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あつしのブックトーク07,01〜
07.08.12 『安倍政権論』(渡辺治著、旬報社)
 安倍内閣は、90年代以降、経済グローバリゼーションのもとで生き残りをかけた保守支配層の支持のもとで生まれた。

 支配層のそのあせりは、参院選で大敗北をきっしてもなお、安倍政権続投を支持する姿勢に如実に現れている。暮らしを政治によって圧迫されている庶民との決定的といえる矛盾である。

 安倍政権は、保守支配層が切実に求めている軍事大国化と、くらし圧迫の直接的原因となっている新自由主義改革という、2つの改革の完成をゆだねられている。

 小泉政権は、これらの改革の狂暴な実行者だったわけだが、安倍政権はこれを引き継ぐ最後のバッターとして期待されている。

 同時に安倍政権は、新自由主義改革によって拡大した階層間格差と貧困を原因とする「分裂した社会統合」を、新保守主義によってとりつくろうこともめざした政府である。

 財界からすれば、早々に退陣されては困るのである。

 本書ではまた、岸信介政権、中曽根康弘政権と安倍政権との共通性と差異をも明らかにする。3人とも、ハンドルを「右に切って」、政治の方向を大国主義の方向に変えようとはかっていることは見てとれるが…

 ところで、90年代に入って、保守政治の大国化への方向転換の動きは始まっていたが、主導したのは、当時の自民党幹事長・小沢一郎氏である。

 小選挙区制による社会党の解体・再編、自民党の改造、第二保守党を生むことで政権交代があっても大国化と構造改革を進められる政治体制の構築である。

 九条に手をつけずに軍事大国化を推進するために、「国際社会で名誉ある地位を占め」るために自衛隊を海外派兵する論理を生み出し、国連軍の一員として戦うぶんには「国権の発動として」日本が戦争することにはならない、とする論理を生み出したのも小沢一郎氏である。

 安倍政権はこの解釈改憲を極端に進め、同時に明文改憲もねらっている。

 いずれにせよ自民党は参院選で大敗した。

 国民は、民主党に政策的に期待を寄せたわけでないことは、選挙後の世論調査でも明らかになっている。

 国民による、国民のための政治に向け、新たな段階に日本は入った。
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07.06.17 『異形の惑星』(井田茂著、NHKブックス)
あるテレビ番組で、天文学や宇宙での生命にかかわる「爆笑問題」の2人と著者とのやりとりをたまたま見、なおかつ、5月14日の「しんぶん赤旗」月曜インタビューに登場した著者の記事を読んで、ともかくこの本を買いたくなった。

 もう4年も前に発行されている本である。

 著者は惑星形成過程、つまり、「惑星はどのようにできあがるのか」という研究で世界の最前線にいる理論天文学者。

 惑星というのは、わが地球がそうであるように、太陽である恒星ができるときに、副産物として生まれ、恒星のまわりをまわり続ける天体である。

 太陽系以外の惑星は、1995年に初めて発見されて以来、すでに200を超えているそうである。95年までは、「なぜ、太陽系にしか惑星は存在しないのか? なぜ、人類は孤独なのか?」を考え始めることを迫られていたが、次の瞬間、「なぜ、銀河系はかくも百花繚乱(ひゃっかりょうらん)の惑星たちに満ちあふれているのか?」に答えることを迫られることになった。

 タイトルの「異形(いぎょう)の惑星」とは、太陽系惑星からは想像もできない、恒星の表面をかすめるように、しかも数日で高速周回する灼熱(しゃくねつ)巨大惑星、恒星からの距離を大きく変えて、灼熱から酷寒(こっかん)までのめまぐるしい四季を繰り返す楕円軌道巨大惑星、膨張し続ける赤色巨星(せきしょくきょせい)をめぐる巨大惑星など、この間発見された惑星のことである。

 生まれたての学問の息吹を感じられる本である。

 著者は私のことをおぼえておられないと思うが、学生時代にはたまに話を交わした同期の仲である。
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07.06.15 『沖縄密約』(西山太吉著、岩波新書)
 世に言う「西山記者事件」の当のご本人が、「事件」から35年たったいま、アメリカ公文書や証言から、日本という国の組織的犯罪の実態の全貌を白日の下にさらすことを目的に著した本である。

 「事件」というのは、「外務省秘密漏洩事件」とか「沖縄密約事件」とかと言われ、憲法の教科書には必ずと言っていいほど登場する事件で、1971年6月に調印された沖縄返還協定に関する外務省の極秘電文を毎日新聞記者だった著者が外務省女性事務官から入手し、社会党議員に流したことが、結果的に1978年5月、最高裁で有罪とされた。

