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生い立ち・・・1
さかえ幼稚園・一番手前が私です。 立って教科書を読んでいるのが私です。

内郷御厩で生まれました。

 私が生まれたのは1959(昭和34)年6月18日。今年の誕生日がくれば46歳になります。内郷の御厩(みまや)で5歳まで育ちました。今は磐城第一高校になっているところのいっかくにあった御厩保育所にかよっていたことと、その保育所がちょっとだけ場所が移動した記憶があります。が、かよっていた頃のことは残念ながらまったく思い出せません。

 その後、高坂地域の谷にある市営住宅の高坂団地へ引っ越しました。そこから母親とバスに乗って、3か月ぐらい、吉田サタ園長の「さかえ幼稚園」にかよっていました。このときのことも記憶は定かではありません。

高坂小学校に入学

 高坂小学校に入学し、いっしょに登校する小学生たちを中心に友だちの輪ができあがっていきます。回りの山へ登ったり、木の上に風雨をしのげる「家」をつくったり、山菜取りをしたり、川でザリガニ取りやメダカ取りをしたりしたことをおぼえています。なかでもいちばんおぼえていることは、団地仲間でソフトボールをよくしていたことです。

高坂第一仲好会チームで野球に熱中

 「内郷愛護連盟」の大会には「高坂第一仲好会」チームで毎年出場していました。私は上級生にまじって、2年生のころからボールとバットに触れはじめていました。

 4年生からはレギュラーとなって、守備は外野のレフト、打順は1番が定位置となりました。4年生レギュラーが何人かいて、その後のチーム強化につながっていきます。このときのチームメートが選挙で応援してくれています。

 外野守備や1番の打順は、監督から「足の速さ」をかわれたのだと自分では思っています。5年生のときに磐城高校が甲子園で準優勝し、このときに高校は磐城へいって野球をするぞ、と心に決めたものです。

 最上級になった6年生のときに、大会2回戦で優勝最有力候補チームを破り、けっきょく5試合をたたかってチームは優勝しました。

 このときに、個人技ではなく、チーム構成員が協力し、お互いが技術・能力を高めながらチームを強くしていく過程を経験したと思っています。

将来の夢はプロ野球選手・・・王選手の熱烈なファンでした。

 卒業文集にはこのときのことを書いていました。またその頃の「夢」はプロ野球選手になって三冠王をとることでした。「王選手」の熱烈なファンであったことを思い出します。

 運動会では「かけっこ」と「リレー」は常連でした。山を駆け回っていたことが功を奏したのだと思います。6年の「小体連」の大会では、ソフトボール投げに出場しました。

 校庭での練習では市の記録をぬりかえる距離を投げましたが、大会では緊張のためだと思いますが、力を発揮できず、3位に終わりました。

 このときに、結果が出せないような練習ではなく、本番で力が発揮できる気持ちの集中とか、イメージトレーニングが必要なことを、子ども心に反省したものです。新記録を期待されて、平凡な記録で終わったことはやはり悔しいです。

ターザン遊びで大怪我

 ところで、2年生のときに、山で自然のままのツタを使ったターザン遊びがはやっていました。こういう遊びは、だんだんと、誰がいちばん勢いよく、大きく振れるかを競うようになっていきます。

 ツタのいちばん端を持ち、勢いよく飛び出し、最大振幅に到達してもどる瞬間、手がツタから離れ、下へ頭からまっさかさまに落ちてしまいました。今ではほんとうに「よい子はまねをしないでください」と強調したい。

 そのときは手がツタから離れた瞬間から記憶はほとんどなく、病院の手術台で処置が終わって病室のベッドに寝かされるまでの時間の大半は気を失っていたのだと思います。

 落ちた直後に頭をさわったら血が出ていると感じたときと、救急車に乗せられるときに、それぞれ一瞬の記憶があります。しばらく入院生活を送り、クラスのみんなから励ましの手紙をもらったことはほんとうにうれしかった。
 
 同時にこんな迷惑をみんなにかけることは二度としちゃいけないと思いました。右手首骨折、左手首にひび、および頭蓋骨の2か所にひびが入っていました。

 ところで家には教育熱心な祖母(母の母)がいましたが、「宿題終了監視」をされているようで、かなり抵抗したことをおぼえています。

 なにせ小学校のときに、下校後勉強したという記憶はあまりなく、外に出て遊んでばかりいたように思います。また机には小遣いで買い込んだ漫画本を詰め込んでいたことも覚えています。
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