相談会/「山歩の会」学習会

「東日本大震災・原発被害の救援・復興をめざす浜通り共同センター」による第1回相談会がありました。

私が受けた相談は、たまたまお2人とも代理のかたでした。

警戒区域と緊急時避難準備区域となっている川内(かわうち)村に畑があり、居住しているいわき市内から通って野菜栽培をしていたが、原発事故以降、どうなっているのか確認したくても、行くこともできない、こうした場合の補償はどうなるのか、という相談。

もうお一人は、警戒区域内の楢葉(ならは)町からいわき市内へ避難しており、家は地震によって住めない状態であり、加入している家屋保険会社に相談したところ、家屋の状態の確認後というものの、立ち入ることができないのにどう対応したらいいのか、家屋全壊の罹災証明は町から受けている、という相談。

午後は、医療生協のサークル班「山歩(さんぽ)の会」主催の学習会「原発事故の本質を知ろう!!」に、伊東達也さんと参加しました。

私からは、原発事故後、医療生協の組合員さんや知り合いを訪問して歩いた際、ほぼすすべての人からと言っていいぐらい、原発事故問題のゆくえが話題になったこと、いったん市外・県外へ避難してもどってきたかたが多かったこと、05年2月県議会での私の質問のこと、「安全神話」がもたらした罪を報告しました。

みなさんからは、東電の工程表どおりいくんだろうか、事故収束のために政府はアメリカ・フランス始め世界の英知を集める姿勢があるんだろうか、事故とは別に、今後の健康を考えたときにCTなど放射線を浴びる検査を受ける機会がふえると思うが、どう考えたらいいんだろうか、今のいわき市内の状態で、洗濯物を外に干してからの対応はどうしたらいいだろうか、などなど、さまざまな疑問・不安が語られました。

いわきの被災の様子を視察に来ていた「原発問題住民運動全国連絡センター」の事務局長・次長さんの2人も参加され、こうした疑問などにも答えてくれました。

「安全神話」の大罪/恐怖感情は子どもの責任?/政治家の責任

原発事故以後の、放射線をめぐる勉強会の機会を通し、「安全神話」の罪深さを深く感じています。

「安全神話」を振りまく片棒を担ぎ続けた政治家には、自ら責任をとってほしいと思います。が、「安全神話」に迷わず一貫して切り込んだ政党は共産党以外にないので、「みんなで渡れば」よろしく、誰も責任に言及しないかもしれません。「有権者がまた選んでくれた」と、選ぶ有権者に責任を転嫁することもおおいにありえます。

ともかく、これまでは、私たちの身の回りの放射線は、宇宙からのものを含めた自然界からの放射線と、1960年代前半までは堂々と行なわれていた核実験を含め、医療の場でのレントゲン写真など、人間が意図的に放射線を出す場合を前提に、被ばく放射線限度量が示されていたのだと思います。

ところが今回の原発事故は、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故、1986年の旧ソ連・チェルノブイリ原発事故につづき、あるいはそれら以上に、制御しようがなく放射線が出続けるかもしれない事態です。

なにせ日本は、こうした事態は「ぜったいない」ことを前提に、原発を増設し、プルサーマルを進め、放射線が出続けるときの身体影響や避難体制など、考える必要はない、と、国家をあげて国民に刷り込んできた国です。

そういう意味で、大人たちが政治的に無知を強いられ続けたきたときに、こうした事態に遭遇しました。大人たちが、「放射能」と聞いただけで恐れおののく頭にさせられてきたわけです。

子どもたちは、何を根拠に大人たちが恐れおののいているのかわかりません。聞いても答えてくれません。場合によっては、大人の恐怖感情を、子どもたちがいだいているんだ、と何も知らない子どもの責任にする場合すらありえます。

「安全神話」の底なしの罪深さをここに私は感じるのです。「安全神話」を振りまいた政治家のみなさん、責任をとってください。

政党助成金/思いやり予算/大企業・大金持ち

震災復興に身も心も投じているときに、国内ではあっちを向いていることがいくらでもあります。

2日前には、共産党を除く9政党が計約80億円の政党助成金を受け取りました。

年総額約320億円について、今月1日に総務省が配分額を決定し、9政党が11日までに第1回分の受け取りの請求書を提出したわけです。19日付の「毎日新聞」夕刊で「政党交付金をガマンせよ!」のコラムがあったようですが、全体として、ずいぶん静かなようです。はらわたが煮えくり返る思いです。