 その後、「密約」を裏づけるアメリカ公文書が見つかり、そのうえ当時の交渉当事者の吉野文六外務省アメリカ局長の「密約はあった」とする証言もあった。

 ところが政府は、「密約はなかった」ことを公式な立場にしているために、吉野氏を国家公務員法違反容疑で告発もできず、吉野氏の言う「密約」を国家機密に指定することもできず、吉野氏を告発するにしても密約がないことを立証しなければならず、どうにも動きようがないのである。

 私は、「日米同盟は沖縄返還を起点として…変質を重ね、いまや憲法九条問題を残すだけともいえる段階にまで達した」という著者の認識は正しいと思う。

 そしてまた、メディアの戦士たちへの期待も語られるが、権力監視を実践する民衆や政党への評価がほとんど感じられないのが少し物足りない。
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07.06.14 『親指はなぜ太いのか』(島泰三著、中公新書)
 副題が「直立二足歩行の起源に迫る」。このタイトルも興味しんしんだが、前に読んだ『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか』を買ったときに、その書店ではこの本も平積みにされていたので、つられてしまった。03年8月刊。

 著者の主張をものすごく簡単に結論だけ紹介してしまうと、石を握りしめることが、私たちの親指が太くなった理由である。

 親指が、ほかの指と対向するただ1本の指として、力をこめて石をにぎりしめる必要があったのである。

なぜ石を持つのかというと、骨を粉砕するためである。その骨はなにかといえば、主食なのである。

 つまり、それまで果実や葉を食べ、熱帯雨林の周辺にいた類人猿の一部は、サバンナへ出て、大型の食肉動物たちが食べ残した堅い骨を割り、脂肪の塊である骨髄を取り出して食べたのだ、というわけである。

 そしてその骨をすりつぶすように歯のエナメル質が厚くなり、歯列が平坦になった。

 主食が骨だから、握りしめる石は常に持っていなくてはならず、四足歩行はむずかしくなって、立ち上がり、直立二足歩行をする必要があった。

 主食が口と手の形を決定するという「口と手連合仮説」に基づいた謎解きは、なかなか面白いと思う。
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07.05.15 『なぜヒトの脳だけが大きくなったのか』(濱田穣著、講談社ブルーバックス)
 人類の進化は、脳の大型化で特徴付けられるが、それでは「なぜヒトだけが?」の疑問にはそう簡単な答えはいまのところはなさそうである。

 ひとことで言ってしまうと、「脳の大型化にあずかったものは、ヒトの生活と生活史全般に及ぶ変革」である。

 私の主観でキーワードをひろうと、「家族」「食物獲得」「食物分配」「養育」「脂肪」といったところかもしれない。

 ずっと以前の祖先は母親だけが子を育てていたが、祖母や父親も支援するシステムとしての養育法ができ、「家族」ができた。

 食物獲得には経験・知識・体力が必要で、親・祖父母が自らが消費する以上の食物を獲得して家族メンバーに分配する。

 それはエネルギー消費の著しい脳の食欲を満たし、感染症や大飢饉への対策であるところの多産化要求を満たし、さらに疾病・飢饉に備えて高脂肪率が常態化する。

 これらにともない、成長パターンも変化し、幼児期は相対的に短く、コドモ期が延長された。そして思春期には成長加速によって身体は急速に一人前のオトナとなり、二次性徴の発達で男性・女性とも将来のペア相手を選択する。

 こうして「脳と脂肪」で代表される人類の生殖システムが完成したようである。
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07.05.14 『地域再生の条件』(本間義人著、岩波新書)
 地域の実情はもちろん一律ではない。しかし、少子高齢化が進んで過疎化がいっそう深化する地域、地場産業が衰退しつづける地域、それによって雇用が悪化している地域は多い。

 地域再生、地域活性化、地域おこし、地域福祉、地域主義、地域主権、地域連合、地域復活…といった言葉が飛び交うのも、「地域」が危機的状況にあることが要因であることは間違いない。

 「国がいうままにただ従ってきた」「公共事業に頼りすぎていた」「地域の資源を浪費しすぎていた」…地域衰退の要因はいろいろあるはずだが、それらの過ちを繰り返さない覚悟を決めることが、これからの地域再生の前提だ、と著者は言う。

 そのうえで、地域が本来備えていなければならない原理・原則に基づいた独自の政策を展開し、活性化に成功している地域を豊富な事例で示してくれ、また提言しているのが本書である。

