科学の今を読む

初日(20日)のリツキサン、2日間(21・22日)のシタラビンを終えてけさを無事迎え、とりあえずひと安心です。

体調もよく、中村秀生・間宮利夫[共著]『科学の今を読む』(新日本出版社)を読みました。著者の2人は「しんぶん赤旗」社会部科学班所属。本書は雑誌『月刊学習』2010年3月号~16年9月号までの6年余り、「科学トピックス」として執筆した連載から一部を抜粋して加筆・修正してまとめたものです。「10年前には考えられなかった事実が次々浮かび上がり、人類史を大きく塗り替え」、「科学研究は文字通り、日進月歩です」。また、あらためて、「科学」の守備範囲の広さを感じます。たとえば「地球・自然・環境」をテーマにした章がありますが、化学薬品と「沈黙の春」ふたたび、「国内外来魚」と地域ごとの生物や生態系の問題、マヤ・アンデス・琉球など環太平洋の非西洋文明の盛衰と環境変動の因果関係、未来の天気予報、などなど、日ごろあまり考えたこともないようなことも取り上げられています。
そして、「科学者を軍事研究に動員しようとする動きも強まっている中、憲法9条とともに、科学の研究成果で世界の人々の幸せに貢献できるような日本の姿勢を求めていきたいと強く思」う視点での取材と執筆。共感します。

シタラビン療法/今回は最後まで無事

治療3日目は、シタラビン療法で、メニューはきのうとまったくいっしょの12時間コース。吐き気止め・副作用抑制剤→シタラビン→アミパレン(アミノ酸輸液)×2→吐き気止め→シタラビン。12月2日の前回は、最初のシタラビン開始1時間後ほどに、昼食のために移動した途端、めまいがし、全身寒気で汗がにじみ出るうえ、しばらく動けずに、ナースコール後、2時間ほど意識もうろうとしていたので、今回も戦々恐々でした。が、意識をなくすこともなく、本もじっくり読めて、今回は最後まで無事でした。ただ、朝食前から断続的にしゃっくりが出て、またエンドレスかと心配しましたが、いつのまにか止まってくれ、こちらもひと安心でした。

日本の地方自治 その歴史と未来

宮本憲一著『[増補版]日本の地方自治 その歴史と未来』(自治体研究社)を読みました。05年に発行された本に今年(2016年)4月に増補され、ちょうど第一回目の入院生活を終え、自宅療養中だったので、その機会に何としても読みたいと思って購入しましたが、第二回目の入院機会が予期せず来てしまい、今の読了となりました。地方自治に関わる人にはぜひご一読を薦めたい本です。「地方自治は住民が生産と生活のための共同社会的条件を創設・維持・管理するために、社会的権力としての自治体をつくり、その共同事務に参加し、主人公として統治することである」。

こう定義される地方自治。この地方自治が、地方創生という命運をかけた選択が強制される中で、自由民権、大正デモクラシー、そして戦後の革新自治体の時期につづくような市民運動がもとめられている、と著者は強調します。

関心のある章の順番で読んでみました。「地方自治とはなにか」、「3・11大災害と戦後憲法体制の危機」、「維持可能な社会と内発的発展」、「歴史的転換期の地方自治」「戦後地方自治制の危機と再編」、「戦後地方自治の展開」、「近代地方自治制の展開」、「恐慌・戦争と地方行財政」。全体として、後ろから前へ、といった感じ。いずれにせよ、読みやすい叙述で理解しやすいと思います。

シタラビン/12時間の点滴治療/第九

当初、きょうの化学療法は、メソトレキサートという薬剤を使うように聞いていましたが、けっきょく、12月1・2日と同じメニューのシタラビンにしたようです。

いつものように、吐き気止めのカプセル剤を点滴前に服用。

午前9時50分には吐き気止め・副作用抑制の点滴開始、約1時間。11時ちょっと過ぎからメインのシタラビン、約3時間。ややこの点滴の時間がのびて、午後2時45分ぐらいからアミノ酸補給の輸液を2時間×2本。

次に、再度吐き気止め点滴1時間。

午後6時50分ごろから、きょう最後のメイン点滴・シタラビンで、12時間に及ぶきょうの治療終了。あしたもまた同様のメニューと思います。

最後の点滴中、NHK-FMでは「N響“第9”演奏会」放映中。昼間もDVDで1番・8番とともに「第九」を視聴していました。

治療開始/血管確保/リツキサン/クラクラするのとわき腹痛と…

自宅外泊から帰り、翌日からさっそく治療開始です。朝の採血、そして点滴の「血管の確保」に、看護師さんたちは難儀しているようです。けさも、両方とも「選手交代」してやっと確保。

血液検査の結果は、各種値が戻っていて、とくに異常なし、とのこと。点滴も、血管確保に少し時間をとって、10時10分に開始したリツキサン(分子標的薬)、午後3時15分には無事終了。

