社会生活復帰の第一歩として、きょうは医療生協理事会に出席しました。総代会をはさみましたが、入院直前の昨年9月以来の参加です。
古巣の病院に行くのもそれ以来。存置林にはハマナスの花と実。
家の庭にはもみじの木にまた2つのセミの抜け殻。けさにでも出てきたのでしょうか?鉢植えのミニバラも、もう終わったかと思ったら、4輪が新たに。一つは花を咲かせ、つぼみが三つ。
社会生活復帰の第一歩として、きょうは医療生協理事会に出席しました。総代会をはさみましたが、入院直前の昨年9月以来の参加です。
古巣の病院に行くのもそれ以来。存置林にはハマナスの花と実。
家の庭にはもみじの木にまた2つのセミの抜け殻。けさにでも出てきたのでしょうか?鉢植えのミニバラも、もう終わったかと思ったら、4輪が新たに。一つは花を咲かせ、つぼみが三つ。
午前中の天気予報は「曇り」のようでしたが、朝から快晴。仙台管区気象台は、ここいわき市を含む東北南部が梅雨明けしたとみられる、と午前中に発表しました。去年より3日遅く、平年より4日遅い、とのこと。狭い庭で3つのセミの抜け殻を発見! その後もう1つ、計4つ。天候に誘われ、 四倉(よつくら)海岸へ行ってきました。 ここの海水浴場は震災2年後の2013年に再開、2012年に再開した勿来(なこそ)といわきの海水浴場は2か所にとどまっています。
震災前の2010年、いわきの海水浴客は10か所で約80万人、昨年は2か所で約5万9000人、震災前の7%程度。それでも前年の約2倍。 ここは震災翌日に駆けつけた場所で、どうしても当時を思い出します。
浜通り医療生協ニュースをご近所の組合員宅に配布しました。今年度の総代会と記念講演の様子を伝えるニュースに加え、特別養護老人ホーム建設へ向けた「つくる会」のニュースや訴え、「いわき平和のつどい」など諸行事のチラシなどもあって、ワンセットを袋に入れて。2~4丁目にまたがるので、小一時間ほどかかり、ペロの散歩も兼ねて。
山崎雅弘著『日本会議』(集英社新書)を読み始めたのですが、「安倍首相と日本会議はなぜ天皇の言葉を無視するのか」の小見出しの部分。さっそく宮内庁ホームページからその言葉を確認しました。
天皇皇后両陛下御結婚50年に際しての、2009年4月8日の記者会見で、宮内記者代表質問の最初の質問に答えた部分です。著者は、天皇のこの言葉を「ないがしろにするような考え方や行動をとる人間は、口で何を言おうと『天皇崇敬』とは対極に位置」すると断じています。
退院後の様子観察のための通院日でした。血液検査に異常なし。薬の処方も止まりました。整形受診と処方薬についても報告。
次回からは2か月に一度、血液検査とセットの診察となります。『父・伊藤律』(伊藤淳[じゅん]著、講談社)を読みました。 私が全日本民主医療機関連合会(民医連)事務局に務めていた4年間を含め、事務局次長のおひとりだったのが著者です。この本が世に出ることを最近の新聞広告で知り、先日購入していっきに読みました。なぜか私の記憶には、成田空港で、伊藤律氏が乗る車イスを後ろから押して歩く著者の姿が移った写真が残っています。いつ見たのかも思い出せませんが、あの写真が1980年のことであることを本書で認識しました。 「父・律の波乱の人生をこの手で引き受けてみたい」との思いが、律氏の死後、ますます強くなってきたとのことですが、家族4人を支える様ざまな人びとを含めた「戦後」群像を見た思いです。
『日本会議と神社本庁』(『週刊金曜日』成澤宗男編著、金曜日)を読みました。
