三方から/市街地街宣/共通する気持ち

けさの街宣は、三方の車が合流するバイパス道路の出入り口に当たるところ。

それぞれからのドライバーのみなさんが手を振っていってくれたり、クラクション「声援」をおくってくれたりします。

高橋あき子市議と、平市街地の5か所の街頭から訴えました。スーパーの前では、駐車場内で聞いていただく姿が目立ちます。

街宣移動途中でお知り合い宅に寄ったり、街宣場所のご近所や事業所にごあいさつしたりしますが、民主党政権に対する批判が強い。

「公約破りはひどいが、カネの問題も自民党といっしょ、政治をどうしたいかよりも、選挙目当ての「公約バラマキ」じゃないか。金持ち優遇をなぜやめられない」と、みなさんの気持ちは共通しているように思います。

中国侵略の証言者

『中国侵略の証言者たち』(岡部牧夫他編、岩波新書)を読みました。衝撃です。

私はこうした証言者がいることを知りませんでした。「こうした」というのは、1956年6月から7月にかけて中国で戦犯裁判を受け、その年の内に帰国し、57年には「中国帰還者連絡会」(中帰連)を結成し、戦争犯罪に関する加害証言にとりくんでいた事実です。

彼らが帰国当時、周囲から「アカ」扱いされて差別され、公安警察関係者の監視に悩まされ、「洗脳とやらの“魔法”にかけられて、頭の脳ミソを入れ変えられたんじゃないか」と書いた週刊誌もあったそうです。

現実は、「罪の大小にかかわらず、侵略戦争そのものの罪悪性を心底から認識できるようになったこと、その結果、中国人民に真正面から頭を下げ、二度と銃を向けないと誓うことができるようになった」、「私たちは戦犯となって初めて、人間らしい生活を送ることになった」(第5章)のです。

帰還者だけの組織であった中帰連は2002年に解散し、当事者以外の人たちを含め、「反戦平和・日中友好」を願う団体として「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」に証言の聞き取りなどの諸とりくみが引き継がれています。

朝、自宅から20分/松田さん絵画展/期待を実感

木曜日朝の定時定点の街宣には、毎回、ご自宅から20分ぐらい歩いて来てくださる地元後援会員が旗を持ち、車で通勤するみなさんに声をかけてくれます。

すぐそばに私の中学同級生が勤める事業所があり、彼が出てきて写真を撮ってくれました。

きのうから開催されている「松田信三 絵画展」におじゃましました。来週の17日(月)まで、「ギャラリーアート光明(こうみょう)」(いわき市小島町1丁目4-2)が会場です。どうぞ、みなさんもお立ち寄りください。

平(たいら)地域のど真ん中といっていい地域の後援会員とご近所を訪問しました。顔を合わせるや、「どうしてあんなことになるの!」とおっしゃるかた。3年前の県議選の結果のことです。

民主党の公約破り、その姿勢がアメリカにものが言えない、財界言いなりの自民党とけっきょく変わらないことなど、話せば話すほど、マスコミが姿を示さない共産党への期待がふくらむことを実感します。

雨の定時定点/共産党訪米/民主主義

けさは雨降りでしたが、「定時定点」の街宣は決行。宣伝カーの運転にその地域を担当する党後援会員が来てくれました。

濡れるドアの内側から片手をあげていってくれるドライバーの姿に勇気づけられます。

ところで、志位和夫委員長を団長とする訪米団が4月30日~5月7日の日程を終えました。

訪米での仕事のひとつは「核兵器のない世界」を願う被爆国・日本の声を国際社会に伝えること。

NPT(核不拡散条約)再検討会議議長、同会議第1委員会委員長、軍縮担当の国連上級代表、それに核保有国、非同盟諸国、新アジェンダ連合、北大西洋条約機構諸国の各国代表と要請・会談した様子が「しんぶん赤旗」で日々報じられました。

訪米のもうひとつの仕事が「基地のない沖縄」「対等・平等・友好の日米関係」を願う日本国民の声を直接アメリカに伝えること。

アメリカ国務省との会談、連邦議会の民主党・共和党議員との懇談、全米法律家協会主催の講演会での発言などを通し、普天間基地の解決方法は「移設条件なしの撤去=無条件撤去」しかないことを伝えました。本来、その民意は首相が伝えるべきでしょうが。

アメリカ政府の立場は、06年に日米合意した「現行案」がよいとする立場ですが、「見解がちがっても意見交換するのは有益であり、民主主義の基本。これからもできるだけやりたい」と米側が表明したことは重要です。

実はこれに先立つ4月21日、志位委員長は在日米国大使館でジョン=V=ルース駐日大使と会談し、NPT再検討会議の成功と、普天間基地は移設条件なしの撤去しか解決方法はないことを伝えていました。

