津波が貫通した施設/支援食料・物資/放射線測定

水道の復旧が始まりつつありますが、いまだ市内全域で断水です。

妻の叔父宅の井戸水が飲料用にも使える、とのこと。日ごろ行き来しているのに、こういう事態のときに初めて知るわけです。実家にも行って、トイレ用の水ももらってきました。実家では、魚介類卸をしている義兄から冷凍食材も。

【新舞子ハイツヘルスプール】

【新舞子ハイツ前道路】

実家の近くには、津波が直撃した海岸沿いにいわき新舞子ハイツや、長春館病院や老人保健施設のシーサイドパインビレッジがあります。

【長春館病院】

これらの施設の1階は、津波が「貫通」です。老健施設の裏の田んぼには、流された送迎車がまだそのままです。

【老健・シーサイドパインビレッジ裏の田】

【老健・シーサイドパインビレッジ】

小名浜生協病院へ行くと、福島県農民連や全日本民医連からの支援食料・物資が届けられています。きょうは日本療養病床協会からいわき市内の療養ベッドを持つ病院に支援物資が届けられました。

【病院・救援物資搬送】

【救援物資】

放射線技師がポータブルの電離箱式放射線測定装置で放射線を測定しています。通常は0.02~0.05マイクロシーベルトですが、きょうの午前11時は2.1マイクロシーベルト。通常値からは40~100倍というのが事実。

【放射線測定】

一方でいま、テレビ・ラジオで強調されているのは、「胃のエックス線検査一回の撮影で600マイクロシーベルトであり、観測されている値がただちに健康に影響は与えない」という事実。

問題はだから、政府が、最悪の事態が起こった場合の対処方針を持って伝えたうえで、正確な事実を公表する、という姿勢が見えないことだと思います。「まだ大丈夫、まだ大丈夫」みたいな発表は、不安を広げるばかりです。

ガソリン6時間待ち/小名浜港1号・2号埠頭

事情がよくわからないのですが、「きょうはあそこのガソリンスタンドで給油している」と聞いたので、とにもかくにも並びました。

大地震後、給油している数少ないスタンド前は必ず大行列で、それを見て給油しているスタンドを知るのでした。

きょうはたまたま並ぶ前に情報を得たので並んだのですが、けっきょく6時間待ち。あきらめかけたときにタンクローリー車が入る姿を見かけ、ラッキーというほかありません。おかげで、雑誌『経済』(新日本出版社)4月号の特集「安全・安心の社会基盤整備へ」の諸論考、「地域主権改革」批判の2人の専門家へのインタビュー、来年度国家予算案に関する論文を車中で読むことができました。

【いわき・ら・ら・ミュウ】

小名浜港の1号埠頭(いわき・ら・ら・ミュウ)・2号埠頭(アクアマリンふくしま)に寄ってみました。

【一号埠頭】

ここは津波直撃を受け、当日のテレビ放映や翌日の新聞でも写真報道されていました。1号埠頭には「なぜこんなものが陸上に?」と思わざるを得ないような船が打ち上げられ、ら・ら・ミュウの中の店舗は無残です。

片付けようにも片付けようのない現場に来ていたお店のかたは、「復興がいつになるやら、数年はかかりそうだ」とおっしゃっています。

【アクアマリンバス昇降口】

アクアマリン前のバス昇降場や駐車場、入口前の高速バス利用者専用駐車場、近接の福島臨海鉄道、1号・2号埠頭の間の倉庫前のコンテナ散乱や流された車など、津波被害はほんとうに甚大です。

【小名浜・高速バス利用者パーキング】

【小名浜・倉庫】

配達中止/井戸水をトイレ用に/被災予防/安全神話

【永崎・大平川橋決壊】

【江名・江の浦】

けさの一般紙2紙の折り込みチラシは新聞店による配達中止のお知らせ。

社員・配達員の被災・避難、原発災害による健康被害防止、ガソリン枯渇が理由です。いますべての事業所、住民がこうした事態に直面しています。

近くの小学校に、津波で家を流された医療生協職員家族が避難してきている、と聞き、見舞いに行きました。私も2日前にまったく家がなくなっている現場をシカと目に焼きつけていた職員です。

いっしょに仕事をしていた人であり、家族全員がぶじで、ほんとうによかった!

妻の実家に寄り、畑用の井戸水をもらってきました。トイレ用です。とにかく水道復旧の見込みがなく、そのうえ原発震災で外に出ることは控えなければなりませんから、もうたいへんです。

【小名浜四倉線・沼の内】

それにしてもいわき市に住んでいる以上、少なくとも被災を軽減・予防する知恵を活かすためにも、今回の災害を後世に残さねば、という気持ちが先走るので、海岸沿いの平沼ノ内・豊間、江名・永崎と見てまわりました。

【波打つ小名浜四倉線・沼の内】

【平豊間兎渡路】

国際競争力だとか自己責任だとか、こうした事態のもとで言っていられますか? 住民の福祉こそ政治と行政の最優先の課題だ、ということこそはっきりしているのではないですか?

