国道6号線/訪問/出会い

金曜日朝は、平神谷の国道6号線沿いの定時定点。視線を合わせて手を振ってくれるかた、会釈されるかた、いつも運転席の窓から腕を出して手を振ってくれるかた、ありがとうございます。

きょうは、私が住む住宅街の隣りの広大な住宅街で、医療生協でお世話になっているかたがたを、地元の後援会員のみなさんと訪問しました。

あるお宅には、現在の小名浜生協病院の前身である浜通り診療所のころから医療生協とのお付き合いがあるかたが遊びに来ていました。

いっしょに歩いた後援会員がまた、浜通り診療所設立当初に看護師として働いていたので、当時のことから半年前の地震当日のことから、話がつきませんでした。

定期送迎バスで病院に通う一人暮らしのかたは、「震災後の国会の様子を見ていても、庶民の声が反映されているとはまったく思えない。共産党が無視されているようだ」と。

息子さんが原発関連で働いているというご両親は、「こんなことになるはずじゃなかったんだ。もっとも息子は、今回の事故前から、原発にかかわる報道や情報はほとんどいい加減、と言っていた。原発はなくしてほしい」と。

いろいろな出会いがあります。

 

かつての仲間の集まり/「震災と民具」―伝承郷

かつて、同じ建物の中でいっしょに働いた仲間の医療生協党支部の集まりがあり、「決意」を語りました。

3月11日の重税反対集会の最後の場面で大地震に襲われたこと、翌日から津波被災地の現場に入ったこと、小名浜地域の医療生協総代や組合員さんたちの安否確認訪問や今に至る多くのかたがたとの対話の様子も報告しました。

志位委員長の党創立89周年記念講演のダイジェストDVDも視聴しましたが、私は3度目。何度見てもなかなかなもんです。インターネットでも共産党のホームページから見ることができるので、ぜひご覧ください。

この集まりの前に、いわき市暮らしの伝承郷に寄り、震災後に寄贈された民具を中心とした「伝承郷収蔵品展」ー震災と民具ーを見ました。震災直後からの写真や、復興を願ってこの企画展に提供された平豊間区の獅子頭も展示されています。

10月23日まで(火曜日休園)。

小名浜定点前/組合員/「原発はさんざん」/放射線量測定

火曜日朝は小名浜での定時定点。

原発震災後の再開以来、裏道を通って現地へ行きます。私が浜通り医療生協で仕事をすることになったときから、ずっとお世話になっている組合員さんのお宅の前を通るためです。通るのは毎回7時45分ぐらいですが、庭に出ている彼女と毎回ごあいさつ。透析をしていて、震災直後は、県外の病院でお世話にならざるを得ず、たいへんな体験をされたのでした。

午前中は生協病院職員後援会員と病院の文字通り足元の地域の組合員を訪問しました。原発震災前にもたずねていた地域でもあったのですが、あるお宅に来ていたお客さんが「うちも医療生協組合員で、あんたのことはよく知っているよ。前にも来てもらったよ。原発はあんたが言うとおり、なくさなくちゃダメだ、とみんな言ってるよ」と。

別のお宅でも、来ていたお客さんと話がはずみ、共通の知り合いの共産党後援会員が話題になったりして、「ぜひ連絡を寄こすようにいってください」と。

午後は平北部後援会のみなさんと街宣とチラシまきと放射線測定。街宣は3か所で。ある場所では、その地域の元区長さんが出てきてくれて、「知り合いには漏れなく声をかけたい。原発にはさんざんだ」と。

夕刻は、私の地元の隣りの住宅街の後援会員がお知り合い宅を案内してくれました。あらかじめ、放射線量を測定するよ、と声をかけてくれていたのでした。

実家が警戒区域内にあって親族が全員散り散りバラバラにさせられているかたがいたりして、一軒一軒お話を聞いて歩くこと自体が、たいへん大切なことを毎日毎日思い知らされています。

町内のひとつの公園は一部が1μ㏜毎時を超えていて、「立入禁止」の表示。

朝2か所の定時定点/農村地域訪問/避難者駐車場問題

月曜日朝はいつものように2か所の定時定点の街頭から。宣伝カーの運転に来てくれる高橋あき子市議は、「11月20日投票の報道後は、手を振ってくれる人がふえてるし、雰囲気も違うね」と。私もそう感じてました。

2か所目では、乗用車の後部座席の窓を開けて手を振ってくれるかた。市農業委員会の役員をされているかたです。

午前中は、先週に続き、平神谷(かべや)地域の党支部のかたと、農村地域のお知り合い宅をたずね、「原発いらない」署名や放射線測定をして歩きました。

ある場所で宣伝カーを止めていたら、ご近所のかたが見えて、「この車を見て、なにか測ってくれてるのかなぁ、と思ったんですが」と。さっそくご自宅の入口、玄関前、庭の放射線測定。どこも0.2μ㏜毎時前後で、この数値をどうとらえるか、などの話もすると、「測ってもらって、話を聞かせてもらっただけでもなんだか安心です」と。