ルース大使も「立場の違いはあっても、敬意をもってオープンなコミュニケーションを持つことは重要と考えています」と述べていました。

なんでも話し合える関係になっていくことは大事です。

日本近現代史

『日本近現代史を読む』(宮地正人監修、新日本出版社)を読みました。

1853年のペリー艦隊来航に先立つ幕末の様子を序章に、昨2009年8月の総選挙で自公政権が崩壊するまでの通史です。

アジアにたいする膨張主義と植民地支配にたいする歴史認識を国民的レベルで確立すること、戦後日本の対米従属から抜け出し、日本の自主性を回復すること、経済力の成果が公平に社会に還元されるまともな経済社会に転換することを、21世紀を展望した現代日本の課題として提起しています。

歴史を大局的に見ることの大切さと、歴史は「男女人民と多くの民衆のたたかいと努力、そして失敗と挫折の積み重ね」であることをつくづくと感じます。

1901年、8時間労働制、普通選挙制、貴族院廃止、治安警察法の廃止、言論抑圧の新聞条例の廃止などを実行綱領として掲げて日本で最初の社会主義政党(社会民主党)が結成されたとき、ただちに治安警察法によって結社が禁止されました。

109年後の今、「この実行綱領の多くが日本人の常識とするものとなり、廃止されたのは逆に治安警察法であり、亡んだのはこの法律をみずからの法的支柱とした天皇制国家でした」(「刊行にあたって」)。

当時、その実現を信じる人びとはどれほどいたのでしょうか?

そして今、「抑止力」といって世界へ殴りこむ戦力を日本におくアメリカと、軍事同盟関係はやめて、対等な関係を築く日米友好条約締結の実現性を信じる人びとを多数にする時代だと思います。

「よっ!」/地元商店/平和の守り方/憲法政治

火曜日朝はかつて生協病院があった場所で「定時定点」の街宣。

「よっ!」みたいな感じで片手をあげていってくれるドライバーや助手席からの姿も目立ちます。

私が住む地域のバス通り沿いの商店を中心に、地元の後援会員と訪問しました。

普天間基地をめぐって日本の安全保障のことや、著名人が参院選に立候補する選挙のありようの話題が相次ぎました。

安全保障をめぐっては、米軍が沖縄からなくなったら日本の安全はどうするの?  といった疑問はけっこう出されます。

アメリカ自身が「沖縄の海兵隊は日本の防衛には充てられていない」(1982年、当時のワインバーガー米国防長官)と言っていること、イラクやアフガニスタンでの戦争に部隊を派遣しているのが沖縄の海兵隊であること、軍事力によって隣国を脅しつける「平和」を孫子の代まで続ける日本でいいのでしょうか、といった話をすると、真剣な対話になります。

あるかたは「軍事力や米軍に頼る日本の平和の守り方でいいのか、根本的に国民が考えないとならない」とおっしゃっていました。

著名人の参院選擁立や、自民党から抜けた人びとによる新党乱立については、きょうは否定的意見が相次ぎました。

これからまたマスコミが「政治」とはまったく別世界で取り上げるでしょうから、ほんとうに「政治」の世界は怖いです。

財界・大企業の横暴勝手な異常な政治、アメリカいいなりの異常な政治、これら二つの異常が私たちの暮らしを苦しめており、ここにメスを入れてこそ、平和・福祉国家をめざす憲法政治ができると思います。こうした議論を土台に政治を有権者が決める日本にしたい、と私は強く思います。

週のスタート/訪問/政治家の基準/「がんばって」

月曜日朝は、わが家近くで「定時定点」の街宣。きょうも近所からお二人の後援会員が「旗持ち」に出てきてくれました。

車で通勤されるみなさんからの声援に励まされる週のスタートです。

午前中は平地域の団地内の後援会員と、午後は四倉(よつくら)地域の後援会員と隣組やお知り合いのかたがたを訪問しました。

こうして歩くとほんとうにいろいろな出会いがあります。ある高齢の女性は「今まで口に出すことはなかったが、私は若い頃からずっと共産党に投票していた」とのこと。もっとも、地元の後援会員のお話では「ずっとカンパをしてもらっていた」とのこと。

あるかたは民主党地方議員と姻戚関係。「私はほんとうは共産党がいちばん好き。自分が望む政治を基準に政治家を選ばないといけない時代になっている」というのは、大事なことだと思います。消費税増税や憲法9条廃止を主張する人物を身内だから応援する、というわけにはいかない、と率直でした。