 著者が言う「原理・原則とは、第一に、すべての人々の人権が保障された地域につくり直すこと、第二に人々がその地域の仕事で生活しうることを再構築すること、第三に自然と共生しうる地域に再生すること、そして重要なこととして第四に、そこに住む人々自身により再生を図ること、である。
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07.05.04 『「日本国憲法」 まっとうに議論するために』(樋口陽一著、みすず書房)
 伊藤塾塾長の伊藤真氏によれば、「優れた教師とは、『難しいことを易しく、易しいことを深く、深いことを面白く』教えられる教師です。本書はまさしく優れた教師による一級の憲法講義」である。

 「国民」とか「個人」とか「人権」とか「権力分立」とかの憲法上の意味を、人類の思想とたたかいのあゆみをたどってあとづけてくれている。

 そのうえで、「改憲主張の多くは、下手な冗談としか言いようのない性質のもの」とする著者の評価を重く受け止めたい。

 たとえば「環境権を憲法に書き込め」と言っているのは、そうした「運動の足をことあるごとに引っ張ってきた人たち」であり、現実問題として、「環境をまもろうとする運動を憲法が邪魔している、という話は聞いたことがありません」。

 改憲論はいろいろな論点を持ち出しているように見えるが、「『そこを変えないと前に進めない』という論点は、やはり、目下のところ憲法九条」である。

 変える理由は、端的に、「人権・人道のための武力介入」を日本軍が海外へ出て堂々とできるようにすること。

 であるならば、国内において、たとえば、亡命者・難民を広く受け入れ、国籍法の原則を血統主義ではなく出生地主義にし、最高裁は「異論の自由」を広く認める態度を取るなどの、「人権・人道」を言うに恥ずかしくない日本でなければならない、それが本来の「普通の国」ではないか。

 安倍首相がことさら繰り返す古めかしい「憲法おしつけ論」に対しても、当時の「日本国政府」にとって「おしつけられた」ことは間違いないが、「日本国国民ノ間ニ於ケル民主主義的傾向」(ポツダム宣言)を構成していた人たちには歓迎されたのであり、国民一般にも抵抗なく受け入れられた。

 問題は、「受身で歓迎」した憲法が、その後60年にわたり、「人びとの間でなじんできたという積極面」があるが、これを「自分自身の自己表現のシンボルにまで高めてゆくのか」。それは、この日本社会を形づくっている人びと一人ひとりにかかっている。
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07.04.30 『水はなんにも知らないよ』(左巻健男著、ディスカヴァー携書)
 水が「ありがとう」や「ばかやろう」の言葉を理解し、きれいな結晶になったり、きたない結晶になったりする、という話を信じて学校の道徳なので、「だから『悪い言葉』をつかうのはやめましょう」と教える授業がひろまっている、という話には正直驚く。

 「ニセ科学を信じさせる教育を進めれば、まともな理科教育の基盤はさらに崩壊」する、というのは著者の言うとおりである。

 著者によれば、日本の大人の姿として、「科学のことはわからないが、科学的だという雰囲気や、科学的であるとするお墨つきには弱い傾向があ」る、という。

 そこをニセ科学は突いてきて、科学と無関係でも、論理などは無茶苦茶でも、科学っぽい雰囲気をつくることができれば、ニセ科学をホイホイと信じこませることができてしまう。

 それだけに、基礎的に身につけておくべき科学を理解する能力=科学リテラシーを社会的に、そして理科教育のなかで向上させることは重要だと思う。

 本書はそうした問題意識から、「波動水」「磁化水」「マイナスイオン水」「π(パイ)ウォーター」「トルマリンを使った水」「抗酸化性をうたう水」など水にかかわるニセ科学を徹底的に検討し、日常生活での水の役割や安全性をまとめてくれている。
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07.04.29
『憲法を生きる』(奥平康弘著、日本評論社)
 「はしがき」を除いて、ご本人の「シャベリ」を、余計な言葉を削ってそのまま活字にしたような本で、たいへんに読みやすく仕上がっている本である。

 本書の意図は、この著者を切り口にして、日本国憲法施行60年がもつ意味を考えてみよう、というもの。5人の気鋭の憲法研究者によるインタビューへの応答が本書の素材らしい。

 著者は、「九条の会」の九人の呼びかけ人のなかで、唯一の憲法研究者。本書の大きなテーマのひとつが九条と世界平和であることは間違いないが、全体としては、「表現の自由」をはじめとした人権保障なども包み込む「未完のプロジェクトとしての憲法」が大きなテーマだと思う。

