きょうの浜通り医療生協新入職員オリエンテーションで、「憲法と社会保障」について話をする要請があったのは3月17日で、2月議会最終盤の私の討論準備真っ最中とは言え、まだ2週間あるし、前も何度か話をさせてもらっているから、と思って合点承知と即答していたら、けっきょく、直前の集中準備となりました。
けさの「朝日新聞」の「負担実感の春」、「しんぶん赤旗」の「老いも若きも非情の春」の記事も最初に話す追加資料としました。
ともかくここ数年、冒頭に話さざるを得ないのは、社会保障制度が貧困をつくり出し、弱者を排除し、貧しい人が富める人へ所得を移転させられている現実。
「社会保障のため」と言って昨年には消費税増税が強行されましたが、現実は、「朝日」を引用すれば、「65歳以上の介護保険料が値上がり」「長期にわたる年金抑制がスタート」「介護保険サービスの絞り込み」「特別養護老人ホームの新たな入居者は、原則『要介護3』以上」「年金は…賃金上昇にあわせた伸びより約600円抑制」などと、増税論拠は完全な破たんです。
という事実を冒頭に、憲法25条1項が人権宣言し、2項がその人権に対応した国の責務を明記していること、そしてその人権は「侵すことのできない永久の権利」と憲法11条が言い、それは「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」だと憲法97条がその根拠を示し、だからこそ、その権利は「国政の上で、最大の尊重を必要とする」と憲法13条は確認し、国民は「政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」と憲法14条は平等原則を宣言していることを示しました。
とは言え、権力は人権を侵害することが常なので、憲法12条は、国民がその権利を「不断の努力によって、これを保持しなければならない」と、わざわざ国民の責務を説いているわけです。
社会保障について見れば、国は憲法25条によってその「向上及び増進」を国民から義務づけられ、そういう点では税金は本質的に福祉目的税であることが明らかなのですが、国民の「不断の努力」との力関係から、社会保障を「低下及び減退」させていることが現実です。
だからやはり、憲法によって権力者をしばり、国民による権力者への命令書である憲法の実践を自覚的に不断に働きかけることは、はなはだ重要です。
そんな話をいわきや福島の医療、介護の実情にも触れながら語り、間に10分ほどの休憩をはさみ、2時間、話し続けました。
新入職員のみなさん、こういう時間をたえて聞いていただき、ありがとうございました。
あしたからは県議選の応援のために玄海原発をかかえる佐賀県へ飛び、4日の晩には帰ってくる予定です。