病院赤字、医師は疲れ果て/受診は社会保障

『なぜ、病院が大赤字になり、医師たちは疲れ果ててしまうのか!?』(「日本の医療を守る市民の会」編・本田宏監修、合同出版)を読みました。

執筆陣は、医療関係者だけでなく、患者の立場・子どもの親・医療事故の当事者の立場にある人びとをふくめ25人。それぞれの立場から「医療をつくり変える33の方法」を提言しています。

病院勤務医不足に象徴される現在の「医療崩壊」の実情、医療保険制度のしくみと医療崩壊の関係、医療費への税金投入の少なさ、医療事故・紛争の実情と患者と医療者との関係のありかた、医療制度と地域医療を守る市民のありかた、など、日本の今の医療現実の全体像がわかるのではないでしょうか。

注目したのは、神奈川県の医師、歯科医師が中心になって07年1月に始められた「窓口負担をゼロにする運動」。「受診時に経済的なことを心配せず、病気という理由でのみ受診できる社会」「ヨーロッパ諸国のように受診時の負担を原則ゼロとする」ことは、健康保険法の趣旨を取り戻すことでもある、とのこと。

受診することが商品を買うことと同等と思わされている患者と医師。社会保障は国民の権利であり国の義務。この矛盾は政治が解決すべきだと私は思っています。

日米核密約/条約上の権利

『日米核密約 歴史と真実』(不破哲三著、新日本出版社)を読みました。

2000年春、機密が解除されたアメリカ公文書から「核密約」本体と関連文書を見つけ出した著者は、その文書群を政府にすべて示し、党首討論という国会の場で、真相解明を求めました。

当時の政府はこれを無視することを決め込み、「政府としてこれを責任をもって論じうるものではない」(小渕首相)とし、「核持ち込みは事前協議の対象だ、軍艦や飛行機での持ち込みも例外ではない」との答弁を繰り返しました。

いまや、日本政府自身が、「核密約」の本体である「討論記録」を「不公表とすることとして両政府間で作成された合意文書」と認めるに至りました(志位和夫委員長の「質問主意書」[2010年3月17日]にたいする政府の「答弁書」[3月30日])。

こうして民主党政権は、文書の存在を認めたものの、それを「核密約」とは認めず、もはや過去の問題で「核密約」は廃棄しない、つまり存在を黙認し続ける態度をとっています。

民主党が「核密約」を認めようとしない根拠が、「有識者委員会」の「報告書」(3月9日発表)でした。「報告書」では、「核密約」の交渉経過にきわめて一面的な解釈を加えて、「討論記録」は「核密約」ではないと断定したのです。

この見解がまったく誤っていることは、当時の米外交文書(1958年10月4日付および59年6月20日付のマッカーサー駐日大使の手紙)が証明してくれています。

「核密約」とは、日本政府が、アメリカにたいして、核兵器を積載した艦船および飛行機を、事前協議なしに日本に出入りさせる権利を、条約上の権利として認めたものです。

障害者総合福祉法/前政権路線推進への懸念

『どうつくる? 障害者総合福祉法』(障害者生活支援システム研究会編、かもがわ出版)を読みました。

今年1月7日、新年早々でしたが、障害者自立支援法違憲訴訟の原告と長妻厚生労働大臣との間で、裁判の和解のための「基本合意文書」が結ばれました。

新たな障害者施策を検討するための起点となった合意であり、自立支援法に変わる法律の策定を明記している点で、画期的です。

本書では17人の執筆陣が、障害者の権利保障を基点に据え、障害者の就労・所得・医療保障など、サービス給付にとどまらない福祉サービスの関連領域にも目配りし、なおかつ、介護保険や保育制度などとの関連も視野に障害者施策の将来像を論じています。

民主党政権が、自公政権の路線を変えるどころか引き継いで、むしろ推進している姿勢への懸念は、具体的だけにきわめて重要だと思います。

比例削減・国会改革/目的達成のための手段

『比例削減・国会改革 だれのため? なんのため?』(自由法曹団編著、学習の友社)を読みました。

現在の衆議院の総選挙は小選挙区・比例代表並立制で行なわれています。

この制度は、小沢一郎氏主導のもと、細川内閣時に「政治改革」と称して導入されました。

「小選挙区制は、民意を歪曲して『虚構の多数』を生み出すことを本質とした選挙制度です」。「比例代表選挙は…小選挙区制による民意の歪曲を緩和し、多様な民意を反映するために導入されました」。