 私は、「憲法というのは、それぞれの役者を変え、それぞれの局面を変え、間を変えたり場面を変えたりしながら創っていくストーリーだと思う」という言葉にいたく共感する。

 著者のこの考えは、1994年発行の岩波ジュニア新書『いかそう日本国憲法』にも示されていた。憲法が常に未完ということは、「終わりのない仕事」であり、世代を超えたプロジェクトとしての憲法の糸をつむぎ続けてきた営みを「ご破算に願いましては」というわけにはいかないのである。

 本書の最後の言葉もそれぞれに受け取って考えたらいいと思う。「ラディカルな左翼はこれまで、あまりにも強く自らを革命家であると規定し、そして、『良き革命家』たろうと努力し過ぎたところはないだろうか。…それは革命家だけに許された特権的な夢であって、市民が世代を超えて紡ぎ出していくことが可能な夢ではない。革命家は全ての市民ではない。それはありえない」。
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07.04.23
『強奪の資本主義』(林直道著、新日本出版社)
 「経済」にはどうも苦手意識があり、なるべく系統的に、問題意識をもって読み込みたい、といつも思っていながら、なかなか苦手意識の克服につながらない。

 この著者による本も、読んだ直後は「なるほどこういうわけだったのか」と、わかったつもりになるが、しばらくたつと、「この問題はどう見たらよかったんだったかな?」の繰り返し。

 ちなみに手元には、この著者による『現代の日本経済 第5版』(1996年、青木書店)があり、この初版は1976年で、たぶんそのころから手にし、ほかに『経済学入門』(1981年、同)、『日本経済をどう見るか』(1998年、同)、『恐慌・不況の経済学』(2000年、新日本出版社)もそれぞれ「よかったなぁ」という読後感があったことだけは記憶にある。

 よほど問題意識を研ぎ澄まさないとだめなのかなぁ、と思ってしまう。

 本書では、戦後日本経済を四段階に区分し、1945〜54年の「経済発展の基礎づくりと対米従属体制固め」、55〜90年の「巨大な経済発展の時代」、91〜2003年の「長期不況、財政破綻、リストラの奈落への転落」、そして01年からの「強奪政策への暴走」とそれぞれ特徴づけている。

 とくに21世紀に入って、「構造改革」の名の下に、社会保障の給付の切下げ、公的負担の削減・企業負担の削減の一方で国民負担の増大が激化し、これによって浮かせた政府財源で企業減税・企業利潤内部留保の拡大が進められ、この政策を著者は、「政府・大企業による国民からの生活権・生存権、命と健康を守る財源の強奪だというほかにありません」と強調している。

 私もそう思う。
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07.04.21
『物理学者、ゴミと闘う』(広瀬立成著、講談社現代新書)
著者は1938年生まれで、「高エネルギー物理学」を専門としていた物理学者。

 7年前の春、大学退職を2年後にひかえたとき、近所の主婦たちの訪問を受け、ゴミになったプラスチックの処理施設が計画されているので、科学者としての意見を述べ、いっしょに闘ってほしい、といった趣旨の要請があった。

 著者によれば、それまでは専門分野の「たこ壷」生活にすっかりなじんでしまっていたが、その「たこ壷」から顔を出してみると、驚くばかりの光景が展開していた、とのこと。

 そんなわけで本書は、著者の35年間の物理研究と、8年間のゴミ問題へのかかわりという体験から生まれた。
 2004年度のノーベル平和賞受賞者のワンガリー・マータイさんの「もったいない精神を世界に」といった考えと行動に共感しつつ、地球環境の基本的なしくみが「質量保存の法則」「エネルギー保存の法則」「エントロピー増大の法則」という物理学の3つの法則によって包括的に理解できることをたいへんにわかりやすく示してくれる。

 そのうえで、「燃やして埋める」のは大間違いであることばかりでなく、「労力や税金で市民を苦しめながらも、環境負荷を減らすことのできない日本のゴミ政策」の問題を指摘し、「そのような政策に守られて利益を得ている人々がいることは、もっと問題」と喝破する。

 原子力発電にもふれ、人類は、「温暖化対策」という美辞麗句に惑わされてはならない、と忠告する。
 今年3月から著者は、「町田市ごみゼロ市民会議」の代表にもなっている。
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07.04.17
『明日はどっちだ』(金本友孝著、フォレストブック)
 著者は1961年大阪生まれ。副題に「むかしロックギタリスト、いま牧師」とあるように、二十代まではロック・ギターを弾く金髪の貧乏ミュージシャンで、いまは「いわきホームチャペル牧師」である。

