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あつしのOFF  >> ブックトーク >>  ブックトーク-06年前期( 1月〜4月 )
06年後期06年前期12月11月10月9月8月7月6月青春
あつしのミュージックトーク
今は聞くことが中心になった
音楽について語ります。
あつしのブックトーク06,01/02/03/04
06,04,28 『ソフトランディングの科学』
(池内了著、七つ森書館)
 「地球環境問題が切迫しはじめている」の書き出しで始まるように、テーマは地球環境問題である。著者の専門はちなみに宇宙物理学。

 大量生産・大量消費・大量廃棄のなかで安楽に暮らした負の遺産のみを、私たちの世代は後の世代に受け渡すだけになりかねない。

 貴重な地下資源が食いつぶされて病弊した地球、1万年以上にわたって厳重に管理しなければならない放射性廃棄物の山。

 このまま何もしなければ、たとえば、石油が高騰して物品が手に入らず、穀物の不作で食糧が不足し、自然災害が頻発して安住する土地を失い、社会的弱者ばかりでなく、普通の暮らしをする庶民もその犠牲者となり、資源獲得戦争が起こり、資源は占有され、巨大な富と武力を持つ者しか生き残れない人類の新たな地球秩序が作り出されかねない。

 もちろん、こうした「ハードランディング」は見たくもない人類の終末である。

 これを避けるためには、スムースに時代に対応していける心構えとともに、平和のうちにソフトランディングできる社会にしていく必要がある。

 というと難しく感じるかもしれないが、本書は、著者の家の新築体験から始まって、著者が身近に実践し、または実践しようと思っている省エネと環境との調和した暮らし方の紹介で最後を締める、という構成になっている。

 省エネ生活のヒント本である。
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06,04,23 『改憲問題』
(愛敬浩二著、ちくま新書)
 著者は今年「不惑」の年齢を迎える新進気鋭の大学教授である。不惑というのは40歳。

 ご本人は「新書の執筆など何十年も先の仕事だと考えていた」とのことだが、漢文学者の妻に誘われて、江戸時代の儒学者である服部南郭(なんかく)の墓参りをした際に、改憲派の議論の中には、彼が愛する「日本」が見当たらないので、本書を書いてみようと思った、とのこと。

そのいきさつについては本書を購入して読んでいただくほかない。

 ともかく著者は、「現代改憲の目的の核心は憲法九条の改定にある」として、現代の国内政治・国際政治における九条の効用を明らかにし、いま「護憲」であることこそが「現実的」であることを熱く語る。

 その語り方も、憲法学に特有な議論はなるべく控え目にし、さまざまな論者の議論を検討しながらのものである。

 本書は九条論が中心であることは間違いないが、彼が大学で憲法を学んだとき、もっとも感銘を受けたのは「公務員の憲法尊重擁護義務」を規定した99条だったそうである。

 この規定は、国民が政府や議会、そして一人ひとりの公務員に対して「憲法を尊重し、擁護せよ」と要求する「権利」を持つことを自覚的に表しており、立憲主義憲法の真髄である。

 いずれにせよ主権者国民には、憲法を変える権利、変えない権利、変えさせない権利がある。よく考え、仲間と議論し、自分たちの責任で決めることが迫られている。
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06,04,16 『憲法九条はなぜ制定されたか』
(古関彰一著、岩波ブックレット)
 この本の問題意識は、九条がなぜ日本国憲法に盛り込まれ、九条との関係で日本の安全保障はどう考えられ、国民は九条をどう受け入れ、その受け入れ方がいまどう問われているかを、原点から検証したい、というものである。
 
 九条は、昭和天皇の戦争責任との関連、そしてまた沖縄の基地化との関連で存在していることを、当事者が残した記録から検証しているが、著者は、日本国民がその関連を度外視し、戦争放棄と軍備不保持が一人歩きする形で受け入れてきたために、結果として、自国民中心の、自分の国だけの平和主義として定着することになってしまった、と評している。

 そして著者は、「私たちはあらためて、世界の中に、アジアの中に日本国憲法を位置づける視点を持たなければならない」と強調する。

 このブックレットの最後の文章は、「いま、私たちが軍事によらない平和を創造すること、それは私たちの歴史責任であるとも言えましょう。そのためにも、憲法九条は必要なのです」。

 そのちょっと前の文章は、「憲法を改正することは、たやすいことです。さしたる政策立案能力を必要としません。とくに日本の場合、米国の対日安全保障政策に従っていればいいのですからなおさらです」。

