『核を乗り越える』(池内了著、新日本出版社)を読みました。
著者は「泡宇宙論」の提唱で知られる宇宙物理学者で、ここ数年は「等身大の科学」など新しい博物学を提唱しています。
著者自身、「福島原発事故が起こって、私たちがこれまで知らずにいたこと(原発の反倫理性のように、積極的に知ろうとしなかったことも含めて)、これまで見過ごしていたこと(原発の専門家の傲慢性のように、マスコミが報道しなかったこともあって)、政府や電力会社にごまかされていたこと(電気代のカラクリのように、知らぬ間に利用されていることもあって)など、多くのことを知り・学び・体験してきた」と言っています。
「原発の反倫理性」については、「金と利権と引き換えに原発という危険物を過疎地に『押しつけて』いる」こと、「ウラン鉱石の採掘から精練・加工・装填・点検・修理・処理・廃棄・廃炉などの全労働現場において働く作業員に放射線被曝を『押しつけて』いる」こと、「現代の世代はその始末を未来の世代に『押しつけて』いる」ことの三点を指摘。
ともかく本書では、地上で利用できる資源を単にエネルギー源として使うだけでなく、生活物資として広く活用した「地上資源文明」へ、今後30~50年先には移行する展望を示してくれています。
「『核を乗り越える』意志を固め、時間の地平線を長くとって、文明の転換を先取りしていく、来るべき時代が求めているのはそんな生き方なのである」と本書を締めています。