「政府への要望事項」を高橋ちづ子衆院議員を通してあらかじめ伝え、党県委員会・県議団として省庁交渉をしてきました。午前11時から、昼食をはさんで午後5時前まででした。
賠償に関して8項目、避難者支援策などについて6項目、原発事故収束作業などに関して4項目、除染に関して5項目で、対応してくれたのは、文部科学省、経済産業省、復興庁、厚生労働省、内閣府、国土交通省、環境省、農林水産省の8府省庁におよびました。
復興庁だけでなぜ対応できないのか、「国が前面に立つ」具体的体制や構えがどこにあるのか、被災者を分断する施策が原因の確執や家族・コミュニティ破壊の解消をどう図るのか、人権の回復を中心とした「人間の復興」を国としてどう位置づけているのか、基本的・根本的なところで納得できる説明を聞けないことがきわめて深刻だと思わざるを得ませんでした。
たとえば避難者支援の基本になる被災地の復興のやりとりで、復興庁職員は、「事業の進ちょくがどこまで進んでいるかを見ながら」と言うのですが、そういう認識では、ハード面で目に見える事業が「復興」の基準のようです。
自主的な避難を含めた避難生活の長期化、事故収束の見込みがみえないなかで、個人の尊厳も、幸福追求も、人間としての生存も、先祖代々からの財産も奪われている人間としての人権の復興が、人類未曾有の原子力災害の最大の課題であることは、眼中になさそうなのです。
なにより、国策としてきた原子力政策による未曽有の被害の原因者が国にあることの自覚が感じられないことは、安全神話に取りつかれてきたことに反省しているかのようなことを言いながら、新たな安全神話にすがろうとする安倍政権の姿勢の反映であることは間違いない、と私は思わざるを得ません。
原発再稼働に関してある職員が、「世界最高水準の安全基準」などと言うので、「その証拠を私たちが納得できるよう説明をしてください」と私が求めると、「すいませんでした」という話は、その象徴のようです。