GCD療法

私にとっては初めての抗ガン薬剤・ゲムシタビンを使った「GCD療法」を先ほど(14時10分ごろ)開始しました。きょうは最初に30分ほどのステロイド剤・デキサート。
次も30分ほどの制吐剤・グラニセトロン。
3番目に初めての抗がん剤・ゲムシタビンが30分。これには「時間厳守!」のコメント付き。
最後が何度目かの抗がん剤・カルボプラチン1時間。

その後の3日間はデキサートのみの投与。
そして1週間後の来週23日にゲムシタビンを投与してそれでワンセットで「GCD療法」だそうです。

なお今回は、3日間のデキサート後の2月20日は分子標的薬・リツキサンも使います。なので、「R-GCD療法」とでも言うのでしょうか…

「GCD」は、例によって、「ゲムシタビン」「カルボプラチン」「デキサート」のそれぞれの横文字の頭文字を並べたものです。きょうはまだいわきにいる家族にスマホで経過報告。

「腹部痛」復活で鎮痛剤も復活/あしたから抗がん剤

転院(1月27日)以後も続けていた点滴による鎮痛剤は、いつしか落ち着いたこともありストップしていましたが、どうも夕べ(2月14日)あたりから腹部痛が「復活」。体調のやや不調も重なりました。

とりあえず痛みは飲み薬の鎮痛剤で一時的に鎮め、医師の指示により、あしたからまた点滴鎮痛剤復活です。リハビリを始めて初めて「休暇」を取らせてもらいました。

またあしたからは、これまでとは違う抗がん剤の投与が始まる予定です。その準備ということもあるらしく、きょう夕刻から、その鎮痛剤に加え、ステロイド剤、生理食塩水(1㍑、23時間分ほど)も開始。

ドナー候補者の健診/LD値

移植へ向けて「佳境」に入っていくのでしょうか、きょうは造血幹細胞ドナー候補者が病院へ来て、コーディネーターの説明を受け、健康診断を受けた由。

血液検査の最終結果を見て、今週中にはドナーが可能かどうか結論を出すらしいです。

私の血液検査結果とのつき合わせもするようです。

さて、けさの血液検査結果から、白血球を増やす皮下注と、1日2回点滴投与していた抗生剤はきょうでとりあえず終了。ステロイド剤点滴もあしたからは内服薬に変更されます。

また、「LD」値がこの間高く、その原因と背景を知る目的で、あしたも採血。

はるばる、わざわざ、いわきからの見舞い!/ルーティン

きょうはなんと、昼過ぎに、はるばる、わざわざ、いわきから見舞いに来てくれた友人ご夫妻! 「飲み友達」と言ってしまえはそれまでですが、こんなうれしいことはありません!

これをはさんできょうもこの間の「ルーティン」をこなす日。

朝食前体重測定は52.8kg。朝7時前からステロイド剤と抗生剤の点滴を30分ずつ。

11時過ぎには血液中の白血球を増やすための皮下注射。肩の近くの皮下ですが、看護師が「腕が細いので痛くない皮下がどこかと‥」と。「腕が細い」などと言われるのは生まれて初めてでは…

友人が帰ってからは妻の介助で入浴、その後は看護師と3人で「移植準備」冊子の読み進め。

夕刻5時ぐらいには点滴針の場所の「付替え」。点滴が続く場合には、3日おき(4日ごと)に、その針の場所を変えています。その直後からきょう2度目の抗生剤点滴。

赤血球・血小板の輸血/入浴・シャワー

転院してからほぼ毎日のように(実際はほぼ1日ごとに)採血していますが、きのうは5日間のESHAP療法を終えてから10日目。

療法終了翌日から続けている、白血球を増やすための皮下注射による白血球数はやや上下があるものの、赤血球と血小板は底をついている感じの値。

医師からそれぞれ輸血の指示があり、血液が届いたのが夕刻。夕食後に、赤血球、血小板と連続してそれぞれ1時間ほどの輸血をしました。

なお、体調は「上り調子」と言っていい感じです。

妻が月曜以来、来てくれて、また数日ぶりの入浴・シャワー。気持ちがいい! 近いうちには、「自力」で入浴ぐらいはできるようになると思います。

だるさ・眠さの日々/「東北のハワイ」

3日前の寝る前の検温で38度を超し、菌特定のための培養をするために採血をしたり、ステロイド剤や抗生剤の点滴量調整で対処してもらったり。

この間の2~3日、だるさや眠さの日々です。それでも、連日、リハビリ室へ連れて行ってもらって20分ほどのリハビリしたり、胸のレントゲンを撮ったり、「移植準備」冊子を看護師さんと読み合わせを始めたり。

