表現の自由/政治の中身/マスコミの存在意義

参院選が公示されると、とたんに表現の自由が制限されます。

私の宣伝カーからは音は出せなくなるし、候補者である「日本共産党」も「いわぶち友」も自由には出せなくなります。「自由民主党」がこうしたべからず選挙のしくみをつくりました。

今まで毎週月曜の朝に宣伝していたわが家の近くの交差点で、共産党の名前が入っていない政策を書いたのぼり旗とポスターを手にして通勤されるみなさんにごあいさつしました。

手を振っていってくれるかた、クラクションを鳴らしていただくかた、声をかけていただくかた、ほんとうにありがとうございます。

きょうは一日、小名浜地域の後援会員といっょに、ご自身が住む団地と育った永崎地域のお知り会い宅を100軒弱訪問しました。

民主党政権に対する失望と、自民党にもどる気はないという声は、マスコミが政策抜きにあいかわらず「民主か自民か」みたいに世論調査を報道する結果とはかなり乖離している実感です。

政治の中身抜きの選挙結果を演出する大手マスコミの存在意義が問われる時代ではないでしょうか。大企業と政府による広告料に依存するマスコミが果たして権力監視・社会の木鐸の役割を果たしうるのでしょうか。根本的疑問です。

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