缶・ペットボトル、ビンのゴミ出しをしてから、浜通り医療生協ニュース2014年春号をご近所の組合員宅にペロを連れて配布。私の担当は18軒なのですが、私の通信を配る260軒ほどの範囲外にも4軒あり、けっこう広範囲です。
その後、3年目の3・11を迎え、心の療養と、復興へ向けた決意をあらためて固めたく、津波被災したいわき市内北部の久之浜(ひさのはま)から小名浜(おなはま)までの海岸を歩きました。
久之浜ではこれからの追悼のつどい準備のようでした。
波立(はったち)海岸の弁天島へはいまだに立入禁止で、何人かの警官が捜索に向かう姿がありました。
四倉(よつくら)漁港をながめ、海岸沿いの県道豊間(とよま)四倉線を通って、新舞子海岸には新たにできた防潮堤。
沼ノ内から薄磯(うすいそ)、塩屋崎灯台、豊間、二見ヶ浦(ふたみがうら)。薄磯では、去年も3・11に来ていたという群馬県からのご夫妻に出会いました。
江名(えな)漁港前の商店で「鰹削り」を買い求め、中之作(なかのさく)漁港前の商店にも寄ってしばしの懇談。
職場の海水浴で来ていた永崎(ながさき)海岸でも堤防づくりが進められています。
小名浜の港では県立いわき海星高校実習船「福島丸」で「鎮魂の祈りと復興への誓い」の準備中でした。
この日に家の中にいるわけにもいかず、いい療養でした。
はせべさま
4年目を迎えたいわきの浜の様子を知らせてくださってありがとうございました。
弁天島に向かう赤い橋、赤い鳥居。久之浜の鳥居もそうですが、なぜあれほどの津波があったのに小さな鳥居が残ったのでしょう…
昨日講談社文芸文庫『福島の文学』を購入しました。草野心平、宮本百合子、吉野せい(小名浜)、島尾敏雄、植谷雄高など福島出身11人の作家のアンソロジーです。心平が書いた数少ないするさとを歌った「岩城七浜」と「上小川村」が載っていました。
イワキ 片仮名のするどさと。
いわき 平仮名のなだらかさと。
磐城 その漢字の岩丈さをもった磐城七浜を。
常に新しい太陽はまんべんなく照らす。(磐城七浜)
心平は東京で引いていた焼き鳥の屋台に「いわき」と名づけたそうですが、上小川村出身の私の父も自分でおこした小さな会社に「いわき」という名をつけていました。
この間の一連のできごと、驚きましたが早期でよかったですね。この3年の疲れをゆっくり癒してください。たまには文学などいかがでしょうか。