けさは自宅近くの定時定点。市場帰りらしい軽自動車のバンからにこやかに手を振っていただく姿が印象に残りました。
いわき地方はきょうも全国各地同様日照りと「猛暑」。
小名浜地域と私が住む地域で後援会員と訪問して歩きました。
高齢のご夫妻は、「ダメなものはダメ、とはっきりと言えるのは共産党しかないように見える。がんばってほしい」という声。
いかにもモダンな家並みをたずねると、若いお母さんたちが「いつも応援してるんです」、「応援してます」の声。
政治的対話はほんとうに大切です。
この異様な暑さ続き、みなさまにおかれましてはいかがお過ごしでしょうか。
2日前の金曜日朝、いつものように定時定点の街頭からの話を終えて家にもどると、かなりのぐったり感の自覚症状。
ともかく外に出る行動は控え、毎月発行している「かけはし」の原稿を仕上げ、読みかけの本を読みきってからは、数時間、ふとんに横になり、夕刻は地元での行動計画の打ち合わせ。
きのうもまた引き続き、午前中は読みかけの本を読みきり、午後から医療生協の理事会。
きょうは党地区委員会の会議後、夕刻から地元の後援会員と地元の訪問です。「前回は投票したのに、悔しかった」「今度は頼むよ」「いまの政治を見ていると、民主党もああいうざまだから、共産党しかないんだ」「応援してたんですよ」「年寄りいじめは民主党もけっきょく自民党と変わらない。共産党の時代だ」と励まされるお言葉ばかり。私のほうがほんとうにびっくりするぐらいです。
こうした声に応える政治にしなければなりません。
日刊の「しんぶん赤旗」を配達する日は朝4時半起きですが、ずいぶんと暗くなってきました。
木曜日朝の定時定点は、三叉路で六方向に出勤するみなさん。なかには利用者を迎えに行く介護事業所の車もあれば、お子さんを学校に送る車もあります。立っているとよくわかるようになります。
「草花スケッチの会」のみなさんの展示会がありました。あさって4日まで、いわき市文化センター4階です。作品を出品しているおひとりが、毎週月曜日朝の定時定点に出てきているかた。
会場に行くと、さすがに絵に「精通」されているかたも来ていて、作品を見ながら、「花の茎の描き方を工夫するともっと広い感じの花畑を描ける」「前の花の色と後ろの花の色を少し変えると風が吹く感じが出る」などとアドバイスする人もいたりして、なるほど、と思いながら有意義な鑑賞でした。
それにしても民主党の代表選。小沢一郎さんが出てくること自体、民主党の自浄能力のなさをさらけ出しているのですが、私たち庶民の暮らしの苦難をどう打開するか、まったく見えません。
自民党時代の権力闘争とどう違うのかを説明してほしいです。
けさの定時定点の街宣は福島高専近くの街道沿いでしたが、朝から日照りが強く、話していながら汗が背中を伝わるのがよくわかりました。
そんななか、通勤されるみなさんからの声援が身にしみます。
きょうは私が生まれ育った内郷(うちごう)地域で街頭からの訴えと訪問。
小学校の担任の先生とも40年ぶりぐらいに再会したり、あるお宅では、この地域ではいつも街頭から話しているので、「わかるような話になっていますか?」と聞くと、「長谷部さんが中三のときの一年生で、後輩なんです。活躍してほしいと思っていました」と。びっくりです。
そしたらその近所では、「生協病院の医者と私は親戚なんです。事務長をされていたんでしょう?」と。これまたびっくり。
かつての炭鉱住宅地域でもあり、その名残りらしきお宮様もありました。
月曜日朝はわが家にいちばん近い場所での定時定点の街宣。きょうも近所の後援会員がいっしょに宣伝に立ってくれました。
きょうは私のもともとの職場である小名浜生協病院職員の清掃デー。病院敷地内の花壇などの草むしりがおもな作業。その様子を見て、受診に来た患者さんが草刈りの効率的しかたを教えてくれたりします。
夕刻にはある団地の「しんぶん赤旗」読者や支持者宅をたずねました。
ちょうどテレピで民主党代表選報道を見ていたかたは、「民主党のあのざまにはほんとうにあきれるほかにない。自民党と何も変わらない。政治を変えるのに頼れるのは共産党しかないじゃないか」と。
また別のかたからは、「参院選では共産党の政策的提案が伝わらなかった。反対ばかりの印象を払拭してほしい。応援したい」と。
政治を変えたい、という胎動を感じる日々です。
