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生い立ち・・・4

進路について考える

 自分が進む道については、吹奏楽で忙しくて考えなかったわけではありません。が、十分に考えたか、と問われると、答えに窮してしまいます。

 1年になりたてのころ、担任から「希望大学」を問うアンケートが配られ、「東大」と書いたおぼえはあります。先生によれば、磐城高校に入学したての1年生の多くは「東大」と答えるんだそうです 。

 それはともかく、私としては、「何かを専門に勉強する研究者として人生を送りたい」、などと漠然と思っていました。1年のころは、それこそ試験の点数が取れず、どこの大学の何学部へ行きたい、などと言っている場合ではない、との思いがありました。

 読書は「岩波新書」と講談社の「ブルーバックス」がほとんどでした。「ブルーバックス」は自然科学が中心ですが、岩波のほうは自分でもけっこう幅広いジャンルを読んだつもりです。

 その当時に買った本は、京都に住むようになってから、古本屋へ売ってしまい、今となっては自分の跡づけができなくなってちょっと残念な思いです。

 2年生中ごろからは、「宇宙の起源」だとか「物質の起源」だとか「物質の成り立ち」などといった、自然のからくりの根源に迫る勉強がしたいと思うようになっていました。

湯川秀樹と京大の学風にあこがれて

 同時に、この関心にこたえる一般書には必ず「湯川秀樹」の名前が登場し、「京都大学理学部」もしばしば登場します。しかも湯川は京大出身です。

 また、「ノーベル賞受賞者はなぜ東大ではなく京大か」、といったことが当時雑誌か何かで書かれていて、京大と東大では「学風」や「学ぶ環境」が違っていて、京大は基本的に「自由」な環境にあり、東大はその逆だ、みたいな「解説」も目にしました。

めざす大学はこれで決まりました。ただ、学力が追いついていないことは重々承知していました。

 いよいよ受験のときには、はっきり言うと、「あれだけ部活動に打ち込んだし、ちょっと無理だな」との思いもあり、同じ京都にある立命館大学数学物理学科も受験しました。立命には合格しましたが、京大はだめでした。

京大は不合格。立命館大学に入学

 京大への思いも強かったので、親に相談しましたが、「勉強するのにどこだっていっしょ」と言われ、一度は立命へ通うことに決め、西京極のアパートに住むことにしました。

 そのアパートは京都外国語大学にも近く、それら2 大学の学生が住んでいました。そのうちの1人に、外大を卒業して就職浪人中の人がおり、わたしに訴えるようにさとすのです。


 「1年で京大をあきらめるヤツがあるか」と。これが連日続きます。「親はそう言うかもしれないが、京大と立命では…」と始まるのです。わたしも一念発起して、このアパートでもう一度受験勉強に集中することにしました。

再チャレンジして京大に合格

 1年後にはぶじ、京大に合格することができました。
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