 いま私たち日本人は、世界で暴力の連鎖が続く現実を直視しつつ、日本を愛する心をより強め、軍事力によらない平和創造の歴史を刻む大事な時期にたっているのだと思います。
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06,04,15 『国民保護計画が発動される日』
(上原公子・平和元・田中隆・戦争非協力自治体づくり研究会・自由法曹団東京支部著、自治体研究社)
 最上位の計画である政府の基本指針では、武力攻撃事態4類型(着上陸攻撃、ゲリラ攻撃、弾道ミサイル、航空攻撃)、緊急対処事態4類型(原発等への攻撃、ターミナル爆破等、サリン等の散布、自爆テロ等)が想定される事態とし、この事態での住民避難、避難住民救援、戦災対策、国民生活安定、復旧などの枠組みが示された。

 本書では、基本的な問題を10のQ&Aで解明し、東京都の計画素案の検討、国立市での住民避難シミュレーションを試みているが、いずれにせよ、緻密な計画文書をつくろうとすればするほど、荒唐無稽な空中楼閣計画にならざるをえない。けっきょく、「そのときにならないとわからない」のである。

 「仮想敵」を想定した戦争への備えが日本周辺のアジア諸国への不信をかきたて、北東アジアの平和に有害な影響を与え、ひいては軍事緊張を拡大して戦争を誘発すると考えるほうが現実的ではないか。

 また、「仮想敵」や「テロリストとその同調者」の存在を前提とする「有事演習」は、演習非協力者はテロ同調者だとか、あるいは不審な外国人はあやしいとかの気分を生み出し、地域コミュニティを「敵」と「味方」に区分けして相互監視社会をつくりだすことにつながる、と考えたほうが現実的ではないか。

 こんな計画の作成に血道をあげるくらいなら、自然災害に対する計画を充実させ、平和と共生のまちづくりを進めるほうが、はるかに意義がある。
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06,04,12 『中小企業が日本経済を救う』
(森靖雄著、大月書店)
 昨年の春に読んだ形跡があるものの、著者にはたいへん申し訳ないが、記憶のかなたにある。

 この本は、著者による日本経済再生の提言書である。その有力な手法が地域の中小企業を活性化させることである。

 著者の研究手法が、つねに現地に入って調査し、実態に即しながら、可能なかぎり事業の担い手たちとともに活動し、新しい地域振興の考え方や事業手法を開発する、というもので、まさに現場主義。

 岐阜県での陶磁器産地再生や、国内各地の商店街再生の事例だけでなく、イタリアやアメリカでの成功事例研究も紹介し、「元気な中小企業が日本経済を動かす」ことを事実として示してくれている。

 私がいたく共鳴するのは、地域から消えつつある商店街についての話ではあるが、「この商店街で買物をしてきた人たちが高齢化すると、生活物資を購入する場所がなくなり、その地域で住み続けることができなくなるという『国土問題』であり、高齢者の日常の生活物資をどのようにして入手してもらうかという『福祉問題』の根幹に関わる」という問題意識である。

 地域循環型の経済、より具体的には「通貨循環型社会」の再建にとって、地域から再び小規模な産業や経済活動を起こしなおすことは、すぐれて政治の重要課題だと思う。
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06,04,11 『証言 良心の自由を求める』
(大田堯[たかし]著、一ツ橋書房)
 2月議会前に、福島大学学長(当時)の臼井嘉一さんにお会いしたときに勧められていた。この「証言」は、都立学校教師たちが、国歌斉唱義務不存在確認と不起立・不斉唱の教師に対していかなる不利益処分もしてはならないことを都と都教育委員会に求める訴訟のなかで、2005年7月4日に東京地方裁判所で行なわれたものである。

 大田さんは証言当時、87歳の教育学者である。
 
人間一人ひとりが違うこと、人間は自ら選んで自分を変えること、そしていろいろな人やものとかかわることが個性を育てる要因になっており、これを前提に、その子その子がもっている自己創出力を「引き出す」ことが「エデュケーション」の意味であり、教育の本来の仕事だ、と大田さんは強調する。

 別の言い方をすると、教育の仕事は、「選びに選び、選択意志を重ねる中で自己創造をする、自分の中身と形を創り出す、そして、社会の出番をそこで果たしていく、そういう関係の中にある大芸術である」。

