安倍首相が、5月20日の党首討論で、ポツダム宣言(1945年7月26日)を「私はまだ、その部分をつまびらかに読んでいない。論評は差し控えたい」と言うので、私は率直に驚きました。
少なくとも、第二次世界大戦後の今の日本の始まりがこの宣言の受諾にあり、安倍首相が「戦後レジームからの脱却」を繰り返す、その「レジーム」(体制)の基盤になっているからです。
自分で脱却しようとしている「レジーム」を知らないで、ただ、脱却をさけび、戦争できる国づくりのための「戦争法」を準備している人物が日本で首相をしている、ということです。
党首討論で志位委員長が取り上げたのは、ポツダム宣言の第6項と第8項でした。
6項は、無責任な軍国主義が世界からなくならなければ、平和、安全および正義の新秩序が生まれないので、日本国民をだまして世界征服に出る誤りを犯させた者の権力と勢力を永久に取り除くべき、といった趣旨です。
8項は、「カイロ宣言」(1943年11月27日)を実現すべき、と言っていて、カイロ宣言では、日本の戦争が侵略戦争であり、暴力と強欲で奪った地域の返還を求めています。
6項の「平和、安全および正義の新秩序」は国際連合のことで、「紛争の平和的解決」を根本精神とする国連憲章の文案作成作業が1944年8月から始まっていました。
さらにさかのぼると、1941年8月14日に発表された「大西洋憲章」の第6項では、ナチス・ドイツの暴虐を非難し、すべての国のすべての人が恐怖と欠乏から解放され、その生命をまっとうすることを保障する平和の確立を呼びかけていました。
国連憲章と日本国憲法の理念がすでに示されていたのです。
こうして見れば、過去の戦争を侵略戦争と認め、平和国家として再生し、国際社会に復帰する約束が日本のポツダム宣言受諾です。
安倍首相は、過去の日本の戦争を侵略戦争どころか間違った戦争ともすらいえない人物であることが世界にさらされました。戦争の善悪のつかない首相の戦争法への暴走はもってのほかです。