先月31日には、今後、5年間にわたって、総額1兆円の在日米軍駐留経費を日本が負担する、いわゆる「思いやり予算」特別協定が、民主、自民、公明などの賛成多数で可決・承認されました。日本が負担する義務はないのに、苦難にあえていでいる被災者・国民の支援に総力をあげるべきときに、思いやるべきは米軍だ、というわけです。

29日には、参院で共産党や自民、公明など野党の反対で予算案は否決されましたが、憲法の衆院優越規定により、成立しました。

高齢者や障害者の年金を削減する一方で、大企業などの法人税5%減税、証券優遇税制の存続など、大企業や大金持ちにはありがたい中身のままです。

政党政治は今後も続きます。人間が志しを同じくする人たちと社会的に行動をともにすることで政治と社会を支えていく以上、当然のことです。

現実社会・現実政治、そして目の当たりにする現実と政党政治を結びつける有権者のありようも、この日本でいよいよ問われている気がします。「自分自身がどういう政治にしたいか」を基準に政党を判断する時代に入っている気がします。

私は共産党の一員なので、こうして政治的に言いたいことがいくらでも言えています。

久之浜・四倉漁港/堤防がなくなっている

【久ノ浜漁港】

久之浜漁港と四倉漁港の様子を見ました。

久之浜はいわき市漁業協同組合がある漁港。津波の流れによって、流された船やガレキや漁具が山のようになった場所があります。

ボランティアの協力もあり、きょうからガレキ撤去作業が始まっていました。

【久ノ浜漁港】

漁協支所長は、「みんな漁に出たいと思っている。今、漁に出られないのは原発事故によるもの。地震・津波による被害と、原発事故による被害はまったく違う。原発事故被害の補償を早くはっきりさせてほしい」と、切実な訴えです。

【四倉漁港南】

四倉漁港では、堤防があちこちで決壊しています。被災以前の堤防の姿を知る人が、ぼう然としながら、「あそこの堤防がなくなっている」「こっちもそうだ」と。

ひとつは矢印のところから手前に70mほどあった堤防がなくなっています。

【四倉漁港入り口】

もうひとつも、二つの矢印のところまであった堤防がありません。

Jヴィレッジ/原発作業の拠点

【74式戦車】

今月15日にANN NEWS が映像で報じ、19日には防衛省が映像を公開したJヴィレッジをおとずれました。

福島第一原発から約20kmに位置し、今まさに原発での作業の拠点施設です。

全世界を震撼させ、この事態を収めるために最前線で作業する人びとについて、どのように放射線被ばく管理がされ、どんな作業条件のもとで、なによりどんな思いで作業にたずさわっているのか、全世界に知らせるべきではないでしょうか。

【Jヴイレツジ内】

福島第一原発敷地内のさまざまな場所の放射線量測定値や、作業内容などの資料が張り出されています。

若い作業員が「作業中に死んじまったら…」と、仲間に語りかける姿を見ました。

【防護マスク】

原発を運転し続けようとし、明らかな人災である原発事故を人災と認めようとせず、「安全神話」を社員や協力会社・下請けの人びとに意図的に植えつけてきた東電経営陣と、その影響を受けて「安全神話」を信じ込まされ、こうして今、事故収束のために必死に働く東電社員や協力会社関係者はまったく別です。経営陣と社員をいっしょくたにしてバッシングすることだけはやめてください。

【Jヴィレッジ前道路】

【海上自衛隊】

安眠妨げの余震/お見舞い宣伝/あの日に原発内で作業

とにかく余震にはまいります。4月11・12日の大きな余震までは、「あっ、これは震度3だ」「これは2だな」ぐらいに体も受け止めていたように思いますが、その後はちょっと自覚的にも過敏になっています。体が勝手に、という感じ。

