理論活動史/公開論争50年/検証すべき世界的意義

140604理論教室

党県委員会で「第1回理論教室」があり、今年4月8日に党本部で不破哲三・社会科学研究所所長が「日本共産党の理論活動史」と題して行なった講義前半の録画視聴です。

今年2014年は、日本共産党がソ連共産党と公開論争を始めて50年目。党が今日の理論的到達を築くまでに何を開拓し、どんな努力をしたか、その発展の歴史を理解することが、今後の理論活動に役立ち、時代の要請に応えてさらに理論的発展の展望を開くことになること、そして、スターリン以来の「マルクス・レーニン主義」とはまったく違う科学的社会主義の本来の姿を取り戻す理論的発展を、世界的視野で見ることの重要性が語られました。

50年前に少し立ち入ると、1963年8月にソ連共産党が公然と名指しで日本共産党を攻撃する論文を機関紙に発表し、64年5月には日本共産党の破壊活動を公然と始めた党国会議員らを全面的に支持するなどの攻撃を行い、同年7月に、日本共産党中央委員会にあてた4月18日付の書簡を突然一方的に公表するという経過がありました。

これに対し、1964年8月26日付けで「ソ連共産党中央委員会の書簡(1964年4月18日付)にたいする日本共産党中央委員会の返書」が送られ、公開論争が始まったのでした。

私は当時、まだ小学生にもなっていませんが、新聞社では、警察・公安関係から共産党のことを聞く社会部担当で、政治部に共産党担当はなかったんだそうです。

以来50年、ソ連共産党はすでに23年前に解体し、ソ連共産党の「理論」を借り物にしていたイタリアやフランスの共産党の姿も消え、発達した資本主義国では、財界代弁者の政権党とまともに対峙しうるのは日本だけ、という状況です。

真剣に検証すべき世界的意義があるのではないでしょうか。

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