あしたの準備/「いわきの地震・活断層」講演会

午前中、あしたの「つどい」のための準備をしました。簡単なレジュメと、資料として、2月議会の質問・答弁、今世紀に入ってからのプルサーマル導入と福島県との関係のオリジナル年表、昨年11月4日付けの「読売新聞」福島版の「原発と県議会」記事です。

参加者数を見込んで、自分で印刷です。

午後は、「いわきの地震・活断層」の講演会を聴講。

東大地震研究所の小原一成(かずしげ)教授が「2011年東北地方太平洋沖地震といわきの地震」

同じく石山達也助教が「いわきの断層・活断層と過去の地震活動」と題してかなり熱っぽく講演されました。

ちょうど2か月前に出会ったかたから、「東大地震研の研究者がいわき市民にいわきでの観測の実情を知らせる機会をつくりたいと願っている」という話を聞き、私もちょっとつなげる役をしたこともあり、多くの参加者があってよかったです。

主催は「いわきフォーラム90」で、第363回講演会でした。

つどいの準備/テーマをしぼる

当初の予定がなくなったことをいいことに、あさってのつどいの準備に時間をさきました。

原発事故にかかわり、「県議会で日本共産党は何を訴えたか」をテーマに40分の時間が与えられているのですが、私は4年7か月の「空白」をはさんでの2期目の4か月目。

今世紀初頭の03年からの4年間と、3・11後の数か月を県議として、原発問題を県議会で取り上げ続けていますが、ちょっと振り返ってみました。

原発立地県の福島県ですから、原発にかかわるありとあらゆる課題を取り上げている気がします。「維持基準」や老朽化対策、データ改ざん、配管・制御棒などのひび割れ、圧力抑制室異物混入、軽微事故報告制度、東電の企業体質、下請けを含めたシステム問題などに加え、国の原子力政策大綱と県の姿勢、核燃料サイクル政策と県の姿勢、プルサーマル問題などなど、まとめるにはちょっと困難さを感じ始めました。

地震・津波と原発論戦にしぼるほかにないかも。

「まとめ」と「県政報告」づくり

2月県議会の「まとめ」の仕上げと、県民のみなさんの手元に届ける「県政報告」(チラシです)の内容を県議団会議で検討しました。

「まとめ」は、きのうのうちに手を入れたものをけさ打ち出して確認して仕上げの予定でしたが、あれこれまた気になるところに手が入り、午前中いっぱいかかりました。

これを受け、午後は「県政報告」づくり。A3版両面印刷で、形としてはA4版4ページ立てになりますが、今度は限られた紙面になり、議会前の調査の様子を含めた写真もちりばめ、議会の様子を伝えるのに、またかんかんがくがくです。

写真はひと月ほど前のものですが、きょうも同じ様子です。

議会の「まとめ」/いわき理容美容学校

2月議会の「まとめ」のための県議団会議です。

毎議会、冊子にまとめているものですが、それぞれがまとめた文章をまた全員で読みながら点検。

個性的な表現ももちろんあるし、「裏づけ」確認もあり、一日がかりで、あすには仕上げます。

途中、県労連から、いわき理容美容学校での全教職員解雇問題について相談があり、担当部署に来ていただいて話を聞きました。

きのうの応援先での福寿草。

古殿町と矢吹町の町議選応援/広い福島

県内ではきょう、県南地域と会津地域の11町村議選が告示されました。先日、「7町村」と書いてしまったのは、県南地域のことでした。

私は県南地域の古殿(ふるどの)町と矢吹(やぶき)町へ応援に入りました。

わが家から自家用車で40kmほど走ると古殿町、そこから数kmで、3期目をめざす岡部淳一候補の自宅兼事務所。

午前中、出陣式と街頭6か所でいっしょに訴えました。定数が2減で12人に14人の立候補。前回トップ当選だけに、「大丈夫論」とのたたかいも含め、大激戦です。

午後はまた40kmほど自家用車を走らせ、矢吹町へ。ここは定数16に党候補者が2人。まず、現職の議席を継ぐ安井たかひろ候補事務所へ。2か所で訴えました。

その後、5期目にいどむ藤井精七候補事務所へ。やはり2か所で訴えました。

原発事故による完全賠償の願い、「税と社会保障の一体改革」の名による被災者生活再生を妨げる政治を転換させる願いを実現する日本共産党の議席の役割を強調しました。

矢吹町では、午後5時の立候補届け出締切りまで、立候補者が16人で、無投票当選が決まりました。

行って帰って、自家用車の走行距離は160kmでした。街宣中はもちろん乗っていません。福島県は広い!

