虹のブックレット・総合事業の光と影

日本医療福祉生協発行の「虹のブックレット108」『総合事業の光と影』を読みました。妻が先日いわきへ戻った際、職場から持ってきてくれました。介護保険法による総合事業(介護予防・日常生活支援総合事業)は、先行実施自治体もありますが、今年4月からすべての自治体で始まることになります。

おおよその方向が出てきた段階で、私も福島県議現職時、県の役割をどう果たすか、ずいぶんと詰めた質問もしましたが、肩すかしに終わっています。(2014年12月定例会代表質問、質問3~4㌻、答弁11~12㌻、再質問18㌻、再答弁19㌻。2015年9月定例会一般質問、質問2~4㌻、答弁7~9㌻、再質問・答弁11~12㌻。日本共産党福島県議団ホームページ・「トピックス」参照)

それはともかく、「介護給付費の削減」と「新たな介護予防への展望」という二つの側面、「光と影」を持つ総合事業です。

「介護予防」「自立支援」「社会参加」という、医療福祉生協の活動そのものが総合事業と重なるのは明らかです。

こうしたなか、人権に根ざした社会保障や医療・介護制度を意識的に強く求めると同時に、この総合事業にどう向き合うか、議論をどう進めるか、遅滞ない対応をどう進めるか、を示します。


応仁の乱

呉座勇一著『応仁の乱』(中公新書)を読みました。とりわけ日本中世史に関心がある人にはたまらない本なのでは? と思ったりしました。本書は、「試行錯誤を重ねながら懸命に生きた人々の姿をありのままに描き、同時代人の視点で応仁の乱を読み解く」試み。

応仁の乱の“前”と“後”の政治過程に関する研究が進展したことで、応仁の乱に対する過剰な意味づけを排する最近の動向を受け、応仁の乱の“入口”と“出口”と同時に“中味”について、戦乱に渦に巻き込まれた人々の生態をそのまますくい取って検証することが肝要、と著者。当時、興福寺の僧として、奈良で生活し、応仁の乱を実際に体験し、乱に関する質量豊かな記述を残している経覚(きょうがく)、尋尊(じんそん)の日記を中心に、多様な史料を駆使し、人々の生活のあり方という具体的なレベルから説き起こしています。


ステロイド・白血球皮下注・血小板輸血/談話室からの景色

きょう、土曜日のメニューは、早朝のステロイド剤の30分弱の点滴、午後の検温時の白血球を増やす皮下注射、それにきのうの採血結果を受けての指示だと思いますが、午後4時40分頃からは約1時間の血小板輸血のみ、でした。きのうからずっと、多少眠さがあることを看護師に伝えましたが、先週からの抗がん剤投与によるダメージが出ているのでは、とのことです。病棟の談話室の窓からながめた景色です。一方向しか見えません。

地図で見ると、場所が直ちにわかりそうな景色です。


ゲムシタビンの点滴(GCD療法)/ベッドでリハ

先週(2月16日)始めたGCD療法による抗がん剤・ゲムシタビンの点滴投与日でした。先週とのセットでGCD療法というようです。先週も、このゲムシタビンは血管痛を起こすことがあり、その場合には直ちにナースコールで看護師を呼ぶように言われていました。

先週はそうでもありませんでしたが、きょうは点滴が始まるや、ちょっとした血管の痛み。その対処法は、腕(血管部)をホットパックで温めて、血管を広げること。看護師は「原始的方法」と説明していました。痛みは直ちに和らぎました。

きょうは夕刻、理学療法士がベッドサイドへ来てくれて、ベッド上で簡単なリハビリ実施。血球が減っているのと、熱がやや不安定(きのうはリハへ出かけようとした直前に38度近い熱)ということで、配慮してもらいました。


人口減少と公共施設の展望

中山徹『人口減少と公共施設の展望』(自治体研究社)を読みました。「公共」そのもののあり方・考え方が問われていますが、本書では「公共施設等総合管理計画」に絞った検討・提案をしています。

全国的には人口が減少するものの、首都圏には集積度合いを高め、将来的にはスーパーメガリージョンを形成することをもくろんで進められているのがアベノミクス下の国土再編です。実は急速に進もうとしている公共施設の統廃合や民営化が、その再編の中で位置づけられていることにまず注意を喚起。

そのうえで各自治体の「管理計画」の概要を説明し、どこを中心に読めばその計画の本質が理解できるか、問題点を示し、最後に公共施設をどう考え、どう整備し、どう運営するかを提案しています。

公共施設に関して、「利用者の減少→統廃合」「老朽化→建て替え」「市民ニーズに応える→民間活力導入」のそれぞれの誤りも明快にしてくれます。


平均的な移植スケジュール

臍帯血(さいたいけつ)移植に切り替え、あらためて移植コーディネーターから、今後のスケジュール「イメージ」について1時間ばかり、家族と説明を受けました。

赤ちゃんとお母さんを結ぶ臍帯と胎盤に含まれる臍帯血に造血幹細胞が存在していて、この細胞を移植に用いるのが臍帯血移植です。

来週には「無菌室」へ移動し、大量化学療法による「前処置」開始、3月中旬には移植。前処置の前日には首から点滴の管を入れ、移植前日からは免疫抑制剤投与が始まります。

その後、3週間~1か月ほどは白血球がない状態が続いたあと、移植した幹細胞が骨髄に入り、新たな血液をつくり出して「生着」します。半面、移植後の急性免疫反応(急性GVHD)が出現することもあり、免疫抑制剤を減量しながらGVHDとうまく共存しながら退院の準備をしていくことになります。

