親子の対話/新春市民のつどい/重くありがたく

帰省していた娘が帰るというので、いわき駅へ送りました。

駅前の「ラトブ」内で二人で昼食をとりながら、親子の対話もでき、私的には大満足でした。

「新春市民のつどい」に参加しました。いわき市長といわき商工会議所会頭が実行委員長を務める新年恒例の行事です。

いわきの経済や地域を支えるみなさん、市役所の幹部のみなさん、国会議員、県議会議員、市議会議員が新年の最初に一堂に会するといってもいい場です。

私もいろんな立場のかたがたから声をかけていただき、ほんとうにありがたかったです。

「毎朝訴える姿を見ていました」、「みんな期待してますからね」と、何人かからかけられたお言葉は重いし、ありがたいです。

仕事始め/市職員/市民ホール

仕事始めのきょう、いわき市議団の4人と市役所本庁舎、教育委員会・選挙管理委員会・農業委員会がある東分庁舎、文化センター内の中央公民館をまわり、職員のみなさんにごあいさつしました。

職員のなかには、中学時代や高校時代の同期・先輩も少なくなく、なにげに目と目を合わせたりして。

かえって、朝の定時定点時に顔をあわせていたかたがたが、政治中立的に声をかけてくださり、たいへんにありがたいです。

【4月13日 市民ロビー】

本庁舎1階の市民課前の市民ホールは、昨年4月の市内震源の大きな余震で陥没したのでした。

耐震補強されたホールには、多くの市民がおとずれていました。

正月街宣2日目/がらりと変わる

正月街宣2日目。

午前中は高橋あき子市議と、午後は渡辺ひろゆき市議とそれぞれの地域で実施しました。

宣伝カーに、散歩しながら手を振ってくれる人、「がんばれよ~!」と声をかけてくれる人、街宣場所で車から手を振ってくれる人、信号待ちで窓を開けて話を聞いて拍手してくれる人、声をかけて行ってくれる人。

大きな期待を感じると同時に、政治状況ががらりと変わっていることをつくづく感じます。

信号待ちの茶髪の若者は、「原発事故終息宣言はとんでもない、事故を小さく見せようとする意図がありありだ」、の話の瞬間に、こちらを向くでもなく、大きな拍手をしてくれていました。

正月街宣初日

お正月2日目は、毎年恒例の正月街宣です。

いわき駅前で4人の市議、2人の県議が勢ぞろい。

駅前の「ラトブ」は初売り前に太鼓演奏でお客さんを迎えていました。演奏後に、全員でごあいさつしました。

その後、四倉、久ノ浜、内郷高坂、常磐湯長谷(じょうばん・ゆながや)、小名浜君ヶ塚、勿来中岡とまわり、それぞれの地域の市議とともに訴えました。

それにしても、宣伝カーとすれ違う車からも、そして宣伝場所でも、多くのみなさんからの声援。運転してくれている党地区副委員長の吉田英策さん、宮川さんと「選挙期間中みたいだね」と思わず同じ感想。ほんとうにみなさん、ありがとうございます。

初日の出/新年会/庭のたくましさ

帰省していた息子と娘が、それぞれ友人たちと初日の出を見に行っていました。

息子は平の海岸沿いの新舞子浜公園近辺、娘は平の山側の赤井嶽。

雲の切れ目から日の出が見えた、と感激していました。

元日は、わが家と妻の姉家族と実家の両親との恒例の新年会。もう20年を越したでしょうか。

今回はウチの息子も高3以来、数年ぶり。その代わりいとこの救急救命士は仕事。総勢10人。

なんと! いい気分で庭の様子を撮りながら点検していたら、デジカメデータを誤って全削除!

庭の生き生きした植物群にたくましさを見ました。

今年もどうぞ、よろしくお願いします!

忘れられない3月11日/主権者

 

この9か月半、あの3月11日を忘れるわけにはいかない毎日でした。

会う人、会う人、あの日、そして原発事故にみまわれて避難した日々、子どもたちの未来を迷わざるを得ない日々をお互いに語り続けました。

思い出すのは、3月12日、砂と瓦礫の道路上で足をふらつかせて病院に連れて行ってほしい、と言っていた人に出会わなかったら、あの人はどうなってしまったんだろうか、とか、避難所で4~5人のおばあさんたちが「生き残ったオレたちががんばらないでどうする!」とにこやかに語る姿やら、とか。

あの日から1週間後に、「誰も来てくれない、飲まず食わずだ」とお二人から電話もありました。

私たち共産党に対する期待が大きいことは強く感じますが、共通しているのは、行政への不信なのです。

行政を支えるのは私たち住民・主権者であり、私たち自身の問題として、真剣に考えさせられる大震災の年だったと私は強く思っています。

報告ハガキ/組合員/前向きに

ハガキによる「活動報告」をつくりました。

原発震災を風化させず、笑顔と希望の年に!