きのうの夜中の11時47分ごろ、けさの4時29分ごろの市内の震度は2~4の地震でしたが、けっきょく安眠を妨げられました。

そんなことはともかく、きょうも先週に続き、内郷宮町地域に入り、被災のお見舞いとこれからの新たなまちづくりへ向け、激励の宣伝をして歩きました。

「ごいっしょにがんばりましょう!」と呼びかけたら、犬と散歩されていたかたから「がんばりましょう!」のエールがありました。家の中から手を振ってくれるかたも。

午後は、縁があって、3月11日に福島第二原発内で作業をしていたかたから話を聞く機会がありました。

水密性の高い原子炉建屋内にあった非常用電源はいくつか水没して使えないし、健全性を保ったといわれる熱交換器建屋のポンプ類も水没した、とのこと。

第一原発の今の事態に至る冷却水喪失は、津波による電源喪失が原因なのではなく、地震による配管破損が原因と考えるのが普通じゃないか、と。

『世界』5月号では、元原子炉製造技術者の田中三彦さんが「配管が地震時に激しく揺れて破損し、その破損個所から高温高圧の冷却材(水または水蒸気)が猛烈に噴出したのではないか…電源喪失という事態がこの冷却材喪失事故と関係し始めるのは、あくまで“噴出後”」でないか、指摘しています。

震災後、しばらくは通ることができなかった海沿いの県道豊間(とよま)四倉(よつくら)線は一部、通ることができました。

【仁井田浦キャンプ場・駐車場】

地震速報で目覚め/支援物資/水道局申入れ

けさは6時34分の携帯電話への「緊急地震速報」で目が覚めました。

6時25分からの毎日のNHKテレビ体操に間に合わなかった寝坊です。ちょっと疲れているかも。

避難所がある地域の自治会長さんから電話があり、「避難所のみなさんから要望がある支援物資はないだろうか?」と。いくつか問い合わせをし、小名浜生協病院に届けられている支援物資から提供ができる、とのことでさっそくお願いしました。

宮川県議、高橋・伊藤両市議とともにいわき市水道局をたずね、日夜の職員のみなさんの活動への敬意を表しつつ、大地震後、自主的に自宅の水道を使って給水活動をしている事例があること、あるいはまた水道管被災による漏水があることなどから、「使用水量」が著しく多くなっている世帯への料金配慮の申し入れをしました。

十分に承知されているであろうことを承知のうえでの申し入れです。

それにしてもきょうは朝から一日、比較的雨量の多い雨模様。時どき雷鳴が鳴ったり、強風が吹いたり。不気味な感じをいだいたりしますが、余震続きで地割れしたり地盤がゆるんだりしている地域もあるはずで、心配がまたつのります。

先日、足立区議と永崎被災地域を訪ねた際の様子。

原発事故と放射能/県議会/「ぜったいない」

お隣りの住宅地集会所できょうも「福島原発事故と放射能汚染」をテーマにした勉強会がありました。講師は伊東達也さん。

話のなかで、原発の安全性を求める福島県連絡会は、大津波がくるとポンプが動かせなくなることが2003年に分かったので、2004年から7年間、対策を取るよう求めてきたが、東電は聞く耳を持たなかったことにふれていました。

ある参加者が、その当時の県議会ではこの件で議論はなかったのか、議員だった者が参加しているので、話してほしい、と。

私の問題意識としては、2004年12月にスマトラ沖での大地震があり、大津波の映像を見て、日本でも当然にありうることで、05年2月議会で、大地震・大津波・原発事故が重なって、地震災害と大規模放射能災害とが増幅し合う破局的災害は何としても避けなければならない、と質問していたことを話しました。

前にも書きましたが、この「原発震災」がありうることは、1997年から石橋克彦さん(当時の神戸大学教授)が警鐘を鳴らし続けていたことです。私は、この警鐘と、市民団体が把握した事実と、前年のスマトラ大津波を受け質問したのです。

「何があっても大丈夫、と東電は言っています」。要するにそう言っているだけの県当局答弁にもあきれましたが、今回の原発事故に伴うあらゆる被害は人災です。「自然の驚異」とか「想定外」とかの言葉が出たら、まったくの責任逃れです。

