復旧・復興へ/井上・大門参院議員/住み続けられる地域

井上さとし・大門みきし両参院議員がいわき入りし、津波被災地域の復旧・復興へ向けた視察をしました。

小名浜漁港、小名浜地域、永崎、江名、平豊間・薄磯とまわりました。

漁港では漁民としばし。「日本は漁業の国。漁民は魚をとって生活を成り立たせる。しかしいまは原発事故の影響で漁の見込みはない。だけど2日に一回ぐらいはエンジンをかけに来るんだ。メヒカリ、タコ、イカをおもにとっているが、早く生活を取りもどさせてほしい」と。

豊間・薄磯ではそれぞれの「災害対策本部」で地域のみなさんと。「復興に時間はかかるが、地元の声をしっかりと活かしたい。豊間・薄磯・沼ノ内の地域が一体となって計画を提案している。なにより、現在の観光資源や漁業・水産加工業を再生し、住み続けられる地域づくりに力を貸してほしい」と。

「壊滅」と言っていいまちを前に、地元のみなさんがこうして復興計画を話し合う姿には、勇気づけられる思いです。

中小企業を営むかたがたからも、実情や要望もうかがいました。

また薄磯地域では、党の呼びかけで、ガレキ片付けなどのボランティアに全国から来られていました。

「かけはし」5月号/20分、30分/業者の苦しみ

通信「かけはし」5月号をご近所240軒ほどに配布しました。

「『安全神話』の大罪」をテーマにしました。表紙の写真の前列に並ぶのは、左から大熊町・石田洋一町議、浪江町・馬場積(つもる)町議、広野町・畑中ひろこ町議。

大熊町は全町が警戒区域、浪江町は警戒区域と計画的避難区域、広野町は緊急時避難準備区域で、党議員のみなさんは避難先でそれぞれの町民のみなさんに寄り添い、要望を聞き、励ましあう暮らしを強いられています。

配布していると、「原発事故は共産党の言うとおりだった。何年も前から国会で今回の事態を警告していたことを最近知った」と。またあるかたは、「日本海側の子どもの家に避難していた。いったい誰が原発は安全だと言い続けたの。小さい子どもたちが外で遊べるように早くしてほしい」と。立ち話ですが、あっという間の20分、30分です。

運送業者をたずねました。3月11日以降の仕事の激減で、十何年かぶりに年度決算が赤字になり、原発がある地域の仕事はまったくなくなったし、地震・津波で事業再開の見込みがないお客さんも少なくない、そのうえ原発事故によって「いわき」を避ける事態もあり、今年度も先がまったく見えない、と、その苦境を語りました。

別の事業所でも、「10人程度の従業員だが、それぞれ家族があり、守らないとならない。個人的にお金を貸すにも続かない。原発事故がなければこんなことにならなかった。仕事がないことがいちばんつらい。何とか助けてほしい」と、悲痛な訴えです。

原発事故がなければありえなかったことが、中小業者を苦しめています。全面補償は絶対的に必要です。

岩間・小浜・サンマリーナ/復興の進め方/まちづくり

【サンマリーナ】

大震災日以来、約1230平方kmの面積があるいわき市の南部に行く機会がなく、きょう、初めて足を踏み入れました。

【岩間】

【岩間】

【岩間】

岩間町、小浜(おばま)町、泉町下川のいわきサンマリーナの様子を見ました。

あれから2か月がたとうとしていますが、片づけがなかなか進まないようです。

【小浜】

【小浜】

【小浜】

久之浜、四倉、薄磯、豊間、江名、永崎、小名浜、小浜、岩間と、いわきの海岸地域のまちを住み続けられる「まち」としてどう復興するか、その地域に住む人たちを中心にその復興をどう進めるか、ほんとうに大きな課題です。

政治や行政が、住民の意向に沿ってまちづくりをサポートする本来の姿を取りもどせるかどうかもまた課題です。

住み続けられる地域、安心の医療と介護と福祉と教育、防災のまち、地域単位で家庭が自給自足できる自然エネルギーの活用などがこれからのまちづくりのキーワードのように思います。政治と行政は、これをしっかりと支えればいいのです。

法要/ここにも原発の影響/地震被害

【元三大師像・大高寺】

伯母の1周忌の法要がありました。

3月下旬に予定していましたが、大震災により、メーデーのきょうになりました。いろいろなところに影響を与えます。

【大高寺・〔いわき百景〕より】

お寺はいわきで唯一の天台宗の寺院・大高寺(だいこうじ)。

ここにも原発事故による影響があります。

境内には元三大師(がんさんだいし)の像。

お墓へ行くと、ここの墓地でも大地震の被害。向こうに見えるのは呉羽総合病院。

ともかく、いとこ夫婦や家族が一堂に会する機会となりました。どうしても話題は震災被害と原発事故とこれらに対処するはずの政治。とくにこの地域の直下は4月11・12日の震源域でもあり、たいへんです。