またある男性は、「政治家は全部ウソつき。選挙はずっと棄権している」と。

普天間基地だってアメリカと縁を切る覚悟が必要、自民党が大企業に大盤振る舞いしてきた減税策も今すぐなくすのは非現実的、と、かなり保守的ご意見。

経済関係や貿易などの実態から他国と「縁を切る」などできるはずがなく、対等・平等な国家関係が必要だし、イラクやアフガンに先頭きって殴りこむ部隊が日本にあることが問題なこと、大企業への大盤振る舞い減税が消費税で埋め合わせられてきたことなどを話していると、そんな話は聞いたことがない、と話を聞いていただきました。

戦争に反対したことで虐殺された党員もいる共産党が筋を曲げず、今年で創立88年を迎えることも伝え、私も政治家であって、「政治家は全部ウソつき」と言われるとちょっと違う気がします、と率直に伝えました。

こういうときの「がんばって」の声はかなり心に響きます。

郷ヶ丘/いわぶちさん/「勝利のつどい」/力を

午前中、私が住む郷ヶ丘(さとがおか)で、署名と対話のいわき北部いっせい行動がありました。

私はわが家を囲むような場所6か所から宣伝カーで訴え。公園からの声援、家の庭に出てきてくれるかた、バス待ちのかたからの声援、歩道に出てきてくれての声援。みなさん、ありがとうございます。

午後は、参院選挙区予定候補のいわぶち友さんと合流し、いわき駅前、3か所のスーパー前からいっしょに訴えました。

駅前ではきょうもタクシードライバーのみなさんと対話。「小泉規制緩和政治で仕事も暮らしも散々だ。仕事でまともに暮らせる政治にしてくれ」と話は切実。

合間に、いわき北部、小名浜、内郷・好間地域の後援会合同の「参院選躍進・勝利のつどい」に参加しました。

この間の訪問での対話で有権者のみなさんが新しい政治を模索する私の実感、街頭から訴えている際の声援の様子を報告しました。

友さんの20分の話は、胸にジ~ンと響き、政治を前に進めるために力をもらえる話でよかったです。福島選挙区の2議席が自民と民主では政治は変わらないことが証明されたこの8か月です。1議席は友さんの議席とするため、みなさんの力をどうぞお貸しください。

派遣村・なんでも相談/「仕事がない」/タクシープール

第6回になる「いわき派遣村・なんでも相談会」がありました。いわき市労働組合総連合(いわき市労連)を中心とした実行委員会による企画です。

午前10時に開村式をするや、それを待っていたかのように次つぎと相談者がおとずれました。

私は渡辺ひろゆき市議と50代の男性の相談。失業後、派遣会社に登録しているものの、仕事がない、ハローワークにも通っているが、書類選考で落とされるし、面接までいってもうまくいかない、という相談でした。

仕事のあっせんを私たちができるわけではないので、現在の家計状況などをうかがいながら、当面の必要な対応を話し合いました。

午前中の2時間弱で、低賃金、給料未払い、生活保護、家庭内暴力、職場内パワーハラスメント、そして私たちが受けた「仕事がない」など、10人ほどの相談者がおとずれました。

閉村後、駅前再開発でできたばかりのタクシープールで客待ちのドライバーがお二人、車外で話をしているので、「ここができて景気はどうですか」と声をかけると、「前とちっとも変わらない、ぜんぜんダメ」と。

そんな世間話を自己紹介もせずにしていたら、お一人が「ところでこの人は共産党の長谷部さん。来年の県議選ではよろしく頼む」と突然。「写真でよく見た顔で、議員と思っていた」ともうお一人。

いや~、私は感謝の言葉を伝えるほかにないのですが、びっくりしました。こんなことは初めて。

「すごい多かった」/すれ違う車/切なる訴え

けさの「定時定点」の街頭からの訴えには、3人の後援会員が「旗持ち」に出てきてくれました。

朝は7時50分から8時10分までの20分でだいたい終えるのですが、そのお一人が、「きょうは手を振ってくれる人がすごい多かったなぁ」と言っていました。

鳩山首相の「党代表としての発言は党の公約でない」の詭弁(きべん)で国民を愚弄した翌日朝であることと関係があるのでしょうか。

小川地域の山間地の集落がある6か所の街頭から訴えました。宣伝カーの運転は地元の党支部長。

私が「流し」で話をするのですが、すれ違う車からの声援が多いのにはすごく励まされます。街宣場所の近くの家からも、庭に出てきて聞いていただくかたが目立ちました。

午後は別の地域の党支部会議に出席後、ご近所にごあいさつ。「民主党政権で子どもの教育や、医療や介護がよくなると思ったが、その方向すら見えないばかりか裏切り続き。お金があるところからなぜ負担を求めないのか」と、切せつと訴えられました。