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あつしのOFF >> ブックトーク >>  ブックトーク-05年11月
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あつしのミュージックトーク
今は聞くことが中心になった
音楽について語ります。
『憲法25条+9条の新福祉国家』
(二宮厚美著、かもがわ出版)
あつしのブックトーク05,11
05.11.28 『戦争の後に来たもの』
(郡山総一郎著、新日本出版社)
 1971年生まれの若いカメラマンによる写真集である。彼はかつて自衛隊で地雷を担当していたことがあるらしい。言わずと知れた、04年4月にイラクで拘束され、釈放後、日本政府を先頭とした「自己責任」バッシングを受けた本人。

 彼はそのときからすでに、「自分の仕事を通じて真実を知らせるのが自分の責任だ」と言い続けており、全国各地で講演も行なっている。

 福島県民医連の企画で浜通り医療生協組合員センターで講演したこともあり、私も直接彼の話を聞き、そのまっすぐな姿勢に感銘した。

 本書は、副題に「カンボジアが映す時代」とあるように、現在のカンボジアを映し出したものである。

 プノンペン中のゴミが集められる場所でゴミ拾いする人々、金儲けの道具のように扱われる子どもたちのシェルター、HIVに感染する人が後を絶たない実情、いまだに約600万発の地雷が埋設されているとされ、その被害者や偏見…本書でも彼は「現場に立ち、ある現実を知ってしまった者の責任のとり方として、それを多くの人々に画像で伝え、思考してもらうことを大事にしたい」とくり返している。

 それは、「そんな仕事の必要がなくなり、僕自身が『失業』するためにも」続けなくてはならない、と結んでいる。
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05.11.16 『少子高齢化の死角』
(高橋伸彰著、ミネルヴァ書房)
 タイトルにある「死角」の言葉と、本書の「はしがき」で「そもそも、集計・平均された虚構の数字で実際に生活している人々に厳しい条件を課したり、そうした人々の不満や不安を封じたりするのは学者としても政治家としても、否、それ以上に人間として失格である」の言葉にひかれて買った。

 もちろん、少子高齢化や社会保障を扱った本は山ほどあり、その点で素材に新鮮なものを取りそろえたわけではないが、その素材の料理方法には独自の工夫を講じた、と著者は強調している。

 確かに、65歳以上の高齢者を一括してとらえず、年齢ごとの人口や、年齢ごとの年金、医療、介護などの需要、および提供が必要な期間を考慮した制度設計の提言、男女雇用機会均等法や育児休暇制度の導入があったものの「産めない不自由」が拡大している実情の指摘など、気づかされる点が多々ある。
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05.11.15 『いまどきの「常識」』
(香山リカ著、岩波新書)
 「少年事件には厳罰を」「お金は万能」「現実には従うしかない」「世の中すべて自己責任」「男と男らしく、女は女らしく」「反戦・平和は野暮」「軍隊を持ってこそ普通の国」「テロに屈するな」…

 いま世間でよく耳にしたり、雑誌で目にしたりして、いずれもすでに「常識」として、新しい社会のルールになりつつあるものばかり、と著者が考えるフレーズを取り上げ、日本社会になかで起きている事態を浮き彫りにしようとしている。
 
 また著者へ届いた手紙の中に、「平和・平等などときれいごとを言うな。このきびしい現実が目に入らないか」といった批判があり、精神科医であるご本人が人の心をこれほど不快にしてよいわけはなく、自分が間違っているのだろうか…と書いており、これらの「常識」について読者といっしょに考察してみよう、という本でもある。

 本書のキャッチフレーズとも言えるオビには、「これを押さえればあなたも『勝ち組』!? でも、それでいいのだろうか…」とある
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05.11.14 『憲法九条、未来をひらく』
(岩波ブックレットNo.664)
「九条の会」は昨年6月10日に、井上ひさし、梅原猛、大江健三郎、奥平康弘、小田実、加藤周一、澤地久枝、鶴見俊輔、三木睦子の九人のよびかけで発足。7月24日の東京での発足記念講演会を皮切りに、昨年は大阪、京都、仙台、札幌、那覇、今年も横浜、広島、福岡で講演会を開催し、いずれも第一会場はあふれかえり、第二、第三会場も埋まり、そして7月10日の東京・有明コロシアム。

 これまで、せっかく来ていただいたのに、お帰り願わなければならない事態があったことから、今回は参加希望者一人ひとりに入場券を申し込んでもらい、事務局から券を発行し、一万人規模の会場がいっぱいになった、とのことである。
(「九条の会」事務局長の小森陽一さんの話)

 当日参加できなかった加藤・澤地・梅原の三氏の書き下ろし・インタビューも掲載され、九人の九条へのメッセージが刻まれている。

 いわき九条の会でも今月23日には女優で方言指導者の大原穣子さんを招いての講演会が行なわれる。全国に三千を超えたこの輪をさらに広げ、大きなひとつのネットワークにしたい。
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05.11.09 『日本「地下経済」白書』
(門倉貴史著、祥伝社黄金文庫)
 02年度日本雑学大賞出版賞を受賞した同名の本の文庫化。最新のデータを使って地下経済の変化を織り込み、当時は紙数の関係でカットした部分も入れてあるので、副題に「ノーカット版」とあるらしい。

 私は、たとえば大規模脱税とか政治家汚職などが明るみになると、よく、「氷山の一角」と言われたりするときに、その氷山本体はどうなっているのだろう、明るみに出ないお金はどこでどう流れるのだろう、と以前から単純に疑問に思っていた。