5月中には外出・外泊が可能となり、退院後は定期的な外来通院に移行します。

これが、一般的・平均的な移植患者さんのスケジュール。そんなわけで、早まったり、遅くなったり、いろいろと「危険」な目にあったり、バリエーションがあり得ます。


南朝研究の最前線

日本史史料研究会・監修/呉座勇一・編『南朝研究の最前線』(洋泉社・歴史新書y)を読みました。副題は「ここまでわかった『建武政権』から後南朝まで」。南朝は、1336~92年の60年近く続いた南北朝時代、後醍醐天皇が吉野に樹立した朝廷です。

網野善彦さんの「異形の王権」が示した当時の知見が、どう継承されているかを知りたく、「南北朝、最新、新書」でネット検索したら出てきた本です。昨年(2016年)7月刊。そうすると、南朝の諸政策が鎌倉後期の「公家徳政」の延長にあること、南朝は武士たちに積極的に恩賞を与えていたこと、室町幕府か南朝の訴訟制度・恩賞政策に学んだ形跡があること、後醍醐天皇の信仰は、鎌倉後期の歴代天皇のそれをおおむね引き継いでいてその「異形」性には限界があること、人材面でも、鎌倉幕府-建武政権-室町幕府の三者の間でスタッフの連続性が明らかになり、南朝がけっして“歴史のあだ花”ではないことが、16人の気鋭の研究者によって解説されます。

歴史そのものも、時代や研究の進展によって徐々に明らかにされる面白さがあります。


リツキサン投与/移植は臍帯血に切り替え

R-GCD療法による、抗がん剤・分子標的薬のリツキサン(R)投与日。午前中に薬剤師からあらためて薬剤説明を受け、午後開始30分前には解熱鎮痛剤錠剤2錠・アレルギー改善錠剤1錠を服薬。

開始後30分は毎時70ml、その後30分同140ml、その後1時間同210mlと投与量を増やしつつ、そのたびに体温・血圧などチェック。あとは最後まで毎時210mlで約3時間で終了。その後、ステロイド点滴、予防的に白血球を増やす皮下注射。夕刻近くには、移植コーディネーターが病室へ来てくれて、経過報告をしてくれました。ドナー候補者の検査の結果、ドナーとはなれないので、造血幹細胞移植はそのドナーによる末梢血幹細胞移植ではなく、臍帯血移植に切り替える、とのことでした。後日、今後の進め方について説明を受けることになります。

当初のドナー候補へは連絡済みだそうですが、かえって、今後の健康づくりへ活かせる検査結果だったのではないか、とも思います。

多少疲れてもう眠くなったころ(と言ってもまだ就寝時間前ですが)、けさの採血結果による指示なのか、眠りまなこのなか、赤血球の輸血もしました。


ぼくらの民主主義なんだぜ

高橋源一郎『ぼくらの民主主義なんだぜ』(朝日新書)を読みました。発刊(15年5月)からほぼ2年、先日、いわきから見舞いに来てくれた友人からプレゼントされました。「朝日新聞」2011年4月28日から15年3月26日までの月1回の「論壇時評」に加筆し、まとめたものです。源一郎流・現在進行形・「身の丈」「等身大」民主主義探求の書です。「『民主主義』とは、ドイツの思想家、ハーバーマスの、想像力を刺激することばを用いるなら、一度も完成したことのない『未完のプロジェクト』」(14.5.29)。

「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも『ありがとう』ということのできるシステム」(同)。

「『国家安全保障と情報への権利に関する国際原則』(通称「ツワネ原則」)…で、私がもっとも感銘を受けたのは、『わかる』ことだ。およそ、ことばを理解することができる者なら誰でもわかるように『原則』は書かれている」(13.12.19)。

「『民主主義』とは、たくさんの、異なった意見や感覚や習慣を持った人たちが、一つの場所で一緒にやっていくシステム…だから、(たったふたりだけ)から…(世界全体)まで、それぞれに違った『民主主義』がある」…「ぼくたちは、ひとりで、何種類もの『民主主義』に参加している。政治家たち、ジャーナリズムがいう『民主主義』は、その中の一つにすぎない。そして、その実現の仕方は、無数にあるはずだ。ひとりひとりの『ぼくらの民主主義』が」(あとがき)。

リスペクトすべき「民主主義」の考えが、古今東西の様ざまの人びとの引用を含め、ちりばめられています。


異形の王権

久しぶりに網野史学本・網野善彦『異形の王権』(平凡社ライブラリー)を読みました。またまた新たな刺激を受けました。初版は1986年に平凡社「イメージ・リーディング叢書」、93年にライブラリー化された本です。1336~1392年の56年間が「南北朝時代」とされますが、「本書は、南北朝の動乱を境としておこった、日本列島の社会の大きな転換の諸相」(86年「あとがき」)を描いた小論集です。そしてこれら小論それぞれは、これら動乱が、「異形(いぎょう)」の天皇であり、「異形」の王権を現出させた後醍醐の妄執のもたらした権威の崩壊と分裂によっておこった混乱の、広さと深さをも示してくれます。手元には網野さんの同じライブラリー版『[増補]無縁・公界・楽』が「積ん読本」として残されていて、読むのをどうしようかなと迷っているところ。直ちにでも読みたい新刊本がまた出てきているし…