福島県立いわき海星高校の入学式に県議会議長代理で参加しました。会場は小名浜市民会館。
おととしの震災後の3月29日、海が真ん前のこの高校の片付かないがれきを前に立ちすくむ教員の姿が私の目に焼き付いています。今年春の甲子園に「逆境を成長の糧とする選手の姿が、被災者への励ましになる」と、野球部が出場した学校です。
こうしたことに触れながら、議長祝辞を代読しました。
これを前後して、訪問や懇談。
いわき市役所小名浜支所、小名浜地区保健福祉センター内の地域包括支援センター。小名浜生協病院事務長・医療生協組織部長時も、県議1期目もずっとお世話になっています。
いわき・ら・ら・ミュウでは8月末まで「いわきの東日本大震災展」。写真や展示物やビデオ上映であの時を思い出させてくれます。
タウンモール・リスポ店内では、小名浜地区交流サロン、それに震災直後に寄らせていただいたお店。
その近くの魚屋さんは震災時に断水が続いた時期、おとずれる人たちに井戸水を開放していました。
アクアマリンふくしまでは県庁でもお世話になっていた新任の副館長ともごあいさつ。
中之作漁港の真ん前のあるお店も震災直後にたずねていました。80歳を超えるおばあさんが一人できりもりし、ちょうど80歳を超えるお客さんのおばあさんが来ている時に私が。原発論、地域社会論、教育論と、盛り沢山の尽きない話を聞かせていただきました。お客さんのおばあさんのいとこの子が医療生協の職員だということで、尽きない話がまた尽きなくなり、途中ですいませんでした。
大半の家が津波で流された薄磯(うすいそ)地域に寄ると、ますます悩ましい話。津波被災と原発被災の人たちがいっしょの地域の仮設住宅に住んでいること、津波被災にあった地域で家屋が残っている人と流された人との意識の違いなど。国が、こうした実態を把握したうえで対応できていないことが、最大の問題です。