 「地下経済」というのは、「脱税、賄賂、麻薬取引、賭博、売春、詐欺、密輸など公式の経済統計には決して報告されることのない隠れた経済活動」だから、あたりまえのことだが、正確にわかるはずがないことがわかった。

 IMF(国際通貨基金)の推計では、地下経済の存在を示唆するマネー・ロンダリング(資金洗浄)の規模は拡大傾向にあって、世界のGDPの2〜5%程度に達するらしい。

 地下経済の拡大は、経済活動の実態が把握できなくなる、税収の減少につながる、経済的・社会的不平等が生じる、などの問題がある。

 著者によれば、日本の地下経済の総額は2004年で22.4兆円、これは2005年度国家予算の社会保障関係費20.4兆円を上回る規模だ、とのこと。
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05.11.08 『大型店とまちづくり』(矢作弘著、岩波新書)
 著者は、日本経済新聞社のロサンゼルス支局長や編集委員を歴任し、大学で教鞭をとっている。たまたまきょう(05年11月8日)の「しんぶん赤旗」経済欄にインタビュー記事がのっている。

 アメリカで長期化・多様化する大型店紛争、全米各地・各都市に広がり多様化する立地規制、規制にいたる各地の調査研究も紹介されている。
 
 たとえばオハイオ州中部の七市一町の場合、一市を除いて大型商業開発があると自治体のふところは苦しくなる、という調査結果だそうである。つまり道路整備や交通安全施設の拡充、上下水道の敷設・管理、ごみ焼却施設の能力アップ、場合によっては集中豪雨時に大型駐車場から一気に雨水が流れ出すための対策・周辺河川改修が必要になるからである。
 
 この本では、大型店のチェーン経営それ自体に新規出店を止められない体質を指摘している。つまりもうかるところでもうかる間は商売を続けるが、ひとたび店舗効率が悪化すればたちまち閉店し、ほかに新しい店を出す。低価格販売を実現するには、店舗の単位面積あたりの建設コストを安く抑えるため、築年数が若いうちに老朽化するのである。
 
 福島県では、05年9月議会で「商業まちづくりの推進に関する条例」が全会一致で可決され、06年10月から施行される。この条例の準備段階での福島でのとりくみや考え方も紹介されている。
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05.11.07 『二〇世紀の自画像』(加藤周一、ちくま新書)
加藤さんの生まれは1919年。この本のタイトルは、二〇世紀の片隅に生きた人間のささやかな証言のひとつ、というほどの意味でつけた、とのこと。

 私が加藤さんを知ったのは、おそらく20年ほど前からの「朝日新聞」紙上の「夕陽妄語(せきようもうご)」だと記憶しているが、定かではない。

 私が彼の発言から目が離せないのは、たとえば「あとがき」にあるこういう言葉。「米国との軍事同盟の強化は、アジアでの孤立から脱出するために役立たないばかりでなく、現状ではむしろそれを強化するようにみえる。米国依存が孤立を強め、孤立がさらに依存を強めるのは、悪循環である」。

 加藤氏はこうして政治を論ずる場合でも、その背景には文化や文明といった幅広いものの見方を感じていたが、その理由の一端を見た気がする。

 それにしても彼は、1958年、ある会社の診療所を担当していたとき、「アジアアフリカ作家会議」の準備委員会の話があって、一か月の休みがとれなかったので、会社も医者も辞めた話は初めて知った。

 「私は選後の憲法と民主主義が、日本のナショナリズムの根拠になればいいと思っている」と私も思うが、「今でもナショナリズムの大きな危険性は、また伝統的な軍事力に向かう可能性が強い」という指摘もまた重い。
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05.11.05 『憲法25条+9条の新福祉国家』
(二宮厚美著、かもがわ出版)
経済学者が書いた憲法の本であり、講演記録をもとにブックレット風の手軽なものになるはずだったのが、書きすすむうちに予定になかった論点に深入りし、とりとめもなく分厚い本になりかねず、健康的に「腹八分目」におさえた本である。

 しかも著者の友人の渡辺治氏(一橋大学)と和田進氏(神戸大学)の二人の憲法学者こそが、このテーマで発言するのがふさわしいが、大学の仕事で重責をになっていてなかなか発言の機会がなく、その両氏への「日本人的義理」の産物でもある、とのことである。

 この本であらためて認識するにいたったが、憲法前文には、9条の平和理念と25条の福祉理念が不可分の関係で提示されている。

 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」。

 「恐怖と欠乏からの解放」とは、専制・暴虐・抑圧・暴力、なによりも戦争の恐怖、そして飢え・渇き、病い、衰弱、極貧、蒙昧など貧しさからの解放によって平和・福祉国家の実現がめざし、「平和のうちに生存する権利」とは、文字通り平和的生存権。

 本書全体がこの視点で貫かれ、最後は、福祉の原点であり、同時に平和の原点でもある人間相互のコミュニケーションの力が、「恐怖と欠乏からの解放」を確かなものにする、と結ばれている。

 そういえば私も今年(05年)2月議会で、知事の「世界に冠たる憲法」答弁を引き出した際、「住民福祉を最優先することをうたう25条や地方自治法は、平和へのこの強い意志を表現した9条と一体のものとして政治に活かさなければなりません」という文言を入れていた。

 なお、人間相互のコミュニケーションの力については、『どうする日本の福祉 新自由主義に対抗する社会保障運動』(福祉倶楽部・福井典子[編]、渡辺治+二宮厚美+篠崎次男[著]、青木書店、2000年)のなかでも二宮さんが少し立ち入って解明している。
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06年後期06年前期12月11月10月9月8月7月6月青春

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