 自己創出力は子どもの内面から出てくるから、その内面と響きあうためには、教師自身も良心と面と向かって切り結ぶ、響き合わせることなしには、子どもたちの内発力を励ますことはできない。

 行政当局の仕事は、この教育の本質を保護し、また、それに必要な設備などの条件整備をすることである。

 ひとつひとつの話が実に説得力があり、あらためて民主主義の学校教育とは何か、を深く考えさせられる。

 問題は、この対極にある考え方が現に支配力を持っていることである。

 たとえば国旗・国家が象徴だといっても、象徴は単なる知的理解を超えて、より深い内面からの共感の支えによってはじめて真の象徴としての意味が成立するが、画一的に押しつけるものが象徴だ、と思い込んでいる節の考えが支配的のようである。

 大田さんは、証言の中で日本の民主主義が依然として未成熟なままであることにもふれているが、民主主義を根づかせ、基本的人権を根づかせる不断の努力が求められるゆえんだと思う。
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06,04,09 『都市計画 利権の構図を超えて』
(五十嵐敬喜・小川明雄著、岩波新書)
奥付をみると、本書は1993年8月に第1刷で、いま手にしているのは2005年9月に発行された第21刷。

 93年8月というと、7月18日に行なわれた選挙の結果、8月6日に細川内閣が成立したとき。このひとつの大きなきっかけは、当時の自民党副総裁で、政官財癒着の象徴だった金丸信が巨額の脱税で逮捕・失脚し、都市計画もおおいにかかわるゼネコンによる中央、地方の政界へのヤミ献金事件が次つぎと明るみになったことだった。

 本書では、自民党建設族、建設業界、そして建設省の癒着の構造を明らかにしつつ、都市計画法、建築基準法などがその構造を支えるばかりか、促進してきたさまを明らかにしている。

 その過程には、中曽根内閣時代の広範囲にわたる規制緩和の嵐があり、その時期は「日本の都市計画は暗黒時代に突入」したと評されている。

 本書の提起は、最終章「都市計画を市民の手に」である。そして、自治体がマスタープランをつくり、きびしい用途規制と容積率を引き下げた都市計画をつくることが、日本の最大の病根である土地問題の解決策である、と強調する。
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06,03,24 『医療保障が壊れる』
(相野谷安孝[あいのや・やすたか]著、旬報社)
 著者は、私が全日本民医連事務局で機関紙・誌編集にたずさわっていた同時期に、社会保障運動担当の事務局員として在籍されており、たいへんお世話になった先輩である。

 いまは中央社会保障推進協議会次長をされ、全日本民医連理事でもある。
 社会保障は、国民・労働者の「権利」として、世界の歴史が確認してきた。それは、日本国憲法上も明確である。

 25条が生存権を国民の権利として明記し、その「向上及び増進」を国に義務づけている。11条は、この生存権をはじめとした基本的人権が「侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とうたう。

 また97条は、これらの「基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」とし、さらに12条は、これらの「自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」としている。

 「構造改革」の名による社会保障切り捨て策の根底には、社会保障を「権利」としてではなく、「施し」と見る思想がある。

 本書は、「構造改革」によってもたらされている国民生活の実態を告発し、「構造改革」の目的を財界・政府の言い分から検証し、医療と国民健康保険、介護保険がどうなっていて、どうされようとしているか、さらに大増税が社会保障に及ぼす影響を、日本国憲法を機軸において考察している。
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06,03,20 『姜尚中(カン サンジュン)の政治学入門』
(姜尚中著、集英社新書)
政治学が本来、未来への構想力を提言することを目的とする知の形態だという思いから、入門の形をとった現代日本論として書かれた。

著者によれば、どんな社会にも、ちょうど鉄道の線路が切り替わるような転轍(てんてつ)の分岐点があり、日本の戦後史でいうと、敗戦から五五年体制の設立までの時期。そしてそれから半世紀、いままた分岐点にさしかかっている、という認識を示している。

 そのポイントが定まると、あとはその線路の上を、社会という名の車両が走っていくことになる。

 その現れが自民党の姿に見ることができる。すなわち、「異なった意見を封じ込めてしまうような、見えない『同調』の強制力が働き、玉虫色でファジーだった政権政党がワンカラーに染め上げられようとしている」。
 
 この現象は早晩、社会そのものの体質になっていくはずであり、五五年体制成立以来の変化が起ころうとしているのではないか、と著者は言う。
 
 ともかく「分岐点にさしかかっている」という歴史認識のもと、「アメリカ」「暴力」「主権」「憲法」「戦後民主主義」「歴史認識」「東北アジア」の七つのキーワードで現代日本を読み解く試みである。

