張本さん「もう一つの人生」

『張本勲 もう一つの人生』(張本勲著、新日本出版社)を読みました。

5歳のとき、爆心地から約2.5kmの広島の自宅で被爆した張本さんが、3年前(2007年)に初めて広島の原爆資料館の入口をくぐることができた最終章(第7章)のくだりには、ちょっと涙なしには読み進めませんでした。

張本さんは私の少年時代のプロ野球選手で、野球少年だった私にとっては、御多分にもれず(?)、ONに次ぐあこがれの選手でした。通算3085安打は日本プロ野球公式記録歴代1位です。

在日韓国人として、「帰化はしない」と決めたことを語るなかでは、プロレスラーだった力道山や大投手・金田正一さんも登場します。

魅力ある日本プロ野球にするための提言や、メジャー、イチロー、韓国野球、バッティング学を語る章は、「サンデーモーニング」で「あっぱれ!」「喝!」と叫ぶ姿そのものの熱情を感じます。

内部留保

『内部留保の経営分析』(小栗崇資[おぐり・たかし]・谷江武士[たにえ・たけし]編著、学習の友社)を読みました。

専門書ではなく、「誰もが内部留保分析ができるようになることをめざし」て、やさしく書かれた本です。

第1部で会計や財務諸表の仕組み、経営分析について書かれていますが、内部留保分析に必要な点にしぼって解説されていて、90年代末から導入され始めた新しい会計基準の概要を知ることもできます。

内部留保が企業の発展にとって重要であることはいうまでもありませんが、本書では「内部留保は自由に使えるものではない」との見解に根拠がなく、運用可能な部分を社会的に有効に活用すべきことを提言しています。

ちなみに163ページに掲載されている図は、資本金100億円以上の企業の真実実効税率(つねにいちばん下にある折れ線、2007年度は18%)、日本の企業全体の真実実効税率(真ん中に位置する薄い折れ線)、法定税率(いちばん上の折れ線)の推移を表しています。

大企業から税金を徴収しない課税構造であることが一目瞭然です。それでいて財界は、「法人税率をもっと下げて、消費税率をもっと上げろ」と民主党政権に迫っているわけです。

ちなみに、資本金100億円以上の日本の企業は1300社余りで、法人数258万社余りの0.05%を占めるにすぎません。

思い出袋/「勁く」/「北斗七星」

『思い出袋』(鶴見俊輔著、岩波新書)を読みました。岩波書店の読書家の雑誌『図書』に80歳から7年にわたって連載した「一月一話」をまとめ、終章に「書ききれなかったこと」を書き下ろした本です。

80代の戦後思想史の専門家がどんな言葉を残してくれているのだろうか、という関心から読みました。こうしたかたがたが残してくれる言葉は財産だと思うので。

それより、オビに「勁くしなやかな思想と言葉」と書いてあるのですが、「勁く」が読めなくて、ほんとうに久しぶりに漢和辞典を調べました。「つよく」と読みます。

鶴見さんは、「九条の会」呼びかけ人の一人でもありますが、私の頭に強烈に残っているのが大学時代に読んだ久野収さんとの共著『現代日本の思想』(岩波新書、1956年発行)の次の言葉です。

「すべての陣営が、大勢に順応して、右に左に移動してあるく中で、日本共産党だけは、創立以来、動かぬ一点を守りつづけてきた。それは、北斗七星のように、それを見ることによって、自分がどのていど時勢に流されたか、自分がどれほど駄目な人間になってしまったかを計ることのできる尺度として、1926年(昭和元年)から1945年(昭和20年)まで、日本の知識人によって用いられてきた」。

パラドックス

『パラドックスの悪魔』(池内了著、講談社)を読みました。

パラドックスの代表とされるゼノンの「アキレスと亀」の話もあるように、古代ギリシャの哲人たちが投げかけて以来、2500年の歴史をもつパラドックスです。知的ゲームとして、あるいは現実の矛盾をあばき出すものとして使われてきました。

