午前、午後と、医療生協党支部のみなさんと日ごろお世話になっているかたがたを訪問して歩きました。
なかには、1967年の浜通り診療所設立のときからや、いまの場所に病院が引っ越す前から、それこそ親の代からの話をされるかたも複数いらっしゃり、びっくりしました。
当時から、医療機関づくりや生協づくりのために、共産党の人たちが走り回っていたことを語ってくれたのです。「共産党の人たちがいなければ、今のような病院もなかったし、自分たちが安心して通える環境もできなかった」と。これからいよいよがんばらねば、の思いです。
ある家庭では、息子さんのお嫁さんと子どもたち、娘さんが原発事故以来の避難で家族がバラバラに。息子さんは仕事があるので一人で市内に残り、週末には片道5時間かけて車で家族の避難先へ行っているとか。退職して避難先に引っ越すか、家族にもどってもらうか、いまだ先が見えない家族生活なんだそうです。
またあるかたは、仕事で東電にはお世話になっていた、と。「ただ、仕事の関係でも東電の人たちは、時間の約束などあってないようなもので、いくら待たせても、あやまることなどしない。雲の上に住んでいる人たちのようだった。事故後も反省しているようにはまったく見えない」と。
ともかく、原発が話題になると、「誰が福島に持ってきたの!?」「誰がぜったい安全だ、なんて言ったの!?」「原発はもういらない!」「原発のない日本にしたい」と。