4年目の3・11、義妹の葬儀・告別式でした。51歳の現役バリバリの年代だっただけに、とりわけ同僚の先輩、後輩の看護職員たちのくやしさと悲しみはいかばかりかと感じるきのう、きょうでした。
告別式を終え、参列していただいたみなさんに故人の「旅立ち」を見届けてもらってからは、身近な親族による精進あげの会食。わが家の4人家族がそろうのも、こういう時になりました。
家にもどってテレビをつけると、福島中央テレビ(FCT)では、4年前の3月12日午後3時36分、福島第一原発1号機原子炉建屋の水素爆発を唯一カメラで放映した様子をあらためて伝えていました。
私は当時、あとになってその映像を見たこと、3月14日午前11時1分の第一原発3号機建屋の水素爆発の様子はまさにその時間に、小名浜の避難所になっていた小学校体育館で見ていたことを思い出しました。
その後、先日の土・日には福井へ行っていたために配れなかった「かけはし」「あしたの風」セットをご近所260軒ほどに配布しました。
きょうはペロのじん帯断裂手術後、初めて配布に連れて歩きました。
ともかく確実に春が目の前です。