原発震災では、事業者から「事象はありましたが心配ありません」「安全です」「健全性は保たれています」と聞かされるばかり。政府も「事業者から問題ないと報告を受けています」。

何があっても安全だ、という「安全神話」が崩壊している事態に至っても、住民の福祉よりも神話に縛られているというほかないと思います。

大地震の日から5日間、水がないために風呂にも入れず、頭も洗えず、節水の極限です。

津波情報/避難場所/錯綜/久之浜/現時点

【薄磯・堤防決壊】

【豊間塩場の墓地】

【豊間保育所】

2日前に路上から小名浜生協病院に案内したかたの自宅を見舞いました。

点滴で体調は回復してよかったのですが、ちょうどこの時間、余震もあり、津波の危険もあるという情報で、市内のお子さんのお宅へ身を寄せるつもり、とのこと。海から200mちょっとの距離のお宅ですが、大地震当日は床下までの浸水だったそうです。

ともかく、津波情報で高台への避難を消防が広報していたので、避難場所の小学校へ寄ると、テレビでは、福島第一原発3号機の建屋爆発の様子の映像。

そして地元地域のみなさんが自家用車や徒歩で次つぎと高台のこの小学校に避難されてきました。

その後、日用品の買い物をしようとホームセンターに行くと、「原発で臨界爆発があったので店を閉めます」と。

津波情報源は、消防庁だったり、警察だったり、自衛隊だったりのようですが、気象庁はその観測事実はない、と言うし、原発情報も水素爆発が臨界爆発になってしまったり、非常時のもとでの情報錯綜を目の当たりにしました。

【久ノ浜第一幼稚園】

【久ノ浜南町】

午後はいわき市北部の久之浜地域、四倉北部の被災状況を見てまわりました。久之浜地域は、原発の状況から、市が住民に自主避難を促していることもあり、津波被害がもっとも大きかった地域に入ることはできませんでしたが、海岸近くなだけに甚大です。

【四倉・蟹洗温泉】

家を流されてしまったかたがたの住居、食料はもとより、水道復旧の見込みがないなかでの水の確保や、車がなければ移動できなくなってしまっているのにガソリンがないことは全市民に関わり、原発震災では市外からの避難者も多くあり、そのうえ正確な情報が避難者・市民が共有できていない現実、なにか手助けしたいと思っているかたがたが何をしたらいいのかわからない状況が現時点です。

【小名浜一小避難】

断水/豊間と薄磯は壊滅/堤防決壊/教訓

【薄磯】

【薄磯・塩屋崎灯台】

大地震直後からいわき市全域で断水です。復旧時期はいまのところ不明。

介護施設責任者の妻が給水のための時間をとれるはずもなく、当然、私がわが家の水確保担当者で、きのう・きょうと給水場所に並んだものの、なくなってしまったのでした。

きょうの夕刻はいわき市水道局前で1時間ばかり待ち、やっと数日分の確保。なおかつ、水を確保しやすい条件にあった友人がゆずってくれ、大助かりです。

トイレ用には近くの川に往復して確保しました。

【豊間・堤防決壊】

高橋市議と海岸に近い平の豊間(とよま)・薄磯(うすいそ)地域に入りました。

絶句です。壊滅、全滅です。

【豊間・塩場】

積み増しした堤防が決壊した現場では、地元のかたが「強く要望して積み増ししてもらったが、なぜ最初からちゃんとしてもらえなかったのか。行政は住民の立場に立ってほしい」と訴えられました。

【豊間・塩場】

ともかく、津波の想像を超える力にはあ然なのですが、政治と行政はこの教訓を真剣に受け止めなければなりません。

実家のぶじ/四倉/目の前を津波/「病院に行きたい」

【仁井田川畔】

早朝、海岸から数百メートルしかないところに住む、妻の実家や親族宅へ。 あの津波の様子を報道でみて、連絡もできず、気が気でなく、避難所の中学校に身を寄せているだろうと思いつつ、それぞれの自宅の様子を見に行くと、みんながそれぞれの自宅でぶじでした。 海岸にいちばん近い家では、前の道の10メートル先まで海水が届いた様子。ともかく、距離的にも近いのに、連絡がとれない不安は解消。 小名浜生協病院へ寄り、みなさんのぶじと病院機能の維持確認。

【四倉6号線沿い】

四倉へ行くと、商店街メイン道路まで津波が押し寄せた様子。道路の東側が海側ですが、西側の商店店内も水浸しでした。四倉支所前もモノが押し流されてきた様子。 さらに海側の国道6号線は、津波が運んだ砂がかぶり、国道沿いの家には津波に流された車。

【四倉 道の駅】

役員を務めている社会福祉法人の特別養護老人ホーム・楽寿荘は難を逃れました。海岸は数十メートル先なので心配でしたが、ちょっとした高台でよかったです。 津波の波しぶきが目の前で跳ね上がる恐怖を施設長が語ってくれました。

【小名川ポンプ場近く】

再度、小名浜へ行くと、津波に襲われたようすがありあり。 足をふらつかせているだんなさんの手を引く高齢ご夫妻とばったり。「病院に連れて行ってほしい」と。さっそく生協病院に案内しました。

