血小板輸血/治療メニューはあと3日の予定

きのうの午前中に「発注」していたはずの輸血用血小板が届いたのは、きょうの午後6時ごろ。担当看護師から、「今、届いたので、夕食を終えてからにしましょう」と。午後6時45分開始、8時50分終了、約2時間でした。点滴はほかに、きのうから24日までの予定で始まった1日2回の抗生剤が、午前10~11時、午後4~5時でした。午前の抗生剤開始前は、同じく24日までの予定で白血球を増やすための皮下注射1本。

あしたからは、この皮下注射と抗生剤点滴1日2回のメニューが3日間続き、この病院での治療メニューはおしまいの予定です。

大震災が示した医療提供のしかた/高野病院の診療継続をめぐって

医療提供のしかたをめぐって、東日本大震災は何を示したのでしょうか?

大災害時にあっても、住民の「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障するには、医療は、行政(国・自治体)が公共の責任で、無償で、現物給付されることが不可欠だ、ということでした。

それが、憲法25条が言っていることです。

医療を民間が提供する場合は、その憲法25条に基づき、民間に委託している関係で、国・自治体は、医療を営む民間の経営や働く人たちが安心して従事できる条件を整える責任があります。

憲法に基づく行政による当然のことではないでしょうか。

長きにわたる、憲法無視の自民党政治に侵され、自治体がその精神を失ってしまうことは避けなければなりません。医療に限らず、介護、広く福祉に通じることです。「福祉型県づくり」はその意味で、握って離してはなりません。

広野町・高野病院の診療継続をめぐり、県が開いた緊急会合で医師資格のない高野己保(みお)理事長が、そんな主旨の要請を県に対してしたようです。簡単に言うと県は、「県に責任はなく、あなたが責任をもつのが筋」と理事長を突き放した事態を見て、県による本末転倒の発想に私は怒りを覚えます。上から目線で、モラルハザードでも起こると思っているのでしょうか。  (記事は「福島民友」1月19日付)

転院へ向けての当面の日程/抗生剤・血小板輸血

けさ6時の採血による血液検査を受け、きょうから24日まで午前・午後の抗生剤点滴、およびあした(21日)は血小板の輸血、ということになりました。

14日から始めている白血球を増やす皮下注射は24日まで、25日の血液検査結果を見て、その日の退院決定、27日の転院、となりそうです。

25日の家族の迎えは仕事を終えてからなので、自宅に戻るのはその日の晩。病院の夕食を食べ終えてからです。

当面、そんな日程で動きそうです。

それにしても点滴のための「血管確保」には苦労し、午前の部の抗生剤点滴開始までに25分間を要し、「選手交代」もありました。

転院は27日で

転院予定先の病院からこちらの病院に連絡があり、転院日は来週27日(金)で調整してもらえないか、と。急きょその段取り。なにしろ、JR特急や高速バスにこの状態で数時間とはいえ乗る気にならず、仕事をもつ親族の自家用車で向かう予定で30日か31日していたので、その日程からして大変です。ともかく何とかなりそう。27日の何時に行くとか、病室についてとかは、26日の先方の病院内の調整後でないと確定せず、26日に直接連絡をよこす、とのこと。こちらの病院では、25日には最終の血液検査で結果を見、それによって25日退院、と考えています。

第27回党大会結語/思い出した7年前と3年前

朝9時半過ぎから、第27回党大会への志位委員長の結語を聞いていました。きょうは大会4日目・最終日。

そしたら後半部は子守歌になってしまって、部屋に昼食を持ってきてくれた看護師の声で目を覚ましました。

そこで午後また、結語の録画がアップされた段階で今度は最後までじっくりと聞きました。ほんとうに便利です。

結語を聞いていたら、7年前の第25回党大会には私も福島県党の代議員として参加していたこと(2010年1月13141516日)、3年前都議選応援のことを思い出してしまいました。せっかくなので、当時の様子を…

輸血2日目/ほぼ睡眠/「ポリファーマシー」

赤血球の輸血は2日目。輸血しながらNHK-FMに耳は傾けているのですが、ほぼ丸一日、寝ていた感じ。輸血は眠気を誘うんでしょうか。けさの服薬。昼は1種類1錠減り、夕は1種類1錠増えるのですが、たまたまきょうは、「ポリファーマシー」(多すぎる薬)なる言葉をニュース番組で耳にしました。症状に合わせて薬を処方する方法がその最大の要因のように思いますが、ホントに多すぎない?

採血・輸血・抗出血薬

朝6時前、先週の今年最初の化学療法後、初めての血液採取。その検査結果を受け、きょう、あすと赤血球不足を補う輸血、ならびに抗出血薬2種類の8日間処方。だいたいパターンが決まったかのような…今週金曜の採血後は血小板輸血かな?

今月末予定の転院先病院からの連絡はまだなさそうです。

月曜定例の体重測定は56.8kgでまぁまあ。昼間は、きのうの第27回党大会への幹部会報告の録画を見ていました。もっとも、病床上ではあいかわらず寝たり起きたりで…

富岡高校女子サッカー部・マリーゼ交流

きのう(1月14日)、福島県立富岡高女子サッカー部現役生・卒業生と、原発事故後に活動休止中の東電女子サッカー部「マリーゼ」の元選手との「最後」の交流試合がありました。

「最後」というのは、富岡高女子サッカー部は今年3月末で休校になるからです。

わが家の娘は、このサッカー部に3年間所属し、原発事故1年前に富岡高校を卒業しました。

きのうは、マスコミのカメラもかなりの数だったそうです。地元紙「福島民友」では1面にカラー写真、「朝日」には「福島・浜通り版」に写真掲載。娘は、位置的には両方ともほぼ真ん中。

日本中世の百姓と職能民

網野善彦『日本中世の百姓と職能民』(平凡社ライブラリー)を読みました。1998年に平凡社選書として発行されたものを、2003年にライブラリー版にしたもので、私にしてみれば、「積ん読本」の消化読書です。大半が1980年代に書かれた文章を編んだものですが、相変わらず、「本書は、さまざまな『常識』を覆し、その背後にあった私たちの気づかぬ固定観念を払拭していく」(解説/和崎春日・文化人類学)。著者の「新稿」の「むすび」から強引に引用すると、「百姓が農業を含むきわめて多様な生業に従事するふつうの人たちであったという事実を前提とするならば…その生活は中世の当初から市庭(いちば)と不可分に結びついていた。/十三世紀前半までの百姓は、米や絹・布を主に交換手段-貨幣として、自らの生産した生産物の少なくとも一部を商品として市庭で売却し、生活に必要な物品を購入しており、そうした交易なしにその生活は成り立ちえなかった。…」

網野さんの本は、つねに刺激的です。

皮下注/「分担乗り越え、社会保障充実と雇用の脆弱性克服を」

きょうからまた、白血球を増やすための皮下注射の開始。午前中にし終えたばかりの注射器。さて、けさの「しんぶん赤旗」にはNPO法人「ほっとプラス」代表理事、藤田孝典さんインタビュー。「日本はすでに、高齢者が死ぬ間際まで働かざるを得ない社会になりつつある」。就労の継続を希望する最大の理由は、「収入がほしいから」。
社会保障の充実と雇用の脆弱性を修復することが急務。
そのためにも、市民が手を取り合って分断を乗り越えること、と。