今年を振り返ってみました。
1月25日には、昨年の1月に引き続き、県議会常任委員会として事故原発視察。3号機建屋前の海側を東電のバスで通過すると、車内でも毎時1.5ミリシーベルト超。その後も相次ぐトラブルや事故に見舞われ、熟練労働者が現場を離れ、「国が前面に」も口だけで、事故収束の見込みもないまま年越しです。
2月県議会(開会日が何月かによって〇月議会と呼びならわしています)では、3月21日に総括質疑に立ち、福島県が県内10基廃炉を言っても国が応じない根拠として、「原発の潜在的核抑止力」があることを指摘し、日本の政治からその考えを一掃すべきことを提起しましたが、知事が答弁に立つ場面はありませんでした。
4月14・15日には、県庁所在地に原発がある島根県松江市長選・市議選の応援へ行き、福島の実情を話しながら、松江から「原発ゼロ」の声を広げよう、と訴えました。3人の市議候補全員が当選しました。
同じく4月19日には、全町避難の浪江町議選で応援、福島市内の仮設住宅を馬場績(いさお)候補と訴えました。21日の投票で馬場さんはトップ当選しました。
5月9・10日には都議選を控えた江東区のあぜ上三和子都議の応援。あぜ上さんや区議のみなさんと街頭宣伝、つどいに参加。6月県議会開会の翌6月19日には世田谷区の里吉ゆみさんの応援へ。24日が投票で2人とも当選し都議会では8議席から倍増の17議席になりました。
6月議会の最終日の7月3日には討論に立ち、「年金2.5%削減中止を求める」「公的保育制度の堅持を求める」「義務教育国庫負担金の教職員給与費の2分の1国庫負担復元を求める」などの請願・意見書の採択・可決を訴えましたが、自民・民主などが反対し否決されました。
9月議会では10月1日に一般質問に立ち、福祉型県づくりをおもなテーマにしました。実態と大幅にかい離している看護需給計画を実効ある計画とすること、地域包括ケアシステム構築への県の姿勢をただしたのは福島県議会で初めてだと思います。
11月2日には「なくせ!原発 11・2ふくしま大集会」がありました。
11月13・14日には復興公営住宅や海岸・漁港復旧の工事請負契約を議案とした臨時議会があり、あわせて議長・副議長選がありました。私たちの働きかけにより、少なくとも副議長選がまともな選挙になったと思います。
11月24日には鳥取県境港市内の2か所でそれぞれ1時間の時間をもらい「福島の今」を語らせていただきました。
12月議会では、特定秘密保護法案に関して議長として参院での慎重審議と強行採決をしないことを表明すべきと、自民・公明を除いた4会派共同議長申入れ、同じく4会派による法案廃案共同声明と共同街頭宣伝は、歴史的と言っていい出来事だったと思います。
県外避難者のみなさんの話を聞いたり、県内の仮設住宅住まいのみなさんの話を聞いたり、避難指示を受けたり受けている自治体首長さんの話を聞いたり、原発震災からの復興は道険し、の思いを強くしたことと同時に、そんなことには思いも至らない安倍暴走政権をストップさせる思いをいよいよ強くした年越しです。