1949(昭和24)年8月17日に発生した「松川事件」の「犯人」として逮捕・起訴された20人の一人で、その年の9月22日から1959年7月1日まで被告として投獄され、63年9月12日に無罪判決が最高裁で確定した鈴木信(まこと)さんが7月2日に93歳で亡くなり、きょう、福島市内で「お別れの会」がありました。
私は1959年生まれなので、松川事件のことも信さんのことも直接は知りませんが、1949年7月6日に国鉄総裁下山定則の轢死体が発見され(下山事件)、7月15日には中央線三鷹駅で車庫から電車が暴走し、6人の即死者、重傷者7人を出す三鷹事件、そして8月17日、東北本線松川付近で列車が転覆し、乗務員3人が死亡する松川事件が発生したことについては、高校教科書やその後の勉強で、「歴史上の事件」としては知っていました。
信さんのゆかりの7人が「お別れの言葉を」を語ってくれました。信さんは「まこと」が名前ですが、ほとんどのかたが「しん」さん、と呼びかけていました。
NPO法人・福島県松川運動記念会理事長の安田純治さんは、1970年代、この福島の地で「革新共同」の衆院議員として活動することになった70年代初頭の信さんとの歴史的いきさつを語っていました。
また、党中央委員で前県党委員長の最上清治さんは、1980年に党県委員長だった信さんと第15回党大会に参加し、信さんが、当初予定していた発言内容を急きょ変更し、前日に飛鳥田社会党委員長が「右転落」宣言をした内容に触れ、福島での統一戦線を前進させた革新共同の経験を発言したエピソードを語りました。
ともかく松川事件の真犯人はいまだナゾのままで、終わってはいません。被告とされ、2度も死刑判決を受けた人びとの無罪だけがはっきりしていることです。
なぜ日本国家としてこの解明をする姿勢を示さないんでしょうか。