丸七年間、私が自宅で寝起きする時には、夜も朝も必ずそばにいたペロがいないと寂しいもんです。帰還の見込みもなく、ふるさとを失うことの日々の寝起きの際の気持ちだけでも想像すると、その寂しさの大きさと時間的継続がいかばかりかと思わざるを得ません。
午前中、出身職場の浜通り医療生協に寄ると、会津医療生協の地域支部のみなさんが中型バス2台に分乗し、津波・原発被災地視察に出発するところでした。
案内するのは、浜通り医療生協組織部職員と、小名浜生協病院事務長。いわき市内の津波被災地、そして避難指示が解除されて2年たっても半分も住民が戻れない広野町、避難指示解除準備区域が大半の楢葉町、帰還困難区域・居住制限区域・避難指示解除準備区域が混在する富岡町と北上します。
家にもどってからは、実質的にはきのうから手をつけてしまって、ファイルしていない、自室の資料類の処分と整理。1期目(03~07年)から捨てることをしないでためることを基本にしてしまって、その時のものも目を通されないままなので、いちおう、なんの資料だったかを見ながらどんどん処分です。
ファイルしていないもののめどが立ったところで、今月号の「あしたの風」「かけはし」、それに「しんぶん赤旗」6・7月号外の3種類をセット。あした配ろうと思います。