ESHAP4日目/体重増・むくみ対策

けさ(1月31日)の体重61.55kgはきのう夕刻4時比▲750g。きのうから1日2度の測定で点検開始。

7時過ぎには胃薬点滴(オメプラゾール)30分の追加。

8時半には生理検査室から呼ばれ、9時を前後して20分ほどの腹部エコー検査。

それが終わるまで朝食はおあずけ。

病室へ戻り、9時半からは、ESHAP療法4日目のメニュー開始。

体重増・むくみ対策が続きます。
けさの体重減は効果薄で、午前中に利尿剤追加。午後には、むくみが心臓など胸部に影響がないか、レントゲン写真の指示。

撮影直後の体重測定では62.3kgと、きのう夕刻と変わらない体重。
午後4時過ぎには利尿剤の追加処方。

「お小水」は利尿剤処方直後からよく出るようになってはいますが、「お通じ」は1日置いたけさに続き、きょう2度目。

「出」はよくなっているように感じますが…

レニン採血/スパイロ/ESHAP3日目/シャワー/MRIと

けさは、7~8時の1時間の安静後、「レニン採血」なるものがありました。シリンジの数もけっこうな本数でした。血糖値は120、とのこと。

終えるや、朝食前に体重計にのると61.85kg。またきのう比+2.5kg。医療側からのコメントはまだですが、体重増ハイテンポ?
8時半からは肺活量・換気量を検査する「スパイロメトリー」。
病室にもどってからやっと朝食。

きょうはESHAP療法3日目。スパイロから病室へ戻ってからはそのメニューこなし。9時半からの生理食塩水1L・硫酸Mg補正液から始まり、10時過ぎのソルメドロール(メチルプレドニゾロン)、11時前から制吐薬(アザセトロン)と来て、11時過ぎから抗がん剤・エトポシド、それが終えるや2時間後からは遮光しての抗がん剤シスプラチンをあす午前10時まで。

その間、朝7時には、27日からの胃薬(オメプラゾール)点滴追加、10時過ぎにはけさの体重増対応もあり、きのうよりも増量した利尿剤を点滴チューブに注入、10時過ぎにはきのう分のシスプラチンが終了、午後1時過ぎには27日からの鎮痛薬(フェンタニル)点滴追加。午後2時には、むくみ・体重増加対策に、利尿薬(20mg/2ml)追加がありました。

きょうは妻が来ていて、午後3時半よりシャワー。26日の自宅での入浴以来、さっぱり!  体重を測ると62.3kgとまた増。4時半には利尿薬をさらに追加し、きょう3度目。その10分前には27日からの水分補給・ソリタT1も追加。

すると、けさ、「今週中には」と医師から言われていたMRI検査に検査室から呼ばれた、と。あとあとのためのMRIですが、初めての体験でした。

 きょうはこれでだいたいスケジュールは終わりと思われます。

「松川事件の真犯人」

吉原公一郎『松川事件の真犯人』(祥伝社文庫)を読みました。これまた、「積ん読本」の消化で著者には申し訳ない気持ちです。著者は同郷の大先輩。本書は、1949年8月に「発生」した松川事件から、「松川裁判の勝利」が「人民の自覚と団結以外にはあり得ない」ことが証明されたほぼ13年後の1962年1月に三一書房から新書版で刊行された著書の、2007年12月の再刊です。著者から当時、直接手渡されたのに、今ごろの読了となりました。
福島県内で起こされた、戦後の日本の針路を左右する「大謀略事件」とされますが、事件そのものが私の生まれる10年前。時代背景を含め、「歴史遺産」として残す運動も広がっている事件であり、おおいに学ぶ意義を今になって感じ取っています。

