党県議団として、双葉町役場いわき事務所と楢葉町役場いわき出張所をたずねて懇談しました。
双葉町では伊澤史郎町長はじめ副町長、復興にかかわる部署の職員らが対応してくれました。
3・11当時、福島第一原発立地町の町には7,100人余りの人口がありましたが、今は6,500人弱となり、いまだ全町避難で、帰還困難区域の人口が96%、残りが避難指示解除準備区域です。
事故後6年、つまり4年後には区域が見直されることになっていますが、町長は「とてもとても4年後にもどれる状況ではない」と。
きわめて率直な話だと思いますが、「国策に協力してきた自治体がその国策の犠牲になり、あたかも自然消滅するのを国は待っているかのようだ」ときびしい指摘です。
自治体としての権限が喪失させられている事態と賠償が被災者に寄り添っていない根本的打開を強く訴えられました。
楢葉町は、ほぼ全町が第一原発の20km圏内で、第二原発立地町です。松本幸英町長はじめ、副町長や放射線対策・復興にかかわる職員が対応してくれました。
ほぼ全域が避難指示解除準備区域で、町民も昼間だけは「自宅に立ち入り可能」となっていますが、課題山積状態は変わりません。
楢葉町の今はまさに国直轄の「除染の町」となっているわけですが、町民から吹き出ている声は「室内除染をなぜしないのか」ということ。室内除染は基本的にせず、室内のリフォームなどによる賠償対象で、というのが国の姿勢だそうです。驚くばかりです。
また、仮に帰町できたとして、直ちには住宅を確保できない町民や、やむを得ずしばらく帰町を見合わせる町民の住宅確保策が今はまったくないのが現実です。
私は先だっての9月議会での質問で、今回の震災を受けて「居住の権利が社会保障の中心に座ることが実感された」と言ったのですが、原発震災被災者の住まいの問題が後手後手に回る根源に、「住まいは自己責任」とする日本国家独特の国家政策にあるように思えてなりません。