「細川内閣が提出した法案では小選挙区・比例各250議席でしたが、自民党との談合修正で小選挙区300議席、比例200議席に変更され、2000年には比例が180議席に削減されました」。

民主党はこの比例部分をさらに80議席削減する、と言い張っているわけです。多様な民意は国会には必要ない、という立場です。

ともかく、結論を言えば、比例削減のねらいは「二大政党制の確立と少数政党の排除」であり、国会改革のねらいは「国会の権能を『政権選択』の枠内に制約し、政府の権能を拡大・強化して強権国家をつくること」です。

それ自体は目的でなく、特定の政策目的を実現する手段です。

雇用崩壊と社会保障/福祉を解体した介護保険

『雇用崩壊と社会保障』(伊藤周平著、平凡社新書)を読みました。

労働者派遣法の制定・改定で雇用の危機が進み、小泉構造改革によって社会保障が機能不全に陥ってきた経過を跡付けています。

政策理念が欠如して政策間の不整合が著しく、内容よりパフォーマンスが目立つだけの議員、個々人が医療・福祉サービスを商品として買えればよいとする考えに偏りすぎの民主党の姿も浮き彫りにしています。

そのうえで日本の雇用保障・社会保障再構築のための課題を提起しています。財源も、消費税ではけっきょく、「増税がいやなら、雇用保障・社会保障は拡充しない」ことでますます機能不全に陥りやすくなるのであり、「所得税や法人税の累進性を強化し、それを主な財源とすべき」と明快です。

注目したのは介護保険にかかわる評価と展望。

「老人福祉法にもとづく高齢者福祉措置制度にターゲットを絞り、その解体をねらった介護保険」(154㌻)

「医療・福祉分野における財政構造改革法というべき介護保険法」(160㌻)

「障害者自立支援法や後期高齢者医療制度のモデルとなった介護保険」(182㌻)

「『福祉の介護保険化』政策は、福祉サービスを商品化し、福祉給付についての公的責任を消滅させ、財界からの要求にそって、福祉的支援を必要とする高齢者や障害者、子どもを『儲け』の対象とする」(205ページ)。

そのうえで、

「社会福祉を『福祉』の名に値しない制度へと変えてしまった介護保険法も、障害者自立支援法とともに廃止し…高齢者・障害者総合福祉法を制定すべき」と提案しています。

安保50年

『普天間問題と安保50年』(安保破棄中央実行委員会)を読みました。

同実行委員会による「安保がわかるブックレット⑥」になります。

アジア・太平洋戦争後のアメリカによる占領と、サンフランシスコ条約のもとで沖縄の最高権力者となった米軍が、「銃剣とブルドーザー」によって住民を立ち退かせて強行建設したのが沖縄の米軍基地のほとんどです。

「陸戦の法規慣例に関する条約」(ハーグ陸戦法規)は、たとえ占領中でも、「私有財産は、之を没収することを得ず」(第46条)と明記しており、米軍による基地強行建設そのものが国際法違反の無法行為で、普天間基地の無条件撤去は当然のことなのです。

この当たり前のことを広めないとなりません。

本書のメインは安保条約50年の歴史と、その条約のもとでの日本の現状です。

4月15日に米上院外交委員会で、米日財団理事長のジョージ・パッカード氏は「日本の新しい世代が、自国に置かれた外国軍の基地を我慢しなければならないのか疑問を深める」「この条約が無期限の未来まで続くと考えることはできない」と証言したことを、私たち日本国民こそが真剣に考えるべきだし、その時期だと思います。

志位委員長のアメリカ訪問

『アメリカを訪問して』(志位和夫著、新日本出版社)を読みました。

日本共産党委員長が、8人の日本共産党代表団の団長として、今年4月30日から5月8日まで訪米した記録です。

だいたい、1980年代までは「コミュニスト」というだけで入国が難しかったアメリカですから、共産党の党首が訪米すること自体、アメリカの変化を感じます。

今回の訪米の目的は、核不拡散条約(NPT)再検討会議に出席し、被爆国・日本国民悲願の核兵器廃絶を国際政治に訴えることと、「基地のない沖縄」「対等・平等・友好の日米関係」を求める沖縄県民、日本国民の願いをアメリカに伝えることでした。

