「いつでも元気」300号/創刊当初から記事づくり/名誉会長の期待の言葉に原点

『いつでも元気』300号(2016年10月号)が、病床の私の手元にも届きました。全日本民医連編集で保健医療研究所発行の月刊誌で、創刊は1991年12月号。161027%e3%80%8c%e5%85%83%e6%b0%97%e3%80%8d300私が全日本民医連事務局で仕事をし始める直前の創刊で、私は創刊直後から記事づくりにも関わりました。161027%e3%80%8c%e5%85%83%e6%b0%97%e3%80%8d300%e8%a8%80%e8%91%89創刊当時の民医連会長で、現在は石川・城北病院名誉院長・全日本民医連名誉会長の莇(あざみ)昭三さんは、「実に25年間の積み重ね」「これまでの編集者たちの並々ならぬ努力」をたたえています。

私も当時の編集スタッフの姿を目の当たりにともに仕事をしていましたから、名誉会長の言葉がずしりと心に響きます。161027%e3%80%8c%e5%85%83%e6%b0%97%e3%80%8d300%e5%b7%bb%e9%a0%adそして今号に掲載されたその期待の言葉が、「『いつでも元気』ではなく、『いつでも病気』『目前に死がある』-そんな人々の視点、要求についても、共同組織の運動や『元気』誌が目配せを更に強めること」に置くことに、あらためて原点を見る思いです。

毎日微熱を発し/38度のカベ(?)/最後の瞬間まで~日本シリーズ

やはり、昨年の「初発」の際に使った化学療法剤よりは明らかに使用後の日々の副作用が強い薬剤です。

それで、毎日、毎日、微熱を発し、身体がたたかい、だるさに通じ、毎日寝ていられる、ということだと思います。

きょうも、午前中、たまたま空いていたお風呂に久しぶりに入り、それ以外は夕刻まで、ずっと寝ていました。

一方で微熱は続き、医師が「38度を超えるようなら抗生剤注射などの対応を」というわけですが、朝6時37.0度、8時半37.9度、午後2時37.9度、午後7時40分37.9度と、38度は一つのカベ(?)

それはともかく、今夜も日本シリーズを最後まで。最初はハムのピッチャーのボール先行と味方エラーによってノーヒットで先制され、自作自演・自滅的に終わるのかと思いきや、ハムの打つべき人が打ち、最後の広島の回はツーアウト満塁・スリーボール・ツーストライクと最後の瞬間まで結果がわからない試合。まったく見逃せない試合が続きます。

1日だるさ感からハムサヨナラまで

きょうも全身のだるさ感からほぼ1日横になり、寝る時間が大半でした。

そこで、治療があるわけではない日に、寝る時間以外に何をしているか、暇なので振り返ってみました。

朝6時の検温、36.5度。

朝7時半過ぎ、わが家の購読朝刊3紙や着替えなど妻が部屋へ。

8時ごろ、朝食。けさは完食。

9時検温、37.1度。その他血圧など。化学療法後に白血球を減らさないための皮下注射の5日目。

お風呂の代わりに、清拭タオルをあずかって全身をふく。

正午前、昼食。きょうは7割がた。

午後2時検温、37.6度。火曜日の午後のこの時間、だいたいいっせいにシーツ交換。

きょう、あすと帰省してきた息子が妻と病室へ。

きのう、のるのを忘れた体重計にのると、52.5kg。

夕刻には主治医が各担当患者のベッドサイドへ。現在の微熱が38度を超えるようになるとまた抗生剤での対応が必要になることなど。

午後6時前、夕食。やはり7割ほど。検温。37.4度。

午後8時検温、37.5度。

なお今夜は、興奮さめやらぬまま午後10時24分のハムサヨナラまで。

血液の状況は順調な推移/来訪を受け急に元気

けさは、先日17~19日の2度目の3日間の治療後、最初の血液検査でした。

主治医の話では、少なくとも血液の状況は順調な推移、とのこと。とりあえずは安心です。

一方、、化学療法による身体への負担は大きいこと、それに、現在続いている微熱状態の熱と、先日20・21日の高熱とは「性質が違う」(?)説明もありました。ちなみにきょうは、6時36.6度、9時37.0度、14時37.6度、18時37.2度、20時37.6度。
まっ、基本的にきょうは全身倦怠感というか、体を動かす意欲が出て来ないというか、そんな感じだったので、ほぼ1日、横になっていました。