玉本京都市議/民医連/地区復興計画

【永崎・大平川橋】

玉本なるみ京都市議がいわき入りし、津波被災地の実情を見、避難所やご自宅の被災者を見舞いました。

玉本さんとは、大学時代に民青同盟や党の活動をともにした仲。私が全日本民医連事務局に勤めていたころ、京都の民医連事業所で保健師として働いていて、全国交流会で顔をあわせていた仲でもあります。

小名浜生協病院では、全日本民医連の応援を受けた組合員訪問やボランティア活動の最終日で、かつて事務局でいっしょに働いていた仲間3人とも再会できました。

【薄磯南街】


玉本さんとは津波被害が大きかった薄磯・豊間・永崎地域に入りました。

【豊間中学校】

豊間地区では、「子孫が住み続けられるための復興計画を徹底して考えている」と、区長さんたちから話を聞くこともできました。

避難所から自宅にもどっていた高齢者は、「戦争中の空襲の様子もはっきりおぼえているが、津波はもっと怖かった」と、その恐怖を語っていました。

避難所では、家を流されたかたがたが、「市を通してあしたから住むアパートが見つかったが、いまこうしていっしょの隣近所のみんなとはバラバラになってしまう」と。

この訪問には、ボランティアでいわき入りしていた「女性のひろば」編集部の兼本由美さん、「しんぶん赤旗」論説委員の竹腰将弘さんも同行してくれました。

生協ニュース/原発・放射能学習会/花見山/同級生

午前中、震災特集2㌻立ての「浜通り医療生協ニュース」2011年春号(203号)を配布しました。組合員が住むそれぞれの地域でご近所に配布しています。このネットワークを実質的なつながりにしていくことが、私たちの課題だと自覚しています。

途中出会ったかたは、「だんなの浪江(なみえ)の実家は津波で流されたが行くこともできない。家族は散り散りで避難してバラバラになってしまっている。双葉町の親族も、一時帰宅した家の中は地震で棚から何から倒れており、1人で行っても片づけられるはずもなく、手に持てる貴重品だけを持ち出しただけ、と言っていた」と、切々と語ってくれました。

午後は、内郷高野(うちごう・こうや)地域で「なぜ、原発事故が起きたの? 放射能は大丈夫?」の学習会に伊東達也さんと参加。

「いまからジャガイモを植えていいだろうか」「ここで育った豆を子どもに食べさせてもいいだろうか」「フトンを干したいが大丈夫か」「洗濯物は外に干せるのか」「話に出てきた放射線量の数字は大人のことだと思うが、子どもにとってはどうなのか」「原発にかわるエネルギーはあるのか」と、疑問は根本的です。

この近くには高野花見山があるんです。ちょっと寄ったのですが、少なくとも1時間は歩きたいです。

帰りに、中学同級生宅に立ち寄りました。親子で在宅していたお宅では、大地震の日、原発事故後の4日間の避難生活、その間の出来事、それぞれの知り合いから聞いた悲劇や出来事など、ほんとうに尽きませんでした。

もう一人の同級生はスーパー勤めで、地震翌日から市内各地の開店店舗をまわって仕事を続けていたそうです。

市長申し入れ/商工会議所・森林組合・磐林協/原発の深刻さ

「未曾有の大震災と原発災害において市民の安全安心の確保のための要望」を、党としていわき市長宛てにしました。

原発事故への対応、雇用の確保、被災住宅などへの支援、避難所の衛生、一時提供住宅など、19項目の要望です。

副市長が対応してくれましたが、別件の対応をしていた市長も冒頭と最後にじっくりと話をしてくれました。

その後、いわき商工会議所、いわき市森林組合、磐城林業協同組合をたずねて懇談。

商工会議所では、震災後、廃業や会員脱退増加、原発事故による出荷受け入れ「拒否」、ホテル・旅館など観光客の激減などの深刻な影響の実態が語られました。商業だけでなく、市民生活全般にわたって、「オールいわき」で「声を出す」ためにも、連絡会議立ち上げを市や市議会に要請したい、と。

森林組合・磐林協では、地震によって通れなくなってしまっている林道、補助事業の予算がストップしてしまっているために仕事が成り立たず、原発事故により職場である山にも入れない実態が語られました。

