樋口陽一さん/「政治主導」/「国民の意思」

「朝日新聞」(5月19日付け社会面13版)に、憲法学者の樋口陽一さんのインタビュー記事が載っていました。

樋口さんは、先月亡くなった井上ひさしさんと高校時代からの友人。井上さんの1981年のベストセラー「吉里吉里人」に憲法の考えが反映されていることに触れつつ、「人々が国家をつくり、権力を預ける。しかし勝手なことをさせないように憲法で縛る。それが近代憲法の考え」「政治主導とはつまり、選挙での多数派がすべてを決めて良いという考えです。そうあってはならぬというのが人類社会の知恵です」。

そしたら翌日の地元紙の投書欄にこんな意見がありました。

「大多数の国民が投票した政権が沖縄の負担軽減のために、一部負担をお願いしたいとしている以上…住民の意思とかかわりなく強行すべき…国民の意思が住民によって無視されるなら、民主国家でない」。

樋口さんの考えと対極にあると受け止めましたがしかし、こうした考えは、長年の自民党政治のもとで、「おカミのすることだから」「けっきょく何も変わらない」といったバリエーションがあっても、国民のなかに「定着」してはいないでしょうか?

私は、現行憲法を国民的規模で選び直す作業によって、こうした考えを乗り越える時期に入っていると思います。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です