本書では、ギリシャの時代にさかのぼりながら、現代社会がはらんでいるパラドックスをまとめているのですが、次の展開を予想させるような感じです。

修辞法のパラドックス、物理学のパラドックス、生命世界のパラドックスの話もさることながら、エコポイントで大量消費と大量廃棄をおしすめるパラドックス、使えない核兵器に莫大な金をかける「抑止力」のパラドックス、何万年も先の未来の世代まで負の遺産を背負わせる原発のパラドックスなど、「今を大事にしすぎるがために、未来のことを考えなくなってしま」った現代社会のありようを深く考えさせられます。

著者は宇宙物理学が専門の研究者です。

消費者の権利

『[新版]消費者の権利』(正田彬著、岩波新書)を読みました。

1972年に刊行された前著の新版で、全面的に書き下ろしたものです。著者は昨年、本書出版の最終作業中、80歳で亡くなりました。

非食用の輸入事故米穀が食用として流通していた事件、輸入冷凍餃子の中毒事件など、消費者をめぐる食の問題ひとつとっても、消費者の権利を守ることが重要な課題になっている、と強烈な問題意識から書かれていることがわかります。

人間の権利の尊重は、現代社会の基本原則だから、行政がその権利の確立を考えた対応のしくみをつくる責任は言うに及ばず、そのためにも、人間の権利と事業者の権利をどう調整するかの発想ではなく、事業者による事業活動は人間の権利の尊重を前提として成り立つものでなければならない、と明快です。

消費者行政の基本は、消費者の四つの権利(①消費生活における安心・安全・自由の権利、②商品・サービスを正確に認識することができる表示をさせる権利、③価格の決定などの取引条件の決定に参加する権利、④情報化社会において消費者が必要とする情報の提供を受ける権利)を確保することにあることを、消費者の立場で、具体的に説得的に述べられています。

森と海

『森が消えれば海も死ぬ[第2版]』(松永勝彦著、講談社ブルーバックス)を読みました。

1993年の初版で明らかにした森林の役割の考え方が全国に広がり、漁民が森を育てる活動の科学的根拠ともされている、とのこと。

それから15年以上が過ぎ、多くの研究成果を取り入れた改訂版です。

日本の沿岸域が、およそ1000kmにわたって海藻も育たない不毛の砂漠となった原因は、森林伐採が進み、残された森林も適切な間伐がなされていないこと、と指摘します。

そして、ダム、高速道路、新幹線などの建設により、多くの森林を伐採してきた公共事業の質を変え、太陽光発電、太陽熱、バイオマスエネルギー、雨水の利用、間伐、植林などの事業で雇用を確保する方向への転換を提起しています。

アートを楽しむ/さわやか対談

『アートを楽しむ生き方』([日野原重明+松本猛]著、新日本出版社)を読みました。

日ごろアートに親しむことも、そもそも素地もないのですが、1時間ほどで一気に楽しめる本です。

日野原さんは1911年生まれで、京大の大先輩のお医者さんですが、第三高等学校時代はこっそり京都大学に河上肇教授の講義を受けにいったりもしたそうです。

初恋の人は「美いちゃん」といって、小林多喜二が警察で虐殺され、遺体がもどった自宅に駆けつけ、弔いの日まで遺体を仲間とともに守り続けた一人だそうです。

日野原さんのそのときの恋は成就はしなかったそうな。

それはともかく、少年のころから音楽も演劇も絵画も大好きだったという日野原さん。「いのちをすこやかに保つのが医療の役割ならば、医療もまたサイエンスに基づく、癒しのアートであるべき」、「大切にすべきいのちをどう表現するかというのが芸術であって、その表現されたいのちを子どもたちが身につけて、平和を実践する行動を将来とるようになること、これを実現するのがわたしたちのつとめ」。

さわやかな対談です。

中国侵略の証言者

『中国侵略の証言者たち』(岡部牧夫他編、岩波新書)を読みました。衝撃です。

私はこうした証言者がいることを知りませんでした。「こうした」というのは、1956年6月から7月にかけて中国で戦犯裁判を受け、その年の内に帰国し、57年には「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成し、戦争犯罪に関する加害証言にとりくんでいた事実です。