この二つの仕事をできたことがリアルに伝わる報告です。

もちろん、日米安保条約や基地問題で、アメリカと日本共産党との立場や考えが対立していることは明らかですが、アメリカ側から「意見交換は有益であり、民主主義の基本。これからも続けましょう」と提起されたことは重要です。

それにしても、アメリカの共和党議員との懇談で、志位委員長が、「あなたがた共和党の創始者はリンカーンだ、私たち共産主義の創始者はマルクスだ、二人には交流があった」という話をしたことや、「共和党」と「共産党」を漢字で書くと真ん中の文字を除いて同じだ、の話に「それでは三分の二まで同じか」のやりとりは、愉快です。

憲法がめざす幸せの条件

『憲法がめざす幸せの条件』(日野秀逸著、新日本出版社)を読みました。

著者の専門である経済学や社会保障の視点から、「平和と健康は幸福の条件」というテーマで、憲法9条と25条と13条にかかわる課題を提起しています。

私たちは、幸福に暮らしたい、とごく自然に願うし、幸福に暮らしたいというとき、平和のもとでの幸福、そして健康で文化的な内容の幸福を追求したいと思います。経済的・金銭的損得勘定に基づく暮らしの幸福を望む、ということはあまりないと思います。

「平和に生きる」ことにかかわる憲法9条、「幸福に生きる」ことにかかわる憲法13条、「健康で文化的に暮らす」ことにかかわる憲法25条は、こうして、ごく普通に生きる人間のためのものであることがわかります。

また健康は、「自然を変え、社会を変え、自分自身を変え、そして人生を楽しむという四つの人間独自の活動ができるような身体的、精神的な、あるいは社会的な状態」ととらえます。

そして私たち一人ひとりが「自覚と協同の力に依拠して広くくらしをつくり変え、地域をつくり変え、さらには政治をつくり変えていく」ことを健康づくりの内容と提起します。

集落再生と日本の未来

『集落再生と日本の未来』(中嶋信[まこと]編著、自治体研究社)を読みました。

集落は日常的な生活や生産が営まれる基礎的な地域社会を言います。タイトルのとおり、集落再生は、「この国のかたち」を正す取り組みの一環で、日本の未来に直結することがらととらえられます。

紹介されている事例は、新潟県上越市・長野県阿智村・高知県四万十市・徳島県美波町・京都府南丹市のそれぞれの集落。

住民と行政との協働、市町村の積極的な計画づくり、県などによる補完、都市住民など域外からの支援など、さまざまな担い手が主体的にとりくむ実践です。

民主党が主張する「地域主権国家」には、道州制のように小泉構造改革を地方で推進する主張を含んでいて危ういものですが、大切なことは、当面の集落機能の回復を図るとともに、農林水産物の自給率向上を果たす政策への転換など、国民経済の転換を進めることです。

集落が「限界」状態に陥るのは自然現象ではなく、多くは産業政策や地域政策の失敗によるものだからです。

マリー・キュリーの挑戦

『マリー・キュリーの挑戦』(川島慶子著、トランスビュー)を読みました。

私と同い年の著者は、本書を書くことが、「社会のジェンダー・バイアスのために、女の子と科学が切り離されていた『自分の』時代を描くこと」でもあったと言います。

また、「書きながら、自分自身の人格や行動パターンが、大日本帝国に生まれ、先の戦争を体験した両親や祖父母、あるいはそれ以外の自分の周りにいた大人たちから、深い影響を受けていることを実感しました。そして、科学者になろうとしていた自分は、まさにそういうことを無視したかったのだということに思い至りました」とのこと。

1867年、ロシア占領下のポーランドに生まれた少女が、「物理の先生になって、同時に政治的行動においても祖国の独立に力を尽くそうとした夢」をもっていたことから本書の話が始まりますが、マリー・キュリーの伝記というより、「歴史の中に生きる存在としての人間の可能性」を若い人たちに語りかけている本だと思います。

著者とは、大学時代、キャンパスで時どき話を交わした、というか、私からちょっかいを出していたことを思い出します。30年も前のことです。私がおぼえているだけだとは思いますが。