安倍晋三首相が、首相としては小泉純一郎首相の2006年終戦記念日以来、7年ぶりに靖国神社を参拝した、とのこと。
靖国神社参拝について、様ざまな立場からいろいろな見方があることは誰もが承知していると思います。問題は、靖国神社が、日本の過去の戦争を「自存自衛」「アジア解放」のための「正しい戦争」という戦争観・歴史観をもっていることです。
「正しい戦争」に「戦犯」などいるはずがありませんからA級戦犯を神としてまつって当然です。一方で、原爆犠牲者、東京大空襲犠牲者、沖縄戦の犠牲者はまつられていません。
靖国神社は自らの使命として、正しい戦争を遂行した「英霊の武勲の顕彰」と、正しい戦争をした「近代史の真実を明らかにする」ことだと、公言しています。こうしてみれば、靖国神社は一般的な「神社」などではさらさらなく、日本の過去の侵略戦争を「正しい戦争だった」と国民に知らしめようとする政治運動団体です。
私の手元にある10年前発行の「靖國神社 遊就館図録」には「アジア民族の独立が現実になったのは、大東亜戦争緒戦の日本軍の輝かしい勝利の後であった。日本軍の占領下で一度燃え上がった炎は、日本が敗れても消えることはなく、独立戦争などを経て民族国家が次々と誕生した」と、日本の戦争のおかげでアジアの独立諸国家が生まれた、と、誇らしく書かれています。
首相が靖国神社を参拝することは、日本の過去の侵略戦争を正しい戦争だったとする戦争観を改める気はない、と宣言することに等しいことです。
「中韓の人々の心を傷つける気持ちは毛頭ない」などと言うのは口先だけであって、心を傷つける自覚がまったくないのです。
この1年の彼の国会の数だけを頼った横暴を見れば一目瞭然です。民衆の声も、北東アジアの人びとの声も、彼に聞く力はありません。