原発事故によるあらゆる被害の全面補償は聞けば聞くほどほんとうに切実です。

内郷・好間行動/励まされる声援

内郷(うちごう)・好間(よしま)地域の党後援会いっせい行動日でした。

今週29日には、内郷高野(こうや)地域で原発事故・放射能についての学習会があり、そのお知らせ・チラシまき、避難所になっている内郷コミュニティセンターへの炊き出し、そして好間地域での震災見舞い宣伝隊に分かれて行動しました。

私は好間地域で9か所の街頭から。

こうして宣伝カーで話していると、「声を出して歩いてくれるのは共産党だけだね。大事なことだよ」と声をかけてくれるかた、「話を聞かせてもらったよ。こういうことを言えない人を議会には送り出したくないね」と言ってくれるかた、話しているまん前に座って聞いてくれ、終えると「がんばってよ~!」と声をかけてくれるかた。

道路沿いでは手を振ってくれたり、クラクションを鳴らしてくれたり、また、事業所から手を振って送り出してくれたり。

みんなが被災されているなか、ほんとうに励まされる声援です。

話しているのは、お見舞いとお悔やみ、人災の原発事故では風評被害を含め、東電と国による全面的な補償を超党派で実現させるべきこと、これからのまちづくりは、原発に頼らず自然エネルギーを活用する政策への転換、防災と福祉を柱にすることが今回の震災が示した教訓であること、こうした新しいまちづくりをごいっしょに進めるため、がんばりましょう! ということです。

被災地にネコ・ツバメ・マスコット/被災体験を口に

きのうに続き、医療生協組合員宅を訪問しました。

午前中は、東京民医連の事業所職員と浜通り医療生協職員との3人で豊間(とよま)地域。津波の直撃を受け、家屋が流失したり、「解体承諾」の張り紙をしているお宅が大半でした。

豊間地域災害対策本部に寄ると、市内に避難されているみなさんは十数か所の避難所に分散されている、とのこと。

全壊家屋内にすわる猫、解体予定家屋にはツバメの巣、全壊の保育所前にはどなたかがマスコットを並べていました。

午後も同じメンバーで江名(えな)地域へ。津波で床上浸水の被害を受けたお宅では、入口がいまだに流されてきた2台の車や家屋ガレキにふさがれ、お隣りの家の敷地を通っての出入りでした。

ほかのお宅は海岸から離れていたり、やや高台で津波の直接の被害はありませんでしたが、敷地内に亀裂が入り、一方が地盤沈下し、「立入禁止」とされた家屋があります。

そのすぐ近所には築80年のお宅に92歳と90歳のご夫妻。家屋への目立った被害もなく、「足腰が不自由で避難所へ行くわけにもいかないし、原発事故で避難もしない。ここがいちばん落ち着く。近所のみなさんなどが水や食料などを持ってきてくれ、ほんとうに助けられた」と。

高台の自宅で津波が襲ってくる様子を目の当たりにしたかた、大地震の直後に庭に飛び出して身動きできなかったと恐怖を語るかた、原発事故後の避難生活のつらさや不安を語るかた、ともかくこの間の体験をとにかく口に出しておきたい、というみなさんの心のうちを見る思いです。

「バリバリッ、と津波」/原発事故避難/励ましあう訪問

浜通り医療生協とその事業所として、東京民医連や福島県民医連の応援を受け、組合員を訪問しました。

安否の確認や家屋の状況、健康状態、それに心配事や要望などを聞いて歩きました。

私は、医大生と県民医連事務局員の3人で、午前中は津波の直撃を受けた江名江ノ浦地域、午後は高台の団地の訪問。

津波に襲われた地域では、「家屋の解体を承諾します」と張り紙をはったお宅がさすがに目立つなか、難をまぬかれたお宅もあります。

歩いていると、大地震直前にまもなく引き渡しだった新築中の家の前に大工さんたち。どこでもあの日の出来事とこれからの復興へ向けた話で、お互いに励まされ、こうして歩くことの大切さを感じます。

大地震後、大津波前に地域のみなさんが避難した高台は、車や船や家が流される様子を目の当たりにした場所です。「バリバリッ、という音とともに津波に襲われた様子を見ていた場所だから、ぜひ見ていって」と近所のかた。

午後の訪問でも、原発事故のゆくえへの不安と原発政策への怒りは強く感じます。原発建屋爆発後に、市外・県外に避難した、というお宅も少なくありません。

また、あの当日に介護施設で仕事をしていて、利用者を避難させようと公立施設を数か所回って断られ、行政対応の不十分さを指摘する声もありました。

どこのお宅からも歓迎されるというか、話したいことがたくさんある、という感じです。