放射線は浴びないにこしたことはない、という話を基調にしていますが、安心してもらってホントに安心です。

午後は、宮川県議が相談を受けていた小名浜地域の雇用促進住宅へ。市内で津波被害を受けたり、原発地域からの避難者が入居しており、いまどき、一世帯で車一台では生活できませんから、駐車場の問題はどこでも深刻なのです。

県の合同庁舎へも行き、その実情と要望を伝えました。

そのあと、党地区委員会で相談を聞くためにお会いすることを約束していたかたのお話をうかがいました。

夕刻には県議選へ向けた党内の会議もあり、なかなかハードな日でした。

 

 

内郷で放射線測量/30数年ぶりの再会/生協ニュース

内郷地域のいっせい行動で、きょうは綴町(つづらまち)秋山に入りました。

宣伝カーで私が「簡易放射線測定器で放射線を測量しています。ご自宅の放射線量が気になるかたはお気軽に声をかけてください」とこの地域をふたまわり。3組のみなさんが測定器を持ち、「原発いらない」署名もお願いしながら、対話を重ねる行動でした。

そしたら、宣伝カーに寄ってくる人たち。「原発関連で以前に働いていた。暴露すれば問題になることはいくらでもある。情報隠しは原発ではあたりまえ。共産党が言ってくれていることがいちばん正しいんだ」と、20分ほど。政治に対する怒り爆発です。

またあるお宅では、家族総出。「庭のキウイがいっぱいなった。放射線量が気になってしょうがない」と。空間線量は0.2μ㏜前後で、汚染されていることは間違いないのですが、この数値の見方などであれこれ話しながら、「小さい子どもたちに食べさせることは避けるが、大人はそんなに神経質にならなくてもよさそうだ」と。

別の組のかたが、「こいつはオレの同級生だから、知ってるよ」という人がいた、と。

さっそく午後、たずねたら、中学時代、1年生の時に同級で、ブラバンで3年間いっしょだった仲間でした。中学卒業後、1度ぐらいはどこかで会ったようなのですが、ともかく30数年ぶり。まったくそんな気がしない、「やぁやぁ、ごぶさたしてたね」みたいな再会でした。

その後は自宅にもどり、医療生協ニュースをご近所の組合員に配布。まぁ、私が何者かは知られているので、「今度ばかりは頼みますよ。応援してるんだから」と。

私が腰に常備している放射線簡易測定器を見て、「うちで食べる作物を栽培している庭の放射線量を測ってみてよ」と。玄関先は0.19ぐらいでしたが、庭は0.23ぐらい。

汚染されていることは間違いないのですが、年間の自然放射線量と、平常時の「がまん」線量である年間1㍉㏜からみて、目安としては注意して暮らすことを心がける範囲で、「こうして測ってもらうと安心する」と。

こう言ってもらえて私も安心はしますが、安全審査を合格させてきた国の責任を果たす場面がまったくなく、その姿も見えず、民主党と自民党はもうダメだ、という声が歩けば歩くほど広がっているのです。

この声を現実政治と選挙で活かさなければなりません。

きょうは写真を撮るまもなく、きのうの記録です。

 

 

「かけはし」/娘と被災現地へ/生々しい爪あと

「おひさま」を見終えるや、「かけはし」9月号をご近所240軒ほどに配布。すぐ近くの新居数軒では若いご夫妻たちとお会いすることができ、よかったです。 きのう、9か月ぶりに帰省した娘が、被災したいわき市の現場を見たい、とのことで、久之浜(ひさのはま)、四倉(よつくら)、薄磯(うすいそ)、豊間(とよま)と見てまわりました。

久之浜では仮設商店街の「浜風商店街」に寄り、けさのうちに待ち合わせをした高橋あき子市議といっしょに、みなさんと交流しました。 その後、久之浜の末続(すえつぎ)や、地盤沈下により海岸線が河口から内陸部に移ってしまった現場、波立(はったち)海岸で地震・津波で倒壊してしまった食堂、四倉の道の駅や四倉港の様子を見てまわりました。 ほんとうに生々しい爪あとがそのままです。

塩屋崎灯台の下でもイベントがあったらしく、近くのお店の社長さんたちとばったり。「ガレキ撤去のためなどの通行止めが続き、原発事故の影響もあり、まったくめどが立たない。どうしたらいいんだ」と切実な訴え。

ちょうど渡辺ひろゆき市議もやってきました。 暮らしと営業を根底から破壊されたかたがたの、生活の土台を再建する国・県・市がいったいとなった公的支援は不可欠です。

運転席の窓を開け/職場の病院/期待/本屋さんに不破パンフ

金曜日朝は平神谷(かべや)地域の国道6号線沿いの街頭が定時定点。

毎回、運転席の窓を開けて手を振ってくれるかた、ほんとうにいつもありがとうございます。

福島県議選は、11月10日告示、20日投票に決まったこともお知らせしました。

かつての職場の小名浜生協病院へ行ってごあいさつ。医師から固く握手を求められ、「いよいよ日程も決まったね。がんばってね」と。

高校同級生が営む建築事務所に寄ると、お連れ合いに招き入れられてしばしの懇談。政権交代後もまったく前に進まない国政へのいらだちと、共産党への期待を熱く語ってくれ、おおいに励まされました。