 彼はまた在日韓国人三世。

 小学生のころに母親から「宣告」されたとき、「夢を持ってはいけない。期待してはいけない。失望しないために、はじめからあきらめておけ」と、受け取ってしまったと彼は告白している。

 様々な差別に出会ったのだと思う。「韓国人は、日本による植民地支配の中で、自分の名前を奪われた。名前だけではない。言葉も、文化も、歴史も奪い取られた。その化石が今でも残っている。それが『在日』だと思う」とも彼は書いている。

 「日本に取り残された『在日』には、人並みの平凡な人生も、いわゆる出世コースに進むことは許され」ず、「カネとコネ、学歴と地位がモノを言う、そんな世の中で、それらを何一つ持たず、自らのアイデンティティさえ持たない者が、どのように生きたのか」、「その半生の記録を通して、生きる意味と幸せの意味」をつかみとってもらおうと意図された本である。

 そもそもこの本は、私が県議選挙落選の数日後、あるご夫妻をたずねたさいに、「音楽活動をしている牧師がいるから、長谷部さんも参考にしてみたら」との話の流れで紹介された。

 さすが牧師さんのお話、と思える楽しい本である。2002年発行。
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07.01.10
『禁断の科学』(池内了著、晶文社)
 私は、著者が言う「為政者が一方的に『最大多数』を宣伝するとき、そこには切り捨てられる人々が必ず存在することに注意しておかねばならない。私たちは、つい多数の側に与して、少数の人の不幸を忘れがちになってしまう」(128n)という言葉が本書全体の基調のように思う。

 国家が科学の最大のスポンサーとなり、「科学の制度化」=「科学の体制化」は19世紀以降、急速に進み、国家による科学の利用促進のもとで「科学の軍事化」、「科学の商業化」が進行している。

 そうなれば当然、科学者や技術者の倫理が問われる場面もふえているに違いない。

 本書の第T部では、「科学の軍事化」が20世紀を特徴づけるキーワード、という問題意識から、「戦争」をテーマに科学者の戦争協力についてまとめている。

 第U部では、現代科学の光と影をまとめ、現代に突きつけられた、科学と社会にかかわる新たな問題を提起している。

 一方的に「科学の商業化」が進められ、倫理を置き去りにしたまま市場原理のみで科学の利用が進んでいいのか、と強烈な問題意識を提示する。

 原子力発電をめぐる諸問題、ITがもたらすもの、人工化学物質、遺伝子操作、ロボットとナノテクノロジーのそれぞれの光と影を示し、「その光を享受するだけでなく、影を小さくするための努力をしないと、やがて影のみに覆われた暗黒の社会になってしまう」と、冷静に警告する。
 
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07.01.10
『「医療改革法」でどうなる、どうする』
(日野秀逸・寺尾正之著、新日本出版社)
 昨(2006)年6月に成立した「医療改革法」は、12本もの法律にわたるにもかかわらず、衆議院と参議院での審議時間はたったの67時間。

 運用段階での詳細な規定は、健康保険法関係で356項目、医療法関係で75項目、合計440項目が政省令・告示事項にゆだねられた。そして21項目の付帯決議がつけられるという、あまりに問題をかかえすぎる法律である。

 この法律の眼目は三つあって、ひとつは「医療給付費削減」、ふたつは「都道府県による医療費適正化計画の作成・実施」、みっつは「都道府県による医療保険制度の運営」、である。

 この法律の具体化と実施によってめざす医療の姿の柱は五つ。

 ひとつは、憲法25条に基づき国が保障する医療から、自己責任に基づく医療への転換。
 ふたつは、国が制度の運営維持と保険財政の管理責任をおう制度から、保険者・地方自治体が運営責任をもつ制度への切り替え。
 みっつは、健康についての公的責任を自己責任へ転嫁。
 よっつは、社会保障本来の「応能原則」を「受益者負担」方式の拡大。
 いつつは、医療提供体制を都道府県単位に再編。

 自民党・公明党は、この「医療改革法」は、「国民皆医療保険制度を持続可能なものにするため」と強弁して成立させた。

 国民皆保険制度とは、いつでも、だれでも、どこでも、保険証一枚で必要活十分な医療が受けられることを意味する。

ところが成立させられた法律の中味は、地方自治体と住民にとって、地域で安心して健康に暮らすことを根底から揺るがす内容を含んでいる。

 私たちは、「地域まるごと健康づくり」の視点から、この希代の悪法の具体化を許さず、自治体関係者・医療関係者・住民の社会的連帯で、健康で安全で安心な暮らしのための医療システムを展望することが必要である。
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06年後期06年前期12月11月10月9月8月7月6月青春

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