『福島原発事故賠償の研究』(淡路剛久・吉村良一・除本理史[編]、日本評論社)の第2章「責任論」の「Ⅰ 東京電力の法的責任 2 大津波の予見は可能だった」(山添拓弁護士)の文章から、時系列で私なりに整理してみました。
色や下線はあまり気にしないでください。
1990年 東北電力社員技術者ら「仙台平野における貞観11年(869年)三陸津波の痕跡高の推定」。
この研究成果を待つまでもなく、1970年代の女川原発の申請・着工当時からの津波対策への考え方が、東電とは違っていた。東北電元副社長・平井弥之助氏の強い主張で地盤高を14.8mにした。当時の計算法に従えば津波高3.9m(のち9.1mに修正)
1993年 北海道南西沖地震
1995年1月17日 阪神・淡路大震災
同 年7月 地域防災対策特別措置法
→文科省・地震調査研究推進本部設置。地震の総合評価は「地震調査委員会」。
1997年 4省庁「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」
1998年 7省庁「地域防災計画における津波対策強化の手引き」
(これら「報告書」「手引き」では、既往最大という従来の津波想定の考え方を転換。福島県沖を含む宮城県沖から房総半島沖の領域のどこでも起こり得る最大の地震は、1677年の延宝房総沖地震[M8.0クラス]とされる)
→東電が2008年にした試算で、福島第一原発のもっとも近くでこの地震が発生すると、敷地に到達する津波高さは13.6m
2000年 電事連「津波に関するプラント概略評価」→各原発の津波の想定値と解析誤差を考慮した想定値の1.2倍、1.5倍、2倍の津波高さによる原発への影響福島第一原発1~6号機は、想定水位が5m、いずれも1.2倍の津波で「海水ポンプのモーターが止まり、冷却機能に影響が出ることが分かった」。
2001年 箕浦幸治・東北大教授らが、貞観津波の再来周期は800年から1100年と推定(この年は、869年から1132年経過)
2002年2月 土木学会原子力土木委員会・津波評価部会(1999年度設置。委員・幹事の過半数は電力業界、1億8,378万円の研究費全額を電力会社が負担)が「原子力発電所の津波評価技術」
→福島第一原発の設計津波再考水位は5.7m、6号機の一部で敷地高さをわずかに上回り、設置レベルのかさ上げで対応できる結論
2002年7月31日 地震本部地震調査委員会「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」→震源域について1896年「明治三陸地震」のモデルを参考に、領域内のどこでも発生しうる
→東電が2008年、「長期評価」に従い福島第一原発での津波高さを試算。最大で5号機のO.P.+15.7m。敷地高さがO.P.+10mの福島第一原発における浸水は確実
東電は、「文献上は福島県沖で津波地震が起きたことがない」という理由で対策見送り。「報告書」「長期評価」が過去に起きていない地震は将来も起きないという考え方を明確に退けたにもかかわらず、従来の考えに固執し対策を検討すらしない。
2004年12月 スマトラ沖地震
2005年 文科省が「宮城県沖地震における重点的調査観測」委託研究(東大地震研・産総研)
2006年 原子力安全・保安院、独立行政法人原子力安全基盤機構、電気事業連合会、電力各社による「内部溢水、外部溢水勉強会」
→東電は、5号機について、10mの津波水位が長時間継続すれば非常用海水ポンプが使用不能となること、14mであれば建屋の浸水により電源を喪失し、原子炉を安全に停止するための機能が失われることを報告
2006年7月 東電がアメリカで報告したマイアミ論文
2008年 佐竹健治らが貞観津波の数値シミュレーション報告
同 年 上記報告を受け東電が福島第一原発について試算。1~4号機でO.P.+8.7m、6号機でO.P.+9.2m。不確実性を考慮して2~3割高くなった場合には、いずれも敷地高10mをはるかに超えることは確実。
2010年 産総研ほか「宮城県沖地震重点的調査観測 平成20年度成果報告書」
→貞観津波が断層の長さ200km、幅100km、すべり量7mの地震による津波であること、津波の到達範囲は宮城県から福島県の沿岸であること、過去4000年間に450年から800年の間隔で繰り返し発生していること
2011年3月3日 東電は、地震本部による「長期評価」改訂作業について、非公式会合で「貞観地震が繰り返し発生しているかのようにも読めるので、表現を工夫していただきたい」
2011年3月11日