街宣/作品展/重税反対集会/大地震

平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いで金曜日朝の定時定点。

午前中は私が住む住宅街3か所を含めて6か所の街頭から訴え。ドリンクの差し入れがあったり、散歩されているかたがたから声援、公園でたたずむかたからは両手を振っての声援。

午後は平文化センター4階で開催中の年金者組合いわき支部作品展鑑賞後、2階で行なわれた第31回3・13重税反対全国統一行動いわき市集会で党を代表してのごあいさつ。

この集会が最後にさしかかったときです、大地震。生まれて初めて体感する大揺れです。

つどいを予定していた地域へ行くと、どのお宅でも家の中のものが倒れたり散乱したりしている状態。ブロック塀が全部くずれてしまったお宅もありました。

【いわき市美術館前の歩道】

テレビをみると、小名浜港や宮城、岩手、青森などでの津波の被害の様子。

わが家のご近所では屋根瓦が落ちる被害。

医療生協の介護施設も被害にあい、妻は利用者とともに病院に退避し、病院泊。

海側へ向かうわけにもいかず、通信も通じず、どこまで被害が広がるのかわからないニュースに見入るばかりでした。

2か所の定時定点/「語ろう、きいてみよう会」/税金の使い道

木曜日朝は2か所での定時定点。1か所目が7時半過ぎから8時前、2か所目が8時過ぎから8時20分前ぐらいです。

どちらの場所でも手を振ってくれたり、おじぎしていってくれたり、目を合わせてニコッ、としていってくれて通勤されるみなさん、ありがとうございます。

小名浜地域で、「はせべあつしと語ろう、きいてみよう会」がありました。医療生協支部の党後援会員が企画してくれました。

「竹島問題での民主党議員のあの姿勢はどう見るの?」、「子ども手当てはどうなるの?」、「民主党が言っていたことと今の姿勢はさかさまじゃないの?」、「福島空港を使ったことがあるけど、いらないんじゃないの?」、「あぶくま高原道路はほとんど車は通らないよ」、「小名浜の人工島は何の必要があるのか、という人が多いけどどうなの?」と、まぁ、ともかくあたりまえの疑問が次つぎ。

県議会では、共産党以外の議員がすべて「与党」で、空港も県営高速道路も人工島も推進して税金をつぎ込みながら、暮らしを圧迫する税金の使い方にみなさんびっくりです。

税金の使い道をチェックできないオール与党議員はいらない! 共産党の議員こそ必要だ、とはっぱをかけられました。

介護保険/官僚主導/選挙論戦

民主党政権のもとでの初めての介護保険法改定案(2012年度実施)の概要がきょうの「しんぶん赤旗」で報じられています。

要するに、介護保険給付の対象となっている現在の要支援者を保険給付からはずす仕組みづくりです。

自民・公明政権のもとでの前回06年改定では、「要支援」と「要介護1」の軽度認定者にサービス利用を抑制させ、保険給付費を節減することを目的に「新予防給付」を創設しました。

今度は保険はずしです。理念を持たない民主党が政権につき、介護給付費削減を一貫して進める厚労省官僚の言いなりの姿が歴然です。「脱官僚」を言い張っていた民主党政権の成れの果てです。

介護保障と言える介護保険制度へ政治主導が求められるのに、言っていたこととさかさまなことを官僚主導で進める民主党政権では絶望的です。

けさの定時定点はJR線北側の国道399号線沿い。

きょうは一日、県党の会議でした。県政が県民の暮らしに向いていない事実、共産党以外の「オール与党」がこれを支えている事実、県にお金がないのでなく、県民への思いやりがないこと、こうした県政・県議会の現実の姿を伝えること、そして共産党の役割・値打ちをしっかり訴えることが、選挙での論戦上の基本であることを議論しました。

小名浜/赤井・小川街宣/同級生のお姉さん/とろろ芋

火曜日朝は小名浜での定時定点。きょうもこの地域・職場の後援会員4人が出てきてくれました。手を振っていってくれるかたも多く、ほんとうにありがたいです。

午前中は、赤井・小川地域の5か所の街頭から訴え。それぞれの場所で話し終えてから聞いていてくれたかたやご近所にごあいさつします。

ある場所ではちょうど出かけるかたが車を止めて運転席の窓を開け、「こうして地道にしている姿をいつも見ている。オレは間違いないが、がんばってくれ」と。

またある場所の近所の商店に寄ると、なんと、私の中学同級生のお姉さんがお嫁さん。「そういうわけで前から知ってたんだ。商売柄、表立ってはできないが、お客さんにあいさつしていって」と、お連れ合いのだんなさん。

この地域ではいつも通る道路沿いなので、初めて知ってびっくりです。その中学同級生は、私の結婚式の司会をしてくれたんです。

午後は中学教員OBの後援会員がお知り合い宅を案内してくれました。

ある教え子宅ではお母さんと何十年ぶりかの再会。77歳で毎日農作業をすることで健康を保っている、とのこと。りっぱなとろろ芋をいただきました。ありがとうございます。