彼らが帰国当時、周囲から「アカ」扱いされて差別され、公安警察関係者の監視に悩まされ、「洗脳とやらの“魔法”にかけられて、頭の脳ミソを入れ変えられたんじゃないか」と書いた週刊誌もあったそうです。

現実は、「罪の大小にかかわらず、侵略戦争そのものの罪悪性を心底から認識できるようになったこと、その結果、中国人民に真正面から頭を下げ、二度と銃を向けないと誓うことができるようになった」、「私たちは戦犯となって初めて、人間らしい生活を送ることになった」(第5章)のです。

帰還者だけの組織であった中帰連は2002年に解散し、当事者以外の人たちを含め、「反戦平和・日中友好」を願う団体として「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に証言の聞き取りなどの諸とりくみが引き継がれています。

日本近現代史

『日本近現代史を読む』(宮地正人監修、新日本出版社)を読みました。

1853年のペリー艦隊来航に先立つ幕末の様子を序章に、昨2009年8月の総選挙で自公政権が崩壊するまでの通史です。

アジアにたいする膨張主義と植民地支配にたいする歴史認識を国民的レベルで確立すること、戦後日本の対米従属から抜け出し、日本の自主性を回復すること、経済力の成果が公平に社会に還元されるまともな経済社会に転換することを、21世紀を展望した現代日本の課題として提起しています。

歴史を大局的に見ることの大切さと、歴史は「男女人民と多くの民衆のたたかいと努力、そして失敗と挫折の積み重ね」であることをつくづくと感じます。

1901年、8時間労働制、普通選挙制、貴族院廃止、治安警察法の廃止、言論抑圧の新聞条例の廃止などを実行綱領として掲げて日本で最初の社会主義政党(社会民主党)が結成されたとき、ただちに治安警察法によって結社が禁止されました。

109年後の今、「この実行綱領の多くが日本人の常識とするものとなり、廃止されたのは逆に治安警察法であり、亡んだのはこの法律をみずからの法的支柱とした天皇制国家でした」(「刊行にあたって」)。

当時、その実現を信じる人びとはどれほどいたのでしょうか?

そして今、「抑止力」といって世界へ殴りこむ戦力を日本におくアメリカと、軍事同盟関係はやめて、対等な関係を築く日米友好条約締結の実現性を信じる人びとを多数にする時代だと思います。

欠陥「国民投票法」

『欠陥「国民投票法」はなぜ危ないのか』(隅野隆徳著、アスキー新書)を読みました。

「国民投票法」というのは、「日本国憲法の改正手続きに関する法律」、要するに「改憲手続法」のことで、今月18日から施行されます。

07年5月、自民・公明だけで強行採決したもので、当時の安部晋三首相が「憲法改正を5年以内に行う」とするスケジュールにあわせたものでした。

ところがこの法律は、法案に不備があるときにしばしば行われる附帯決議が18項目も付くほど欠陥だらけです。

最低投票率が規定されていないので、たとえば投票率が40%とすると、無効票がまったくなかったとしても有権者の21%の賛成があれば改憲です。

「国民投票における過半数」が「賛成票と反対票の合計の過半数」とされるため、白票などは無効票とされるので、理論上はもっと少ない賛成で改憲実現です。

公務員や教育者の「地位利用」規制の問題もあります。テレビ、ラジオでの有料コマーシャル放送を投票期日2週間前までは自由です。資金力に物を言わせて世論誘導が可能、ということです。

附帯決議で必要とされた検討もされず、ほかにもいろいろ問題点が未検討のままで、施行されても運用できる状態ではありません。

私は「この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、時分の物として選び直し、日々行使していく」(04年6月10日「九条の会」アピール)ことこそ、今いちばん大事なことと思います。

ちなみに著者は、「憲法改悪阻止各界連絡会議」の代表委員で、今年1月の日本共産党大会で来賓あいさつされたお一人です。