この間の勉強会で出される質問は、もちろん切実ですが、「原発事故による放射能もれはぜったいない」という「安全神話」の罪はほんとうに重いです。

「風向きが季節によって変わり、今後はいわき市に放射性物質が流れてくることになるんじゃないか」

「ヨウ素131やセシウム137はよく報道されるが、ストロンチウム90が検出されたとも聞く。いったい人体にそれぞれどういう影響があるのか」

「生後6か月の孫をその母親の娘と県外に避難させている。今の放射線量状態でもどらせていいのか」

まったくもって当然の不安です。

制御しようがない放射性物質の放出、という事態は、「ぜったいない」と国と事業者が言い張り、その対策は国をあげてしてこなかったのがこの日本です。「対策が必要だ」という私たちの声は無視され続けました。

政治の責任なのではないですか? 「事故はありえないから大丈夫」とのうのうと支援者に言い続けたり、「原発推進の国策に物申すなど思い上がりだ」などと言っていた地方議員も現実にいるのです。

そういう人たちは議員として住民の立場で働けるのでしょうか? 私のおおいなる疑問です。なぜ議員に選ばれるのか、誰か教えてください。そしてなぜ「いちばんまともなことを言ってくれる」共産党候補者が選ばれない確率が高いのか、誰か教えてください。

この不思議な現象を、国民的レベルで明らかにする時期だと思います。

日本共産党/弁護士勉強会/緊急報告/江川紹子さん

午前、午後、夕刻と、集まりと勉強会がありました。

午前中は震災後初めてになりますが、「東日本大震災・原発事故 被災者支援党員集会」。

いわき・双葉地区委員会の地域内で、原発事故のために避難生活を強いられている浪江(なみえ)町の馬場町議、大熊町の石田町議、広野町の畑中町議がみずから被災しながら、避難先の町民に寄り添う支援活動、いわき市内で地域住民や避難所のみなさんにおにぎりや味噌汁の炊き出しをしたり、相談を受ける活動、渡辺市議が漁民のみなさんと生活再建のために活動している報告は、日本共産党ならでは、と心から思います。

午後は福島県弁護士会いわき支部有志の原発事故をめぐる勉強会に参加させていただきました。原発事故による補償は、法律的にもかつてない事態が寄せられています。

夕刻には、私が代表をしている「いわき市原発の安全性を求める会」と「原発の安全性を求める福島県連絡会」の共催で「東日本大震災・原発震災緊急報告会」。

県連絡会代表の早川篤雄さんのあいさつ、原発問題住民運動全国連絡センター筆頭代表委員の伊東達也さんの「復興にあたっての浜通りの課題」の提起、きょうのメインの安斎育郎・立命館大学名誉教授による「放射能 そこが知りたい」の講演、そして尽きそうになかった質疑応答がありました。

ジャーナリストの江川紹子さんが取材で来ておられ、「原発被災地には、普通に花が咲き、畑も耕されているのに、人がいない、これが原発被災なのか、と衝撃を受けた」と語る姿が印象的でした。

私の閉会あいさつでは、放射能放出による被害の補償は東電と国によって全面的に実現させなければならないこと、被災地の復旧・復興に向け、被災者いちがんとなって、心ひとつにいっしょにがんばろう、と訴えました。

気分転換と前向きへの契機/心に花を

3月11日、そして朝7時台に3連続の地震があった3月23日、さらに4月11・12日の引き続く大きな余震と、かなり心身に影響を与えています。

遠くから近づいてくる車の音とその振動が地震のように感じたり、風による窓の揺れが地震のように感じたり、寝ていると、揺れていなくても揺れているように感じたり。

しかも1日、2日でなく、数日にわたるので、寝ても寝た気がしなかったり。かてて加えて先が見えない原発事故への不安と怒り。

話をしていると、そんな感じをもっている人も少なくないようです。

こういう時こそ、心をなごませる気分転換の契機や、心を前向きにする契機をつくれるといいなぁ、と思います。

ふと視界を広げると、あちこちに咲く花。

このところの新聞でも「大震災に負けず」の見出しで桜満開の写真も掲載されています。

まぁ、勝ち負けの問題ではありませんが、季節がやってくれば必ず咲く花を見ると、「明けない夜はない」の気持ちになれます。

心に花を! 地震も自然なら、花も自然だ。