ESHAPの2日目/赤血球輸血の追加

ESHAP(エシャップ)療法の実質2日目が午前9時からの硫酸Mg補正液・生食が4時間予定で開始。10時からは30分間のメチルプレドニゾロン。その後、制吐剤、抗がん剤とメニューが続きます。それはそうときょうは、未明から、おとといのESHAP準備段階からの鎮痛薬(フェンタニル)の追加、早朝6時台の胃薬(オメプラゾール)、高尿酸血症予防薬(ラスリテック)の追加もあり、また転院直後からの朝の採血も続きました。採血は、朝6時からの開始でしたが、やはり血管確保に手間取り、時間をあけたり、「選手交代」したりで、終了は午前7時半。その検査の結果、赤血球不足が認められ、夕刻4時からは赤血球の輸血開始です。赤血球の隣りの袋は遮光して投与している抗がん剤のシスプラチン。右側の2袋はESHAP準備の27日から投与していて、小さい袋が鎮痛薬の麻薬「フェンタニル」、大きい袋が水分補給のソリタT1。

ESHAP療法

きょうから始まる療法は、「ESHAP(エシャップ)療法」という、サルベージ(救援)療法の1種です。

これまでの療法同様、使用する薬剤からの文字を並べたものです。エトポシド、ソルメドロール、シタラビン、シスプラチンを使います。エトポシド、シタラビンは前も使っていました。ソルメドロールはメチルプレドニゾロンのことで、シスプラチンが私は初めてお目にかかります。けさ始めた点滴は、きのうも最初にした、化学療法に伴う高尿酸血症予防薬、そして胃薬。11時に開始したのが硫酸マグネシウム補正液を生理食塩水で希釈したもの、その後、血糖値を測ったうえでプレドニン注射液、制吐薬、そしてエトポシド。エトポシドでは、口内炎予防のため、のどをアイスノンで冷やしたり、氷を口に含んだり。この時点で、時間当たり点滴量を機械で調整するのが3種類。その後に水分補給の点滴が24時間、これはきのうから続けていて、治療中、ずっと補給し続けます。

最後のシスプラチンを21時間。医師の指示票によれば、「硫酸Mg」から「シスプラチン」のメニューがきょうから3日間続くことになります。

ところできょうは治療中の昼食後、よりリーゾナブルなベッドに引っ越しました。また夕刻、担当医から、今後の治療方針について詳しく説明を受けました。

転院しました

27日午後、転院しました。入院受付を済ませてから、病棟到着後、さっそく、ナースステーション前で身長・体重測定、病室では検温・血圧などのバイタルチェックに加え、採血。採血のシリンダー7本は初めての体験。

ほかに、腹部・胸部レントゲン、心電図の各検査に加え、医師の「緊急指示」により、腹部CT。その結果、あしたから化学療法が開始され、これから夕食後にはその準備の点滴が始まります。

採血結果は予定通り退院・転院へ

けさ6時に採血。その結果、きょうは2度の抗生剤点滴実施のみで、予定通り退院となりました。夕刻、食後に退院します。

お腹の張り・痛みに関しては、主治医によれば、「病気が新たに元気になり始めたかもしれない」と。

やはり、転院後の対応にゆだねることになりそうです。

検温38度後、1時間寝たら38.5度

きょうもきのうと同じようにつつがなく時間が経過しつつある日。

ところが、午後2時の検温時に38.0度。解熱鎮痛剤を持ってくる、と戻ったものの、看護師が来ないまま、その後、すっかり寝入ってしまい、1時間後の3時に主治医が様子を見に来て、1時間前の話をすると、看護師を呼んできてくれて、もう一度、検温。なんと、寝てしかいないのに、38度5分。

ともかく解熱鎮痛剤を服用。主治医とは、25日の採血・点滴・退院時間など、少し細かなスケジュールと時間とをすり合わせ。 いずれにせよ、25日の夕食後、迎えに来てもらって退院予定です。

転院前の最後の日曜日

転院前の最後の日曜日、早朝からテレビを見たり、ラジオを聞いたり、寝たりと、つつがなく暮らしております。

最も心配な「熱」も、朝6時、午前9時、午後2時と36度4~6分。

皮下注射、2度の抗生剤点滴もとくに問題なし。寝過ぎで腰に来ているのが問題かもしれません。