第56回母親大会の2日目。
きのうは妻といわきから2人で福島市へ向かいましたが、きょうは妻の知り合いも参加する、ということで、きのうに続き、私の運転で会場の福島大学へ。
昼休みに、ばったりと会った会津からの参加者は、「この大学内での分科会はどこもいっぱい」とのこと。35の教室で分科会が行なわれているのですが、確かに、休憩中に各教室をのぞくと、どの席にも参加者の荷物が置かれている様子。私は「原発、プルサーマル」分科会に参加していたのですが、主催者側の意に反して、教室はいっぱい。
当初は限られた人数の参加者全員に発言してもらって原発立地地域の交流を深めようとの思惑だったらしいのですが、そうはいかなくなったようでした。
私はこうした全国から集まるみなさんが原発、プルサーマルに関してどんな思い、意見をお持ちなのかに興味があったわけですが、ずいぶんと刺激を受けました。
ともかく、日本に原発があることで、「情報の秘匿」、「世論操作」、「金権体質」という原子力発電にまつわる3つの特質(清水修二福大教授の指摘)が、プルサーマルによってますます強まるであろうし、こうした「原発文化」と言っていい事態に、国民の暮らしの視点からエネルギー文化を醸成することの大切さと困難さを感じたしだいです。
第56回日本母親大会が福島県内のあづま総合体育館でありました。
文化行事で「フラ・タヒティアンダンス」が行なわれるにいたるには、私も少しだけかかわっていたので、行かないわけにはいきませんでした。
子どもたちのダンスも含め、期待どおりのすばらしいフラダンスでした。
参加したもうひとつの目的は、日野秀逸さんの記念講演「平和と健康は幸福の必要条件―憲法的人間像を求めて」。
会場がどよめいたのが、日本は借金大国であることは間違いないが、それ以上の資産があり、常識的にはこういう場合、日本の国家財政は黒字、という話。
この図は、日野さんの著書『社会保障拡充の方向と消費税』(本の泉社マイブックレットNo12)から。
帰る途中のサービスエリアで、さっきフラダンスを披露していただいたみなさんとばったり。教室主宰のリノラニあゆみさんとも。舞台を降りてからも参加者のみなさんからねぎらいの拍手と歓声があり、踊ったみんなが感激していた、とのこと。なんだか私もホッとしました。
けさの定時定点の街宣時、高校同級生が2人、新盆でたずねたお宅のだんなさんから声援をいただきました。短時間にこういう場面はそうありません。
きょうは午前と夕刻に街宣、午後の時間帯は訪問。
訪問先では夜間専門のヘルパーさんに招かれ、しばしの懇談となりました。ヘルパーが本来したい仕事と現実との乖離、介護保険制度のもとでのヘルパーと事業所との矛盾、行政がそこに目が向かない現実、まして福島県が小名浜の東の沖合いに人工島を造るのに税金を使っているとは知らなかったし、ご自身も通ってみた車が通らないあぶくま高原道路は何のため? と大いなる疑問をぶつけられました。
街宣場所には近所からバイクで駆けつけてくれたり、小・中学校の同級生が出てきてくれたり。子どもたちが「何かお手伝いしましょうか」と言ってくれる場面もありました。
日刊の「しんぶん赤旗」でいま、「併合100年 日本と韓国」の連載が始まっています。連載のテーマは、日本の植民地支配の実相と、友好に向けた展望を考えること。第1部は「支配と抵抗」できょうはその第5回。
22日の第2回では、1925年5月12日に施行された治安維持法が、植民地支配をしていた朝鮮半島で猛威をふるっていたことが紹介されています。
水野直樹京大人文科学研究所教授の研究によれば、日本が植民地にした朝鮮を、朝鮮人が取り戻そうとすることが、「国体の変革」にあたると拡大解釈されていたこと、何より私が初めて知ったのは、「日本史の研究では治安維持法の最初の事件は、京都の学生たちがつくった社会科学研究会を摘発した京都学連事件(25年12月)だとされていますが、朝鮮半島では11月末に、朝鮮共産党に対する弾圧が行われている」という話。
日本の戦後の整理が日本の政府によっていつになったらされるのか、とつくづく思います。
きょうは朝の定時定点の街宣後、来年の県議選へ向けた会議があり、夕刻からは、私が病院事務長時代からコンビを組んでいた看護部長の退職送別会がありました。