火曜日朝は小名浜での定時定点。
原発震災後の再開以来、裏道を通って現地へ行きます。私が浜通り医療生協で仕事をすることになったときから、ずっとお世話になっている組合員さんのお宅の前を通るためです。通るのは毎回7時45分ぐらいですが、庭に出ている彼女と毎回ごあいさつ。透析をしていて、震災直後は、県外の病院でお世話にならざるを得ず、たいへんな体験をされたのでした。
午前中は生協病院職員後援会員と病院の文字通り足元の地域の組合員を訪問しました。原発震災前にもたずねていた地域でもあったのですが、あるお宅に来ていたお客さんが「うちも医療生協組合員で、あんたのことはよく知っているよ。前にも来てもらったよ。原発はあんたが言うとおり、なくさなくちゃダメだ、とみんな言ってるよ」と。
別のお宅でも、来ていたお客さんと話がはずみ、共通の知り合いの共産党後援会員が話題になったりして、「ぜひ連絡を寄こすようにいってください」と。
午後は平北部後援会のみなさんと街宣とチラシまきと放射線測定。街宣は3か所で。ある場所では、その地域の元区長さんが出てきてくれて、「知り合いには漏れなく声をかけたい。原発にはさんざんだ」と。
夕刻は、私の地元の隣りの住宅街の後援会員がお知り合い宅を案内してくれました。あらかじめ、放射線量を測定するよ、と声をかけてくれていたのでした。
実家が警戒区域内にあって親族が全員散り散りバラバラにさせられているかたがいたりして、一軒一軒お話を聞いて歩くこと自体が、たいへん大切なことを毎日毎日思い知らされています。
町内のひとつの公園は一部が1μ㏜毎時を超えていて、「立入禁止」の表示。