夕べ、きょうのうちに私と宮川さんの通信「かけはし」と私の「あしたの風」を配れるようにセットしておきました。
「あしたの風」については、この日誌で記録し忘れてしまっていたのですが、昨年12月からひと月に一回のペースでつくりだした私の活動報告です。私が住む地元の後援会員が中心になってくれています。
第3号の2月号からは、私がまだ母親のおなかのなかにいたころから高校生まで、いわきで暮らしていた話を公にしていた母親による文章の連載が始まっています。
当然、私の記憶にはないこと、私の記憶とはすれ違うことも出てくるはずです。
ともかく朝から雨模様で、午後2時過ぎ、雨があがったのを見計らい、「オレも連れてけ」と催促するペロを連れて、ご近所240軒ほどに配布しました。
雨が降るのを避けるのに急いで配ったので、寒いなかでしたが汗ばみました。
長谷部さんは明日の東日本国際大学の「追悼式」には出席されますか?