原発事故被害者のつどい

「3・19東電交渉と原発事故被害者のつどい」に参加しました。

「3・11鎮魂と希望のつどい」同様、福島原発事故被害弁護団と浜通り復興共同センター(東日本大震災・原発事故の救援・復興をめざす浜通り共同センター)との共催です。

弁護団が、東電に対してこの会場での集団交渉を申し入れていましたが、東電からは「集団交渉にはなじまない」という理由で交渉を拒否されました。

要するに、個別の話には応じてあげます、という態度です。原発事故による共通の被害に対する共通の願いを被害者が持つことは当然です。それは聞けない、と東電は言っているのです。

不誠実きわまりないというほかありません。

このつどいでは、元公害被害弁護団連絡会代表の豊田誠弁護士による「公害裁判闘争の教訓と福島原発被害者の権利」と題して講演があり、また、元イタイイタイ病弁護団団長だった近藤忠孝弁護士、そして被害弁護団共同代表の小野寺利孝弁護士の決意表明もありました。

卒業式/相談

いわき市にある東日本国際大学・いわき短期大学学位記授与式(卒業式)に来賓参加しました。

大学の経済情報学部・福祉環境学部、短大の幼児教育科・幼児教育科専攻科福祉専攻の251人の卒業式です。

祝辞はいわき市長(代理)、いわき商工会議所会頭、県高等学校長協会いわき支部長の3人。地元いわきの学校らしいと思いました。

ほぼ100%に近い就職率で、0.08%の卒業生が決まっていないことは気になるところですが、震災体験直後の卒業生には、がんばってほしい、と願うほかにありません。

午後はわが家に約束していた相談者。震災をはさみ、賃貸家屋の件でした。大家さんの事情、仲介の不動産業者の事情、ご本人の事情がからみあっているようで、なんとも悩ましい話です。

雨/同級生の所長/なかなかな日程

議会会期中、朝8時前には必ず寄る県庁内の「県民ホール」。会期中に使い忘れたので。

小名浜地域で私の宣伝カーを使って行動予定を組んでいましたが、その宣伝カーを先週から選挙が近い地域に貸し出していたのでした。

しかも午前中から雨が強く降り出し、現地へ行って担当者と相談のうえ、「延期」にしました。

家にもどる途中、私の中学校時代の同級生が所長の事業所に顔を出すと、ちょうど会議が始まっていました。「残念!」と思いきや、所長が会議室から出てきて、「ちょうどよかった、ひとこと話をしてほしい」と。

この営業所としては震災に見舞われた直後の今年度決算は初めての赤字らしく、県内の各中小業者がまったく同じだったり、よりきびしい状況にあり、こうした事態打開のために、政治・行政の仕事の重要性、何よりこんな事態を生み出した原発行政の問題を話しました。

来週の日曜日には、党いわき北部後援会主催の「つどい」で、渡辺ひろゆき市議とけっこうな時間、話す機会があり、その準備もしないとならない、と、きょうになって思い立つにいたりました。

来週には県内7町村で25日投票の選挙があり、その応援、また県議団としてはきのう終わった議会の「まとめ」をする会議もあり、なかなかな日程です。

複雑な思い/鎮魂と希望のつどい

朝から各テレビ局は震災1年の特集報道。私の日曜日朝はTBS系列しか見ないのですが、なんか、あらゆる場面で1年前に出歩いていた場面を思い出し、なおかつ、政治・行政の動きの遅さに、複雑な思いにかられながら、涙がにじむのです。

午後は「3・11鎮魂と希望のつどい」に参加しました。「福島原発被害弁護団」と「浜通り復興共同センター(東日本大震災・原発事故被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター)」共催のつどいでした。

第1部が「鎮魂のつどい」で、創作太鼓の「響会(ひびきかい)」による太鼓演奏3曲、そしていわき市伝統芸能でもあるじゃんがら演奏を「大乗講」のみなさん。

それぞれ心のこもった演奏で感動です。

第2部の「希望のつどい」では、「みなまたの教訓をふくしまで」と題し、原爆症認定訴訟熊本弁護団長・水俣病訴訟弁護団事務局長の弁護士・板井優(まさる)さんの講演、そしていわき市出身で昨年古稀を迎えた福島原発被害弁護団共同代表の弁護士・小野寺利孝さんの「原発事故被害者の権利と要求実現の展望」と題した講演。

「危険なものは選択しないという選択をする」と強調する板井さん、地域社会や人びとの心を「引き裂き、傷つけ、劣化させる」原発事故を告発する小野寺さんの話に共感です。

「かけはし」と「あしたの風」を配布

夕べ、きょうのうちに私と宮川さんの通信「かけはし」と私の「あしたの風」を配れるようにセットしておきました。

「あしたの風」については、この日誌で記録し忘れてしまっていたのですが、昨年12月からひと月に一回のペースでつくりだした私の活動報告です。私が住む地元の後援会員が中心になってくれています。

第3号の2月号からは、私がまだ母親のおなかのなかにいたころから高校生まで、いわきで暮らしていた話を公にしていた母親による文章の連載が始まっています。

当然、私の記憶にはないこと、私の記憶とはすれ違うことも出てくるはずです。

ともかく朝から雨模様で、午後2時過ぎ、雨があがったのを見計らい、「オレも連れてけ」と催促するペロを連れて、ご近所240軒ほどに配布しました。

雨が降るのを避けるのに急いで配ったので、寒いなかでしたが汗ばみました。