きのう(3月7日)、自民党県連が百地章(ももち・あ きら)日大法学部教授を講師に、改憲のあり方を学ぶ議員研修会を開き、教授は、東日本大震災時に十分な対応ができなかったことなどを指摘しながら、憲法に緊急事態条項を盛り込む必要性を語った、と報じられています。
百地教授と言えば、菅義偉官房長官が、集団的自衛権を合憲という憲法学者も「たくさん」いると言うもんだから、それなら名前をあげてみよ、と国会で詰められて、3人しかあげられなかったうちの1人です。
そんなことはともかく、大震災時には、法令上の制約のために対応できなかったのでなく、政府の日常からの準備の欠落と適切な判断力の不足によるものであったことは、国民的体験として私たちの心に深く刻まれたのではなかったのでしょうか。
自民党改憲草案(98条)では、この緊急事態の例示の第一にあげているのが「外部からの武力攻撃」で、「大規模な自然災害」は口実でしかないのです。
自民党の改憲草案Q&Aでは、緊急事態宣言の効果(99条)として規定されている事柄の多くは、「必ずしも憲法上の根拠が必要ではありません」と説明している通りです(Q40)。
緊急事態条項について、水島朝穂・早稲田大学教授が、「しんぶん赤旗」3月3日付けでインタビューに答えています。
「権力の『集中』、手続きの『省略』、諸権利の『制限』の3点セットで、立憲主義の『存立危機事態』を生み出しかねない劇薬」と指摘すると同時に、「国民の権利を徹底して制限する緊急事態条項がないことこそ、戦前の人権軽視の歴史への反省です。日本国憲法の緊急事態条項の不在は、帝国憲法にあった緊急事態条項の積極的な否定を意味する『不在』なのです」。
この「不在」について、日本の憲法学会の重鎮・樋口陽一さんは、『いま、「憲法改正」をどう考えるか』(岩波書店、2013年)で次のように説明しています(113~115㌻)。
緊急事態に関する規定を憲法に定めること自体の是非について、各国とも終わることのない議論が続いていることに触れ、「日本国憲法のように緊急事態条項を持たないという選択は、単純な不備を意味するのではなく、それ自体が一つの回答を意味していたのである」。
要するに、憲法にすべてを規定し尽しておくことは不可能である以上、憲法を頂点とする全法体系から適切な措置を読みとる責任を公権力担当者に課した、ということです。
ちなみに自民党の改憲草案Q&Aは、有事法制の「国民保護法」では、国民の服従義務について「憲法上の根拠がないために、国民への要請は全て協力を求めるという形でしか規定できなかった」ので、これを解消するため、99条3項で国の指示に対する「国民の遵守義務を定めた」と説明しています(Q41)。
こうして見ると、自民党の考え方はすっきりしていて、憲法は、国民が権力の横暴を抑える立憲主義を具現化するものではサラサラなくて、権力者が国民を服従させる手段なのだ、ということです。
立憲主義・民主主義・平和主義を破壊しておいてその自覚がない根拠、「憲法学者の7割が自衛隊の存在自体が憲法違反であると解釈している以上、当然、集団的自衛権も憲法違反になっていく」(安倍首相、2月3日衆院予算委)ので、憲法を変えなくちゃならないという倒錯思考を倒錯しているとも自覚できない根拠は、ここにあるわけです。