「激しく大地が揺れることは、しばらくのことでおさまったけれど、その余震は当分絶えることがなかった。普段なら、驚くほどの地震が、2,30回、揺れない日はない。10日、20日過ぎていくと、ようやく間遠(まどお)となり、ある日は一日に4,5回、2,3回、もしくは1日おき、2,3日に1回など、その余震はおよそ三ケ月ほど続いたでありましょうか」(鴨長明「方丈記」、浅見和彦訳、ちくま学芸文庫)。
熊本地震の余震の多さと大きさに、つい思い出してしまいました。1185年、京都盆地の北東部を震源にマグニチュード7.4と推定される地震の際の鴨長明の記録です。
5年前の大震災のあと、ずいぶんと話題になったものでした。
【NHKニュースから】
きょうも一日、熊本地震報道番組をNHK、ANNで見続けました。
【ANN報道特別番組から】
震源地が大分県下にも至ったことで、別府湾から九重(くじゅう)・阿蘇をへて島原半島に至る「別府・島原地溝帯」、別府湾から大分県西部にかけて活断層が帯になっている「別府‐万年山(はねやま)断層帯」という名前が出てきました。
地図を手放せず、ネットでの検索もしばしば。またこれらと連なる、四国や紀伊半島を通る「中央構造線断層帯」にも影響を及ぼす可能性、南海トラフ巨大地震を誘発する可能性も触れられていました。
【以上2点、ウィキペディア】
いずれにせよ、この自然の営みと、命の犠牲を目の前に、人間味をもって想像力を働かせるなら、原発を止め、なくす決断は当然のことだと思います。【『地震列島日本の原発』(立石雅昭著、東洋書店、2013年)のカバー表紙の図】
想像力、これこそが大切だ。
活断層のラインが阿蘇周辺には一本も引いていない。
これは現状では、火山灰の下に隠れ、確認されないだけに過ぎないのだろう(先月、私は秋田の大館シンポジウムで十和田aに関する群大の早川由紀夫氏の話を聞いてきたばかりだ)。
こういう場所だけではなく、沖積地、市街地、海底、正確には掘ってみないとわからない場所が、ほとんど無数に存在している。
専門家の言う、とぎれとぎれの「活断層」は想像力で補うしかないのが正しい現状認識だ。