ところが、たまたまきょうは市内医療関係者向けにこの病院の新築説明会のようなものがあり、浜通り医療生協専務や小名浜生協病院事務長が病室に寄ってくれ、急に元気になりました。やっぱり人はヒト。まだ感染症などによる面会制限はないようですから、元気な顔(?)を見に来てください。

スターウォーズ「Ⅵ」/安定しない体温

161023%e3%83%99%e3%83%a9%e3%83%b3%e3%83%80穏やかな日和で始まった日曜日。161023%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%baいつものように朝7時前までNHK、その後TBS系で健康・情報・報道番組を見て、きょうは「スターウォーズ Ⅳ」のつもりでDVD視聴。

ダース・ベイダーの子であるルーク・スカイウォーカーとレイア姫、そしてまたハン・ソロが登場し、ヨーダが逝き、ベイダーの贖罪の場面。
ひょっとして、いちばん最初に見たスターウォーズはこれなのでは?161023%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e2%85%a5

と、DVDジャケットをよく見ると、「Ⅳ」ではなく、「Ⅵ」でした。「Ⅳ」「Ⅴ」を飛ばして「Ⅵ」(最終巻)を見ていたのでした。話が終わったようなので、どうこれから続くのかな、と思ったばかりでした。161023%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ba%e2%85%a5%e8%a3%8f最初に借り受けたときに、Ⅳ巻がどこかにまぎれていて、全Ⅴ巻と思い込んで「Ⅵ」が「Ⅳ」に見えていました。

見終えてからの検温時には37.9度。ひと休みし、夕刻に37.0度。どうも、安定しません。

平熱に/「スターウォーズ Ⅲ」/日本シリーズ

3日間の点滴治療後、いつ来るかもわからない副作用の魔の2日間は終えたようです。もっとも、2日間で終わるのかどうかもわかりませんが…

けさから熱も平熱に戻ったようです。161022%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ba%e2%85%a2きょうは「スターウォーズ Ⅲ」視聴。なにかこの2日間のどん底をみる気配と似ていないわけじゃない…、あぁ、こうしてあの若者が「Darth Vader」に?161022%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ba%e2%85%a2%e8%a3%8f午後はしばし休息、夕刻からにはプロ野球日本シリーズテレビ観戦。161022%e3%82%b5%e3%82%a4%e3%83%89

ドツボ

きょうは一日ドツボの日。

3食ともほとんど口には入りませんでした。横になりっぱなし。

夕刻には娘が仕事の都合で寄ってくれたようですが、上の空。

夜半にはまた全身ずぶぬれ状態で目を覚まし、ナースコールでシーツ交換、着替え。おしっこもベッドサイドで出来るようにきのうからしてもらっています。

要するに、きのう、きょうは、初回治療6~7日後の状態が、治療翌日・翌々日にやってきた、という感じ。きょうも体温は38~39度。

あぁ、しんど………

便意がきょうの兆候(?)/「スターウォーズ Ⅱ」/39度5分越え

朝起きて朝食後、9時過ぎぐらいにちょっとした便意が始まったのがきょうの出来事の兆候だったかもしれません。

小一時間の間に4度、トイレへ行き、1度目はいくら力んでも出ず、2度目、3度目にそれなりの(量の)便。4度目も催し、これはもうほとんど液体。161020%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ba%e2%85%a1

