ゲムシタビンの点滴(GCD療法)/ベッドでリハ

先週(2月16日)始めたGCD療法による抗がん剤・ゲムシタビンの点滴投与日でした。先週とのセットでGCD療法というようです。先週も、このゲムシタビンは血管痛を起こすことがあり、その場合には直ちにナースコールで看護師を呼ぶように言われていました。

先週はそうでもありませんでしたが、きょうは点滴が始まるや、ちょっとした血管の痛み。その対処法は、腕(血管部)をホットパックで温めて、血管を広げること。看護師は「原始的方法」と説明していました。痛みは直ちに和らぎました。

きょうは夕刻、理学療法士がベッドサイドへ来てくれて、ベッド上で簡単なリハビリ実施。血球が減っているのと、熱がやや不安定(きのうはリハへ出かけようとした直前に38度近い熱)ということで、配慮してもらいました。

平均的な移植スケジュール

臍帯血(さいたいけつ)移植に切り替え、あらためて移植コーディネーターから、今後のスケジュール「イメージ」について1時間ばかり、家族と説明を受けました。

赤ちゃんとお母さんを結ぶ臍帯と胎盤に含まれる臍帯血に造血幹細胞が存在していて、この細胞を移植に用いるのが臍帯血移植です。

来週には「無菌室」へ移動し、大量化学療法による「前処置」開始、3月中旬には移植。前処置の前日には首から点滴の管を入れ、移植前日からは免疫抑制剤投与が始まります。

その後、3週間~1か月ほどは白血球がない状態が続いたあと、移植した幹細胞が骨髄に入り、新たな血液をつくり出して「生着」します。半面、移植後の急性免疫反応(急性GVHD)が出現することもあり、免疫抑制剤を減量しながらGVHDとうまく共存しながら退院の準備をしていくことになります。

5月中には外出・外泊が可能となり、退院後は定期的な外来通院に移行します。

これが、一般的・平均的な移植患者さんのスケジュール。そんなわけで、早まったり、遅くなったり、いろいろと「危険」な目にあったり、バリエーションがあり得ます。

リツキサン投与/移植は臍帯血に切り替え

R-GCD療法による、抗がん剤・分子標的薬のリツキサン(R)投与日。午前中に薬剤師からあらためて薬剤説明を受け、午後開始30分前には解熱鎮痛剤錠剤2錠・アレルギー改善錠剤1錠を服薬。

開始後30分は毎時70ml、その後30分同140ml、その後1時間同210mlと投与量を増やしつつ、そのたびに体温・血圧などチェック。あとは最後まで毎時210mlで約3時間で終了。その後、ステロイド点滴、予防的に白血球を増やす皮下注射。夕刻近くには、移植コーディネーターが病室へ来てくれて、経過報告をしてくれました。ドナー候補者の検査の結果、ドナーとはなれないので、造血幹細胞移植はそのドナーによる末梢血幹細胞移植ではなく、臍帯血移植に切り替える、とのことでした。後日、今後の進め方について説明を受けることになります。

当初のドナー候補へは連絡済みだそうですが、かえって、今後の健康づくりへ活かせる検査結果だったのではないか、とも思います。

多少疲れてもう眠くなったころ(と言ってもまだ就寝時間前ですが)、けさの採血結果による指示なのか、眠りまなこのなか、赤血球の輸血もしました。

「早く社会復帰せよ!」とどこぞから声が…

体調がちょっとよくなると考え始めること…

「新任務路線ありき」で南スーダンの危険な現実を今も国家と国民に隠し続ける稲田朋美防衛大臣の責任問題、

元官僚で政府権力内部に入り込んで「俺の答えられないことを聞くんじゃない!」とばかりにいい気になっているかのように見える金田勝年法相の責任問題、

「日本の常識は世界の非常識」とばかりに、世界とは真逆に突っ走る「トランプ追従」の軍事同盟内実強化ばかり目立つ安保・外交政策、

福島県民切り捨ての原発再稼働優先の「原発ベースロード路線」はそのまま、

沖縄県民切り捨ての「辺野古唯一路線」もそのまま、

残業大臣告示の「月45時間」を「月60時間」に骨抜きに財界の言うがままにするしくみ導入のもくろみ、

憲法25条骨抜きの社会保障改変の強硬路線もそのまま…

これらが政権基盤を掘り崩す大きな要因となっており、市民と野党の共同でその政権を覆す。彼らも承知していると思いますが、その承知に基づく目論見に屈せず、がんばりどころです。

よくなった体調がベッド上で悪くなりそうですが、こんなことを考えなくても済む政治・社会実現へ、早く社会復帰せよ! という声が…

GCD療法

私にとっては初めての抗ガン薬剤・ゲムシタビンを使った「GCD療法」を先ほど(14時10分ごろ)開始しました。きょうは最初に30分ほどのステロイド剤・デキサート。
次も30分ほどの制吐剤・グラニセトロン。
3番目に初めての抗がん剤・ゲムシタビンが30分。これには「時間厳守!」のコメント付き。
最後が何度目かの抗がん剤・カルボプラチン1時間。

