訪問と街宣と/とんでもない消費税増税

朝9時過ぎから小名浜地域の医療生協後援会員と日ごろのつながりがある組合員さん宅を訪問しました。

自営業者は「民主党も消費税を上げるなんて。小さな業者のことも庶民の暮らしも何も分からない人たちがすること」と、怒り心頭でした。

10時半からは日本国憲法を守るいわき市共同センターの市内いっせい宣伝。小名浜のいつものスーパー前を通っていく車からの声援は次から次とあり、話しているほうがびっくりするぐらいでした。

午後2時からは医療生協職員後援会員と訪問。ほんとうにみなさん、政治について話したいことがいっぱいある、共産党に聞きたい、言いたい、とばかりの勢いでした。大きな期待を感じます。

土手にはホタルブクロ。

夕刻からは小名浜のスーパー前3か所と街道沿いの街頭から訴え。近くの公園のおじさんたち、客待ちをしているタクシー運転手さんたち、買い物に来ていたかたからの拍手、激励の言葉。「まったく言うとおりだ。消費税増税なんかとんでもない。財界言いなりじゃないか」と怒る人も。

励まされる声援/叱咤も/帰宅されるみなさん

金曜日の定時定点の街頭では、自転車通勤する高校時代の同級生、そして通勤されるみなさんからの声援に励まされています。

午前中は平の平窪(ひらくぼ)地域の後援会員の案内で6か所の街頭から訴えました。住宅街ですが、通りかかる車からの声援が多いのには、われながらびっくりします。

午後は、小名浜の医療生協組合員の後援会員が、ご近所を案内してくれました。初めて訪問するお宅ばかりなのですが、「民主党のあの政権にはあきれた。菅さんが変えるわけでないどころか、消費税は増税する、沖縄の基地問題は自民党に舞いもどり、共産党にしっかりしてもらいたい」と叱咤されました。

あるお宅の松の木には感心しきり。

夕刻からは、渡辺ひろゆき市議と5か所の街頭から。帰宅するみなさんからのあたたかい声援に感謝です。

「自民党といっしょ」と自民党席から

新首相が選ばれたもとで、予算委員会の論戦抜きに国政選挙になだれ込むというのは、20年来なかったそうです。

自民党による政治を変えてほしい、と国民のみなさんが願ったはずの昨年の「政権交代」ですが、公約破りを続けたあげく、今度は、疑惑隠し、争点隠し、菅内閣正体隠しの国会閉会です。あきれるほかにありません。

おとといの参院本会議での自民党議員の質問では、民主党政権について、普天間基地は辺野古への移設という自民党案に舞いもどり、財源では消費税増税に踏み出そうとしていることで、やっと与党らしくなってきた、と皮肉られ、「自民党といっしょだ」と自民党席から野次も飛びました。

自民党がお墨付きを与える民主党政権の姿です。アメリカに沖縄県民の総意・日本国民の民意を伝えられない、財界に社会的責任を果たせとも言えない、こんな政治は変えましょう。

マリー・キュリーの挑戦

『マリー・キュリーの挑戦』(川島慶子著、トランスビュー)を読みました。

私と同い年の著者は、本書を書くことが、「社会のジェンダー・バイアスのために、女の子と科学が切り離されていた『自分の』時代を描くこと」でもあったと言います。

また、「書きながら、自分自身の人格や行動パターンが、大日本帝国に生まれ、先の戦争を体験した両親や祖父母、あるいはそれ以外の自分の周りにいた大人たちから、深い影響を受けていることを実感しました。そして、科学者になろうとしていた自分は、まさにそういうことを無視したかったのだということに思い至りました」とのこと。

1867年、ロシア占領下のポーランドに生まれた少女が、「物理の先生になって、同時に政治的行動においても祖国の独立に力を尽くそうとした夢」をもっていたことから本書の話が始まりますが、マリー・キュリーの伝記というより、「歴史の中に生きる存在としての人間の可能性」を若い人たちに語りかけている本だと思います。

著者とは、大学時代、キャンパスで時どき話を交わした、というか、私からちょっかいを出していたことを思い出します。30年も前のことです。私がおぼえているだけだとは思いますが。

雨/白水街宣/好間訪問/平街宣

福島高専近くの街道沿いでの定時定点街宣時は小雨。

9時過ぎぐらいから1時間は大雨だったものの、その後は小雨となり、いっきに真夏のような日差しとなりました。

内郷(うちごう)の白水(しらみず)地域5か所の街頭から訴え。あちこちで外に出てきてくれるかたから拍手がありました。元気をもらえます。

午後は好間(よしま)地域の後援会員とお知り合いを訪問。数日前に、街宣時に差し入れをいただいた事業所をたずねると、「共産党の支持が伸びない理由がわからない。党名を変えないことが大きいのでは?」と。

この話になると、戦前・戦中、国家にはむかって戦争反対と主権在民を主張したことが、権力によって「国賊・非国民」扱いされたうえ、虐殺された党員もいた歴史事実に話が及びます。さらには、戦後の旧ソ連・中国・北朝鮮がおかした事件と日本共産党とを意図的に結びつけて宣伝された事実にも及びます。

いずれも日本共産党の主張と現実の姿とは別なところで日本共産党のイメージを持たされていることがミソです。

夕刻には平北部地域の6か所の街頭から訴え。帰宅や買い物の車が増えはじめ、みなさんからの声援にまた励まされました。

更新講習/街宣/鳩山退陣の教訓

朝の小名浜での定時定点街宣には医療生協職員後援会の2人がいっしょに立ってくれました。手を振っていってくれる人も目立ちます。

きょうは運転免許証の更新講習を受講。

午後、平北部地域の後援会のみなさんと5か所の街頭から訴えました。

菅総理となった民主党政権は、予算委員会でボロが出ては具合が悪いとばかりに、16、17日と衆参の予算委員会を1日ずつ開くとした自らの提案を撤回し、あしたで国会をしめて参院選突入です。