けさ起きると、自宅(福島県いわき市)の庭の雪景色の様子が送られてきました。そのスマホを見ていると、ちょうど朝担当の看護師さん。
「どちらの様子ですか?」
「自宅の庭です」
「じゃぁ、雪が降っても当然ですね」
「でも、いわきは東京よりよほど雪は降らないんですよ。東北のハワイですから」
「それは言い過ぎでしょ」

“東北のハワイ”=いわき、はいわき人にとってはほとんど常識で、観光案内にも出てくる一般的な言葉として通用するほどですが、あらためてそうでもないことを知りました。

体重/リハビリ/CT/「移植までの準備」

けさの朝食前の体重は54.7kg。ずいぶんといっきに減った感じです。

午前中、車イスでリハビリ室へ移動し、20分ほどリハビリ。先週、病室で始動しましたが、きょうは負荷つき「ペダルこぎ」4分ほどもあったりして、「本格的」始動です。

リハビリ中、予約してあった放射線室から呼び出しがあり、リハビリ後、CT撮影。

午後には、妻とともに、「造血幹細胞移植までの準備」のテーマで、専門であるコーディネーターから小一時間の説明を受けました。

「レシピエント」の私としては、手洗い、うがい、リハビリなど、本人にしかできないことを着実に実践することが重要。「ドナー」に関しては、コーディネーターからすべて連絡をすることになっており、これからの健康診断、造血幹細胞採取の状況によってはドナーになれないこともあり、前に「ドナーは決まっている」かのように思い込んで書き込みましたが、「候補」として決まっている、というのが正しいみたいです。

コーディネーターとしては、その候補者がドナーになれなかった場合の手立てもすでに打っているようでした。

ご無沙汰です

2月1日に5日間のESHAP療法を終え、翌2日の昼食前からやや体調不良。少しご無沙汰し、ご心配をおかけしました。今後も時どきあるやもしれません。

ステロイド剤の投与ストップによる影響があるかも、という医師の判断があり、ステロイド剤が再開。徐々に減らす方針。が、食欲も減退し、治療上のいろいろなメニューもうわの空だったような。2日に予約が入っていた「心エコー」、3日に新たな投与を言われていた“なじみの”分子標的薬・リツキサン後は、24時間「完全畜尿」、簡易心電図24時間装着、その他各種点滴の追加について、あまり覚えのないままきょうに至っています。が、日曜日のきょう、気分はずいぶんとすっきりとしています。

娘と妻が面会(身の回りの世話)に来てくれています。おかげで湯ぶねに入れました。ちなみにここのお風呂は1人用で、その日の朝9時過ぎからの予約制です。

ESHAP最終5日目/点眼/リハビリ/見舞い

ESHAP療法も最終5日目。

10時からソルメドロール(メチルプレドニゾロン)、10時半過ぎから制吐剤(アザセトロン)、11時過ぎからこの療法最後の抗がん剤・シタラビンを2時間。その眼への副作用予防のため、きょうから朝・昼・夕・寝る前とシタラビン投与終了後、5日目まで点眼剤投与。

むくみ・体重増対策はまだ思わしくなく、午前・午後と体重を見ながら引き続く利尿剤の投与。

きょうからは、リハビリ開始です。とりあえずきょうはベッド上で足の屈伸をしてもらったり、病棟内歩行の様子を見てもらったり。

昼過ぎには、息子、娘がそろって顔を出して見舞いに来てくれました。

文化と政治を結んで

不破哲三『文化と政治を結んで』(新日本出版社)を読みました。 昨年の再入院後に発刊(10月)されて、読む機会を逸していましたが、今年に入って注文・購入し、読むことができました。「文学」に限らず、「文化」に疎い私の視野も広がるというもんです。「目次」だけ紹介しておきたいと思います。

「伸子・重吉の『十二年』-未完の「大河小説」を読む-」、「本と私の交流史」、「文学についての発言から-マルクス、エンゲルス、レーニン-」、「水上勉さんとの交友のなかで」、「宗教者との懇談会で」、「『子午線の祀り』をめぐって-木下順二さんとの“対話”-」、「益川敏英さんとの素粒子対談-素粒子のふしぎから憲法九条まで-」。

益川さんの言葉、「基礎科学をきちんとキープする文化というのはかなり意識的にやっていかないといけません」が印象に残ります。