平街中の、高校時代からなじみの本屋さんに寄ると、「原発・放射能コーナー」が設けてあって、不破哲三さんの『「科学の目」で原発災害を考える』のパンフレットもひら積みされていて、ちょっと驚きました。

きょうはペロの散髪予約日。送り迎えをしました。出かける前、玄関前でなにかの幼虫に出会い、興味しんしんでした。

 

きのうときょうの定時定点/半年前のここ

きのう、きょうと朝の定時定点の街頭から訴えました。

きのうの水曜日は、震災後に再開した最初の日でした。平日の毎日実施し始めた活動ですが、朝は唯一、JR常磐線の北側で、出勤時間に重なることもあり、わが家から30分弱の時間がかかるので、7時20分前には出発。

私が住む住宅街の北隣りの地域党支部のかたがローテーションで宣伝カーの運転に来てくれるので、ほんとうに助かります。

高齢者を近くのデイサービスに送っていくかたが車を止めて励ましのことば。ほんとうにありがたいです。

きょうは、私が住む住宅街の南隣りの大規模住宅街のみなさんが車出勤で降りてくる場所。

話し終えたら、「ずっと話を聞かせてもらいました。いい話でしたよ。ぜひがんばってもらいたい」と。この場所は、車で出勤されるみなさんに訴える、という構えで話しており、場所的にも、朝のこの時間に歩いている人はめったにいないので、びっくりでした。

近くの運送会社の営業所によると、「原発立地地域を担当していた従業員はいまだに自宅待機をしてもらうしかない。仕事がないのでほかにまわってもらえない。経営存続の危機は原発事故以来、まったく変わらない」と訴えられました。

街宣の様子を撮る間もなく、震災前の寒い時期の写真です。半年前ですが、そんな時間がたったとはまったく思えません。

小名浜の定時定点/平北部のみなさんと/心温まる街宣

火曜日朝は小名浜での定時定点。地域の後援会ご夫妻と、医療生協後援会からこの場によってくれて「旗持ち」してもらい、いつもいつもほんとうに感謝です。

話し終えて帰ろうとしたら、散歩していたかたがにこやかに手を振って送り出してくれました。朝からほんとうに感謝のスタートです。

きょうは党の平北部支部のみなさんと行動。支部のみなさんは、放射線簡易測定器と「原発いらない」署名を持ち、ご近所を訪問しながら対話。

うち1人は私の宣伝カーを運転してくれ、辻つじの5か所の街頭から訴えました。

たまたま、自民党から県議選に新たに立候補予定のお宅のご近所では、「今度こそ、ぜったいに頼みますよ。熱中症にならないようにね」と、いっしょに行動していた人数分の冷たいお茶の差し入れをいただきました。

またすぐ近所でも、「お騒がせしました」とごあいさつに行くと、「お騒がせなんてとんでもない、庭で話は聞かせてもらいました。ぜひがんばって」と。

ある公園近くでは、話し始めると、少なくとも5~6軒の家から出てきてくれる姿。びっくりです。なかには、かつて消防団の幹部をされていたかたも。

また別の場所でも、アパートから小さい子を連れて出てきてくれた若いお母さん。最後まで聞いてくれ、手を振ってくれました。終えてから走って行ったのですが、どの部屋かはわからず、話ができず残念!

暖かいふれあいというか出会いというか、ともかく心温まる街宣行動でした。

 

 

定時定点2か所/社長さん/「共産党が変えて」

月曜日朝は高橋あき子市議がわが家まで宣伝カーの運転に来てくれ、2か所での定時定点。

自宅近くでは、犬の散歩でこの時間、この場所を通るかたが、いつも激励の声をかけてくれます。ありがとうございます。赤信号で止まっていたドライバーが、青信号になると手を振ってくれる姿も。

もう1か所では、いつも手を振っていってくれるドライバーが少なくないのですが、先週、ハッと気づいたのが、高校同期会でいつも会う社長さん。やっぱりそうじゃないですか、きょうも手を振っていってくれました。

神谷(かべや)の党支部のみなさんと、片寄(かたよせ)という地域を、「原発いらない」署名などで訪問して歩きました。

宣伝カーで行ったので、街頭からも訴えました。話し終えると、すぐ隣りの家から「ぜひがんばってよ。原発なんかは、私も最初から危ないと思っていたんだ、誰も言わなかったが、言えなかったんだと思う。こういういい加減な政治を共産党が変えてほしい」と。

こうした声が間違いなく、広がっていることを感じます。

まぁ、偶然ですが、このお宅のすぐ隣りが私の高校時代のブラバン部活の後輩宅です。

その後たずねたお宅も、大震災後は初めてなのですが、それまではたびたびたずねていたこともあり、熱烈な激励にはほんとうに励まされました。