菅総理は、鳩山政権の副総理として公約破りを続けてきた責任の自覚と反省はなし、財界が求める消費税増税を否定せず、消費税増税を主張する自民党と検討会議をつくり、増税に突き進む内閣と言うほかありません。

それにしても菅さん、4年前は「海兵隊は守る部隊ではありません。地球の裏側まで飛んでいって、攻める部隊なのです…日本にとっての抑止力とあまり関係がない…(米軍再編では)沖縄の海兵隊は思い切って全部移ってくださいと言うべき」(06年6月1日、民主党代表代行時)と主張していました。

志位共産党委員長がこのことを指摘して問いただすと、「海兵隊をふくむ在日米軍の抑止力は、安全保障上の観点からきわめて重要」と、まるっきり自民党政権と変わらない答弁。

鳩山退陣からくみ取った教訓は、甘さやブレや動揺は繰り返さないことのようで、アメリカと財界に忠誠を誓うことによって長期・安定政権をめざす民主党の姿があらわになってきました。

17か所/支持率/若い女性/つぶやく声

きょうは一日ずっと小雨模様でした。

とはいえ、朝の自宅近くの定時定点から始まり、午前中はいわき駅近くの商店街中心に6か所、午後は平地域東部の住宅街5か所、夕刻はスーパー前の5か所、合計17か所の街頭から訴えました。

何もしていない菅内閣の支持率上昇に「民主党政権にはあきれたのに、どういうわけでああいう調査結果になるわけ?」と2人の商店主から聞かれました。

またある場所では、若い女性が車を止めて、「近くで聞かせてもらいました。民主党にはがっかりです。共産党がすぐに与党になれるとは思いませんが、ぜひがんばってほしい」と声をかけてくれました。

こういう場面はなかなかないことです。

お店に買い物に来ていたお客さんから「がんばってよ」と声をかけられたり、通りがかりのかたが「共産党は人はいいし言うことも間違いない」とつぶやくように声をかけられたり。

やめようプルサーマル/県が発した異議の意義/少数の真実

「やめよう プルサーマル 共同集会」に参加しました。

「プルサーマルに反対する双葉住民会議」「原発の安全性を求める福島県連絡会」「脱原発福島ネットワーク」の共催で、全国的にもなかなかない集まりです、

それぞれの団体が分担し、日本の原子力政策と福島原発の現状、住民の声を無視してすすめられるプルサーマル、知事が受け入れ条件とした長期保管MOX燃料の健全性・耐震安全性・高経年化対策の問題点を学びました。

報告後の意見・質疑の時間に私は、佐藤雄平知事が2月16日に県議会で事実上の受け入れ表明後、東京電力が耐震安全性評価の誤りを7か月前に知っていたことを4月19日に発表したのにもかかわらず、受け入れ表明を撤回しないところに知事の態度の本質が表れていること、前知事時代に「廃炉を見据えた地域の将来を真剣に考える」ことまで踏み込んで日本のエネルギー政策への異議を唱えていたことの意義を発言しました。

午後からは東京電力に共同集会での決議を申し入れました。

家にもどってから同級生宅を訪問。ツバメの巣には6羽のヒナ。食事を持ってくる親鳥が来ると大変な騒ぎです。

「少数意見にこそ真実がある、という姿勢を与野党問わずもって、真剣に政治を考えてほしい」とは、自民党議員を支持し続けてきた彼氏の言葉です。

かけはし/スローライフ/心に響く語り

通信「かけはし」6月号をご近所230軒あまりに配布しました。

先月、初めてお会いできたお母さんから「あらっ、おはようございます」と声をかけられたり、生協病院事務長時代に当直でお世話になっていた医師のお連れ合いに初めてお会いできたり。毎月のことなのですが、こうして歩くことによる出会いは楽しいです。

午後は、「スローライフ・スローフードを考える歌とお話の集い 笠木透さんを迎えて」に一聴衆として参加しました。主催は青空学童保育クラブ・NPO法人いわきクラブ、共催がいわき雑魚塾ですが、私にとっては、14年前にいわきに舞いもどり、息子・娘をさくらんぼ保育園にあずけて以来の関係です。

米作り文化をもつ日本が世界の飢餓を救おうじゃないか、地球上に生まれた生き物の新入りとして謙虚さを人間はもとうじゃないか、魚と野菜といい友だちが人生を豊かにするんじゃないか。73歳の笠木さんの歌と語りは心にズシッ、と響きます。

張本さん「もう一つの人生」

『張本勲 もう一つの人生』(張本勲著、新日本出版社)を読みました。

5歳のとき、爆心地から約2.5kmの広島の自宅で被爆した張本さんが、3年前(2007年)に初めて広島の原爆資料館の入口をくぐることができた最終章(第7章)のくだりには、ちょっと涙なしには読み進めませんでした。

張本さんは私の少年時代のプロ野球選手で、野球少年だった私にとっては、御多分にもれず(?)、ONに次ぐあこがれの選手でした。通算3085安打は日本プロ野球公式記録歴代1位です。

在日韓国人として、「帰化はしない」と決めたことを語るなかでは、プロレスラーだった力道山や大投手・金田正一さんも登場します。

魅力ある日本プロ野球にするための提言や、メジャー、イチロー、韓国野球、バッティング学を語る章は、「サンデーモーニング」で「あっぱれ!」「喝!」と叫ぶ姿そのものの熱情を感じます。