神社本庁は戦後、国家神道が解体されたときからすでに、その復活を希求していた、とのこと。1951年に「建国記念の日制定運動」を開始、15年後の1966年には「建国記念の日」が制定され、さらに元号法制化をもくろんで1979年に元号法成立、こうした成果を生み出す過程で生長の家などの宗教団体が加わり、1974年に「日本を守る会」、1981年に「日本を守る国民会議」が設立され、1997年に一本化して日本会議となりました。
憲法改正を最重点に、夫婦別姓反対、在日外国人の参政権反対など「草の根国民運動」を進め、安倍政権の登板・再登板で本格的に改憲(壊憲)に乗り出しています。
本書は、「ナショナリズムと宗教の結びつき」を許さず、壊憲を阻止するため、日本会議と神社本庁の素顔を暴く一助とすることを目的に書かれています。
きょうは歯医者の日でもあり、 歯周の「検査」、ならびに歯石除去などの「処置」、前回埋め込んだ土台にかぶせる歯の型をとる「歯冠修復および欠損補綴」があって、 5月に通院再開していちばんの負担額となりました。
いわき市石炭・化石館(愛称;ほるる)では、ふだんあまり公開する機会のない資料を展示している、というのでちょっと行ってきました。先週土曜日(7月23日)から始まり、来月(8月)31日までです。
順路としては、1階の化石展示室、2階の学習・標本展示室、野外にある昭和の杜「六坑園」に寄り、「竪坑エレベーター」で2階から1階へおり(地下600mに降りる雰囲気)、常磐炭田125年の歴史に触れる模擬坑道を過ぎると、1930年代の炭鉱住宅や戦後の世話所・共同炊事場があって、映像ルームにも寄り、最後に「収蔵標本展」の会場があります。いわきへおいでの際にはぜひお寄りください。
朝からの散歩日和が続きます。けさもとと姉ちゃんを見終えるや、出発。
今さらながら、地元自治会館敷地内の防災スピーカーに目が行きました。年がら年中歩いているのに…
高台の住宅地から降りる坂の上からは、「定時定点」の宣伝をしていたバイパス道路の出入り口が見えます。
きのうは南側の田園地を歩きましたが、けさは北側の田園地。林の向こう側に郷ヶ丘2丁目の住宅地があります。
朝からきょうも散歩日和。日差しがありますが、適度な涼しさです。サンデーモーニングのスポーツコーナーを見終えてから出かけました。
ペロにとっては、アスファルトの照り返しがきついかも…さて、3月3日に退院し、その後の外来通院での20回の放射線治療も4月8日には終えて、3か月半があっという間に過ぎました。
5月中にはと思っていた「退院報告」のハガキもなんとか間に合わせたものの、お見舞いに来てくれたかたがたへの必要なお礼ができていないなぁ…、と。
午後はそういうわけで妻と果物屋さんやスーパーを回って歩きました。
きょうも県営いわき公園を散歩。めったに行かない(2~3度目?)、スポーツゾーンからつながる林間アドベンチャーゾーンの道を歩きました。こちら側には震災後から楢葉町の仮設住宅が立ち並ぶ多目的広場があり、バス道路をはさんだ向こう側には県立光洋高校があります。きょうも涼しい日でしたが、この時期に歩くには最適かもしれません。きのう、遊びのゾーンで間近に見た時計塔が林の中に見えます。
ウグイスの声が聞こえるかと思えば、セミの鳴き声も。途中、抜け殻が3つも見つけ。家に戻ってからはまた片付け。投票日に始めた作業はいまだ続きます。処分する書類・書籍・資料類をまとめたのは「第二次」。
少しの日差しで、「大暑」とは思えない涼しいぐらいの天候のなか、久しぶりにペロと県営のいわき公園へ行ってきました。
いつもの西側のエントランスゾーンではなく、東側の遊びのゾーン側の駐車場に車を入れて。
10歳になったシーズー犬がヒトの年齢ではいくつに相当するかはわかりませんが、ペロも童心に戻った(?)のではないでしょうか。家に戻るとまたもろもろの処分作業。分別してまとまるたびにゴミ出ししていますが、ちょっとまだ先が……