「私」の延長の「公」/公務員の拡充こそ

公務員のありようについてつらつら考えます。

「公」の考え方は、いろいろの「私人」の共通の利益を意味していて、私人でもできる共通の事務処理を社会化することで生まれたものです。

「公」概念は、「私」概念と対立するものではなく、むしろその延長線上にあるわけです。そこから税金を集めて行政とか国家とかのしくみが考えられ、現在の民主主義制度に人類はたどり着いたはずなのです。

今回の被災地で、とりわけ地方公務員は、救急・救命、救援物資の配分、病人の搬送、避難所の運営、ボランティアの受け入れ、衛生管理、苦情処理、遺体収容、ガレキの処理など、地域全体に責任をもった業務に地域社会全体に対する奉仕者として奔走した姿を、私もこの目で見ました。

いわき市役所にも福島県庁にも、私の小学校から高校・大学の同期もいて、直接話も聞きました。

公務員は、全国的・一般的知識のうえに、地域の現場に精通しなければならないことと、地域住民との直接的・間接的コミュニケーションによって仕事を遂行しなければなりません。

そういう公共的・専門的業務を遂行するには、雇用面での恒常性・継続性・安定性も不可欠です。

こうして考えると、今後、増大する公共業務を考えれば、公務員の拡充こそが必要です。

「行革」の名のもとに、公務員減らしを続けてきた結果が、災害の拡大をもたらしたと私には思え、となると、災害の拡大は人災とも言えると思うのです。

みなさんはどのようにお考えでしょうか。

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