会津若松市内にある大熊町・長原仮設住宅をたずね、住民のみなさんと懇談しました。
大熊町は地震・津波・原発事故にいっぺんに襲われたのだから、原発事故によるものではない津波による被害補償はない、みたいなことではなく、複合災害に対応する特別措置が必要なことは分かっていることなのではないか、事故はぜったいないと聞かされて原発を許容した住民を見捨てるのか。
中間貯蔵施設については地権者にとっては先祖代々の土地手放しにかかわることであり、地権者の納得が得られることが大前提。
復興公営住宅の家賃が避難指示解除後どうなるのかもわからず、どこに住めるのか、建設時期もわからず、住むこと自体決められないし、住まないと決めた人もいる。
この4年近く、自分たちの要望はすべて伝えたはずだが、その答えがない、国や県は、町民にはっきりと先が見える話をしてほしい、などなどの声です。
まさに「原発震災」は起こることはないことにしていた国策の失策に対する国の真摯な姿勢どころか、「事故収束」「賠償収束」を図る国の姿勢に、私もあらためて怒りを大きくしました。
その後、楢葉町の会津美里(あいづみさと)出張所をたずね、所長と懇談しました。会津地方には330人ほどの町民が避難されているそうです。
いわきでの楢葉仮設のみなさんとの先日の懇談の様子も伝えながら、住民のみなさんの生活再建について、率直な意見交換ができました。
町としては、「帰町をめざす時期の判断」を今年春以降にすることを示していますが、国の無責任な姿勢のもと、多くの課題をかかえたままです。