自宅へ外泊する際に「発症」した頭クラクラ感が若干残り、歩くのもやや難儀することと、右わき腹の若干の痛みがやや不安です。わき腹は、自宅に外泊する当日、「寝違えて」腹の筋肉痛とかってに解釈していたのですが、どうもそうでもなさそうで…

何かしらが起こる自宅外泊/四つん這い移動

「ゆったり」して「気が緩む」(?)わけではないでしょうが、自宅外泊時は何かしらが起こります。

前回は連日、38度台の高熱が出て、解熱鎮痛剤でごまかしていました(病院からは、高熱が続く場合はすぐに病院へ戻るように言われていましたが‥)

今回は、いちばん心配していた熱はずっと36度台の平熱で問題なしなのですが、それよりも深刻な症状が「頭のクラクラ感」。立って一人で歩くのが不安な状態です。四つん這いになったり、妻の肩を借りたりして移動せざるを得ません。

自宅に戻ってから突然こんな症状が出始め、困ってしまいますが、ともかく、あす朝、朝食後には病院に「帰り」ます。

何気に自然と「病院に帰る」という表現が出てくるようになってしまった感じ……

2か月ぶりの自宅/「ゆったり」できそう

ちゃんとチェックはしていませんでしたが、もしかして、10月14~16日以来、ほぼ2か月ぶりの自宅です。病室からわが家の玄関まで、自家用車で移動すれば20数分。物理的にこんな近くとも、病院と自宅は遠い!

やはり自宅は、「療養」面でも、ゆっくりできる気がします。きょうもずいぶんとゆったりと寝ることができました。この、「ゆったり」が、病院とはぜんぜん違います。今のところ、発熱をすることもなく、あと1日半、ゆったりできそうです。

17~19日と自宅外泊予定/帰るや、リツキサンとメソトレキサート

あした(17日)から月曜日の19日までの外泊許可を受け、自宅外泊予定です。ただし、39~40度などの高熱が続くようだったら直ちに病院へ戻るのが条件。いま世間はノロやらインフルエンザやらの感染ウイルスが蔓延しているらしく、仮に感染すると、来週予定の治療にも大きく影響してしまいます。また、38度を超えた場合に服用する解熱鎮痛剤もあずけられます。病室ではまたベートーヴェンのDVD交響曲集「3」「4」「5」を視聴したり、読書にゆっくりいそしんだり。体温が午前6時37.1度、午前9時37.5度、午後2時37.4度、午後7時38.0度と、微妙な熱なのが気に入らないところです。

外泊後の来週の予定としては、20日朝に血液検査、当日に分子標的薬のリツキサン(R)、翌21・22日とメソトレキサート(MTX)による化学療法となるようです。

DeVIC療法は6クール予定のところ、効果薄で3クールまでで、今回実施しているのは私にとって初めての「R-大量MTX+AraC療法」ということになります。AraC(シタラビン=キロサイド)は今月1・2日と実施しました。

柳家小三治の落語4

『柳家小三治の落語4』(小学館文庫)を読みました。再発・入院直前に、本屋で見かけて購入していました。

オビにあるように、「1~3」発行後、8年を経ての刊行だそう。「前口上」によれば、師匠自身が出版社に「出版してよ」と迫ったらしく、なぜかと言えば、「この噺はやってますよ、というしるし」「何か手掛かりを残しておきたい」というわけで、「一度使ったものをまた役ただせよう」という「噺のリサイクル」のため、とのこと。要は忘れてしまうから。音源はいずれもDVDには収録されているもので、文庫化にあたり、全編にわたって加筆訂正をしています。この4巻の8つの噺(8席)は、1970~1983年に収録した演目です。

白血球数は戻り、点滴抗生剤も必要なし/熱は下がるだろう/当面の治療日程

朝5時半には尿提出、6時には採血、体温が38度2分。きょう一日、先が思いやられます。

9時過ぎには血液検査の結果が出て、医師が知らせに来てくれました。白血球数はもとにもどっており、白血球を増やす皮下注射も必要なく、きのうで終了。炎症にかかわっても抗生物質の必要はなく、おそらく、自然に熱は下がるだろう、と。

したがって、とくにすることなし!

午後、再度、主治医が来てくれて当面の治療日程について。

来週明けの血液検査によって、20・21日か21・22日に次の治療予定を入れたい、と。したがって、発熱など心配事がなければ、17~19日は自宅外泊可、年末年始はこのベッド上で、と。

なお、きのうは、主治医が連絡・資料提供もして照会もしてもらっている病院で、予約のうえ、妻と娘がセカンド・オピニョンを聞きに行っています。そこへの転院の可能性もないことはないのですが、命がけの手術もあり、なおかつ、医療なので「100%はない」と言われて、かなりの動揺をしています。