これでおなかも落ち着いて、「スターウォーズ Ⅱ」視聴。次がどうなるか、ドキドキする終わり方でした。161020%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ba%e4%ba%8c%e3%81%ae2と、問題はその後。いっきに体調がよろしくなくなり、急な寒気と震えでナースコール。毛布を追加。39度5分越え。

その後はひたすら横になったまま。夜半に目が覚め、パジャマもシーツもびしょ濡れ状態。またコールで替えてもらい、暗闇の世界へ…

2回目療法最終日/DVD「のだめカンタービレ」、「スターウォーズⅠ」

悪性リンパ腫再発時のサルベージ(救援)療法の一つで、ほぼ3週間おきに6回実施予定のDeVIC(デヴィック)療法の2回目の3日目最終日も無事終了しました。161019%e9%87%9d%e3%81%95%e3%81%97%e8%a3%9c%e5%bc%b7メニューは2日目のきのうとまったくいっしょ。手首近くの右手甲側にさしてあった点滴針が抜けかかって浮き上がっていて、同じ場所でさし直せたのでよかったです。161019%e3%81%ae1161019%e3%81%ae2161019%e3%81%ae3161019%e3%81%ae4カプセル制吐剤を朝食後にほかの入院定期処方剤と服薬し、点滴開始は午前10時35分。最初は制吐剤、次に2種類の化学物質(初日だけが3種類)、最後にまた制吐剤。終了は午後5時5分。161019%e3%81%ae%e3%81%a0%e3%82%81%e3%82%ab%e3%83%b3%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%83%93%e3%83%acきょうはその間、今度は弟から借りたDVD「のだめカンタービレ 最終楽章 前・後編」、ならびに「スターウォーズ」の「Ⅴ」までのうちの「Ⅰ」をそれぞれ視聴。まぁ、それぞれ引き込まれました。161019%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ba1161019%e3%82%b9%e3%82%bf%e3%83%bc%e3%82%a6%e3%82%a9%e3%83%bc%e3%82%ba2

まっ、いずれにせよ、治療まではいいのであって、問題は初回の6~7日後に発生したようなどうしようもない副作用症状がまた出るのかどうかです。

6年前に天皇の退位の意向/「皇室の在り方」「天皇の在り方」についての天皇の考え

きのうからけさにかけ、テレビ・新聞などメディアが、天皇がすでに6年前、76歳の時の2010年7月22日夜の「参与会議」で退位の意向を示していた、と報じていました。以下、「朝日新聞」のきょう付け12版2面から。161018%e5%a4%a9%e7%9a%87%e6%b0%97%e6%8c%81%e3%81%a11161018%e5%a4%a9%e7%9a%87%e6%b0%97%e6%8c%81%e3%81%a12「このままでは天皇の務めを果たせなくなる。その前に、私は譲位すべきと思っている」。
「80歳までは務めを果たしたいが、その後は譲位を望みます」。

その2年前、08年には天皇は精神的なストレスが原因とされる胃や十二指腸の炎症が確認されるなど、体調は万全でなかったとのこと。宮内庁は翌09年に初めて本格的な公務見直し策を公表していました。

その09年は即位20年を迎え、11月6日の記者会見では「将来の皇室の在り方については,皇太子とそれを支える秋篠宮の考えが尊重されることが重要と思います」と語っていました。

なお、「朝日」記事にはありませんが、09年は4月8日に「天皇皇后両陛下御結婚50年に際して」の記者会見もしていて、「大日本帝国憲法下の天皇の在り方と日本国憲法下の天皇の在り方を比べれば、日本国憲法下の天皇の在り方の方が天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇の在り方に沿うものと思います」と語っています。160728%e5%a4%a9%e7%9a%87090408%e7%99%ba%e8%a8%80

この発言などは、「日本会議」や安倍晋三など自民党を乗っ取った右翼はまったく無視しています。3か月ほど前にブログで触れました。