県議会常任委員会の視察2日目。
夕べ乗り込んだ船内では、寝た気がしないまま、早朝5時ぐらいに三宅島に到着。
朝食をとって若干の休憩後、三宅村役場、東京都三宅支庁をたずね、2000年の全島避難に至った三宅島の噴火と4年半にわたる避難、その後の復旧・復興に向けたそれぞれのとりくみと現状を聞きました。
三宅島は活発な活火山で、記録に残る11世紀初頭の噴火以来でも、約20~60年周期で噴火を繰り返してします。20世紀以降も、1940(昭和40)年、1962(昭和37)年、1983(昭和58)年、そして2000年と噴火しています。
とくに2000年噴火は、2500年ぶりの噴火ともいわれ、噴火の時にはどう避難するかが身に染みている島民にとっても、全島避難となることは想定外の初めてだったそうです。
人口は、全島避難(2000年9月2~4日)時の9月1日現在が1,965世帯3,826人でしたが、今年4月1日現在では1,682世帯2,686人となっています。
「火山とともに生きる新たな島づくり」の道のりは、なかなかたいへんですが、自然の中に生きる力強さとしたたかさを感じます。
午後3時半以降は、村役場でも同席いただいた村議会議長や議会担当職員の案内で、「三宅村活動火山対策避難施設」や「三宅村国民健康保険直営中央診療所」や、火山が生み出した造形などを見て回りました。