら、日本の政治と国民にどのような影響をもたらすのか。いろんな材料を掘り起こして、読者、視聴者に示すべきです」「『無駄削減』というのなら、年間320億円もの政党助成金こそ廃止すべきでしょう」。

あしたからは一泊で合宿学習会に参加します。