その後の3日間はデキサートのみの投与。
そして1週間後の来週23日にゲムシタビンを投与してそれでワンセットで「GCD療法」だそうです。

なお今回は、3日間のデキサート後の2月20日は分子標的薬・リツキサンも使います。なので、「R-GCD療法」とでも言うのでしょうか…

「GCD」は、例によって、「ゲムシタビン」「カルボプラチン」「デキサート」のそれぞれの横文字の頭文字を並べたものです。きょうはまだいわきにいる家族にスマホで経過報告。

「腹部痛」復活で鎮痛剤も復活/あしたから抗がん剤

転院(1月27日)以後も続けていた点滴による鎮痛剤は、いつしか落ち着いたこともありストップしていましたが、どうも夕べ(2月14日)あたりから腹部痛が「復活」。体調のやや不調も重なりました。

とりあえず痛みは飲み薬の鎮痛剤で一時的に鎮め、医師の指示により、あしたからまた点滴鎮痛剤復活です。リハビリを始めて初めて「休暇」を取らせてもらいました。

またあしたからは、これまでとは違う抗がん剤の投与が始まる予定です。その準備ということもあるらしく、きょう夕刻から、その鎮痛剤に加え、ステロイド剤、生理食塩水(1㍑、23時間分ほど)も開始。

ドナー候補者の健診/LD値

移植へ向けて「佳境」に入っていくのでしょうか、きょうは造血幹細胞ドナー候補者が病院へ来て、コーディネーターの説明を受け、健康診断を受けた由。

血液検査の最終結果を見て、今週中にはドナーが可能かどうか結論を出すらしいです。

私の血液検査結果とのつき合わせもするようです。

さて、けさの血液検査結果から、白血球を増やす皮下注と、1日2回点滴投与していた抗生剤はきょうでとりあえず終了。ステロイド剤点滴もあしたからは内服薬に変更されます。

また、「LD」値がこの間高く、その原因と背景を知る目的で、あしたも採血。

はるばる、わざわざ、いわきからの見舞い!/ルーティン

きょうはなんと、昼過ぎに、はるばる、わざわざ、いわきから見舞いに来てくれた友人ご夫妻! 「飲み友達」と言ってしまえはそれまでですが、こんなうれしいことはありません!

これをはさんできょうもこの間の「ルーティン」をこなす日。

朝食前体重測定は52.8kg。朝7時前からステロイド剤と抗生剤の点滴を30分ずつ。

11時過ぎには血液中の白血球を増やすための皮下注射。肩の近くの皮下ですが、看護師が「腕が細いので痛くない皮下がどこかと‥」と。「腕が細い」などと言われるのは生まれて初めてでは…

友人が帰ってからは妻の介助で入浴、その後は看護師と3人で「移植準備」冊子の読み進め。

夕刻5時ぐらいには点滴針の場所の「付替え」。点滴が続く場合には、3日おき(4日ごと)に、その針の場所を変えています。その直後からきょう2度目の抗生剤点滴。

赤血球・血小板の輸血/入浴・シャワー

転院してからほぼ毎日のように(実際はほぼ1日ごとに)採血していますが、きのうは5日間のESHAP療法を終えてから10日目。

療法終了翌日から続けている、白血球を増やすための皮下注射による白血球数はやや上下があるものの、赤血球と血小板は底をついている感じの値。

医師からそれぞれ輸血の指示があり、血液が届いたのが夕刻。夕食後に、赤血球、血小板と連続してそれぞれ1時間ほどの輸血をしました。

なお、体調は「上り調子」と言っていい感じです。

妻が月曜以来、来てくれて、また数日ぶりの入浴・シャワー。気持ちがいい! 近いうちには、「自力」で入浴ぐらいはできるようになると思います。

だるさ・眠さの日々/「東北のハワイ」

3日前の寝る前の検温で38度を超し、菌特定のための培養をするために採血をしたり、ステロイド剤や抗生剤の点滴量調整で対処してもらったり。

この間の2~3日、だるさや眠さの日々です。それでも、連日、リハビリ室へ連れて行ってもらって20分ほどのリハビリしたり、胸のレントゲンを撮ったり、「移植準備」冊子を看護師さんと読み合わせを始めたり。

けさ起きると、自宅(福島県いわき市)の庭の雪景色の様子が送られてきました。そのスマホを見ていると、ちょうど朝担当の看護師さん。
「どちらの様子ですか?」
「自宅の庭です」
「じゃぁ、雪が降っても当然ですね」
「でも、いわきは東京よりよほど雪は降らないんですよ。東北のハワイですから」
「それは言い過ぎでしょ」

“東北のハワイ”=いわき、はいわき人にとってはほとんど常識で、観光案内にも出てくる一般的な言葉として通用するほどですが、あらためてそうでもないことを知りました。