午後、医療生協職員後援会員と、小名浜地域を中心に、今年お世話になったかたがたをたずねました。

4月下旬、全日本民医連や東京民医連、福島民医連や医学生が支援に入ってくれた際、組合員の安否訪問でたずねたお宅では、「被災後に最初に来てくれたのが生協だった。ほんとうにうれしかった」と感謝され、なおかつ県議としての期待の声もかけられました。

冷蔵・冷凍庫が津波の直撃を受け、廃業せざるを得なかったお店も。

それでもみなさん、新しい年へ向け、新たな気持ちで前へ進むしかない、なにより、子どもたちが住み続けられるふるさとにもどしたい、と前向き姿勢に勇気づけられます。

内部被曝/職場/江名地域

今年1月下旬、東京電力福島第一原発の作業を終え、ホールボディカウンター測定で異常なく、その後はいわき市内で仕事さがしをしながら暮らし、今月になってやっと県外での原発作業が見つかって、ホールボディカウンター測定をしたら、原発内で作業はできない内部被曝量と言われた、というかたと出会いました。

詳細な経過は聞いていませんが、重大です。

お昼を前後して、私のかつての職場である病院内の各職場を回りました。患者さんたちから、県議へのいろんな期待の声が寄せられている、とのこと。うれしいです。きょうは栄養課のみなさんと厨房前で。

その後、江名地域の後援会員と今年お世話になったかたがたをたずね、ごあいさつして回りました。

楽寿会/藍綬褒章/県議選も話題に

私も役員を務めている社会福祉法人・楽寿会の今年最後の役員会がありました。

きょうの議題は、東日本大震災にかかる補正予算と工事についてです。

特別養護老人ホームの楽寿荘を始め、法人の施設は、太平洋と仁井田川にほとんど接する場所にありますが、ちょっとした高台のために、真横をしぶきを上げて流れていった津波の直撃はまぬかれたものの、地震による被害は大きなものでした。

敷地に生じた段差、亀裂、地盤沈下、液状化などによる建物やその内部、設備の被害、車が流されるなどの被害です。

国庫補助や義捐金や保険金などでなんとかカバーできそうです。

その後は懇親会。秋に藍綬褒章を受章された園部キヨ子さんも評議員として参加されており、木村守和理事長から花束贈呈。

県議選結果やこれからの県政も話題となりました。

「偽装」ふたたび/診療報酬/代名詞

来年度政府予算案で、医療機関に支払われる診療報酬は、来年4月から「0.004%」引き上げ、とされています。

厚労相と財務相との合意文書では「0.00%」改定と表現されており、小数点以下3ケタまで数字を示した前例はないそうです。

ところがこの数字には、特許が切れて後発品がある先発品の薬価引き下げ0.9%(約250億円)が含まれていないので、これを入れると実質マイナスです。

じつは前回(2010年度)も民主党は同じ手を使い、この薬価引き下げ分600億円(0.16%)を入れずに、改定幅は0.19%のプラスだと言い張ったのです。実質は0.03%(100億円)にすぎませんでした。

だから「毎日新聞」は当時、「診療報酬増を『偽装』」(2010年1月31日)と1面で報じたのです。

今回は、マイナスをプラスに偽装です。

前回総選挙時の民主党マニフェストには、「累次の診療報酬マイナス改定が地域医療の崩壊に拍車をかけました。総医療費対GDP(国内総生産)比を経済協力開発機構(OECD)加盟国平均まで今後引き上げていきます」とあります。そして09年9月9日の「連立政権樹立に当たっての政策合意」には「医療費(GDP比)の先進国(OECD)並みの確保を目指す」とあります。

自公政治による「累次の診療報酬マイナス改定」の影響は約2.4兆円、OECD平均に追いつくにはこれに加えて約4.5兆円なので、6.9兆円の「今後引き上げ」が約束でした。

「マニフェスト」=「公約破り」の民主党政治の代名詞は、また補強・拡充されました。八ッ場ダムがダメ押しかと思ったら大間違いです。