 最後の「東北アジア」は、冒頭の「アメリカ」に呼応するキーワードであり、「東北アジア」が東アジア共同体とともに、「アメリカ」に変わる選択肢として、ひとつのストーリーへの問いに即してとりあげられている。
 
 ここから政治的な構想力を汲み取ってほしい、というのが著者の願いである。
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06,02,20 『義務教育を問いなおす』
(藤田英典著、ちくま新書)
 かなり力がこもった本という印象。新書でありながら300ページを超える量もさることながら、教育に対する並々ならぬ情熱がほとばしっている。

 日本の義務教育は、制度・機能・実践のすべての面で、国際的に見て高い水準にある、とのこと。とくに注目されているのが授業研究、教師の同僚性と協働性、学校のコミュニティ性とケア機能などの卓越性だが、その基盤を揺るがし、掘り崩す危険性を強めているのが近年の改革動向だ、と著者は強調する。

 つまり、「改革」とされている内容は、<競争原理><強者の論理>によって教育と社会を再編し、そこで生じる諸々の不平等や差別・排除を能力主義と自己責任によって正当化しようとしていることである、いま必要なのはそうではなく、<共生・共創>原理を重視し、誰もが差別されることなく、互いに認め合い、高め合っていくことのできる学校と社会をつくることではないか、と。

 義務教育費国庫負担問題と「三位一体」改革との関連も、ずばりと本質を突いてくれていると思う。
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06,02,19 『しのびよるネオ階級社会』
(林信吾著、平凡社新書)
 副題は「“イギリス化”する日本の格差」。最終章で著者は「ネオ階級社会の確立を阻止し、せめて機会だけは平等だと信じられる社会にしなければ、次世代の日本人は完全に活力を奪われ、わが国は早晩、衰退への道を転がりはじめる」と警告し、「少し長い後書き」で「ネオ階級社会の到来を阻止し得る力とは、一人一人が、労働の価値を正しく認識し、機会の平等の重要性に目覚めること以外にはない」と警鐘を鳴らす。

 私は、彼が「階級」とか「階級社会」をどう定義しているのか理解していないが、少なくとも日本の教育の現状について、「次世代の日本人を、@経済のグローバル化に対応できるエリート、A専門分野に特化したスペシャリスト、B低賃金で雇える労働者」と階層化していく明らかなひとつの方向性をもって動かされている、との指摘は重要だと思う。

 なお著者がいう「ネオ階級社会の姿」とは、「小学校から高校まで公立で通した者と、私立の小学校から高校までを経て一流大学を卒業した者とでは、ボキャブラリーも発想もまるで異なるという状態になり、それぞれ別物の日本語を話すようになる」社会のようである。
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06,01,06 『国家の品格』(藤原正彦著、新潮新書)。
 大学で数学を教えている友人から紹介してもらい、読んでみた。

 やはり数学者である著者の主張を私なりに要約してしまうとこうである。「西欧的な論理や近代合理精神は大切だが、人間はそれだけではやっていけない。それらに付加すべきものが日本人のもつ美しい情緒や形であり、これらを身につけることで品格ある国家を保ち、人類に貢献すべきである」。

 ちなみに著者がいう「情緒」とは「懐かしさとかもののあわれといった、教育によって培われるもの」であり、「形」とは「主に、武士道精神からくる行動基準」のことである。

 「武士道」も、新渡戸稲造が言う「敗者への共感」「劣者への同情」「弱者への愛情」であり、まさに惻隠(そくいん)がもっとも重要視される、とのこと。「惻隠は現在のような市場経済による弱肉強食の世界においては、とくに重要」と著者は強調している。
 
 著者の話のなかには、政治的ものさしで見ると、ウヨクチックな見解や聞けない話もあるが、全体として面白い。
 
 私はこれを読んで、安斎育郎さんの著書での見解を思い起こした。「科学的」であることと「正しい」こととはイコールでない場合が多く、とりわけて、「異なる価値体系の衝突」の場合、正しいかどうかは人々の価値体系の選択によるので、私たちは、自分の頭でしっかりと考える習慣を身につけて、「権威」や「人のうわさ」にふり回されてはならない、というものである。
 
 考え方の枠組みとして、藤原さんと安斎さんには通底するものを感じた。
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06年後期06年前期12月11月10月9月8月7月6月青春

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